東海道五十三次


遠 江 國 (二)
(と お と う み の く に)

第二十七次:袋井宿
(静岡県袋井市)


「原野谷川」に懸かる同心橋を渡って袋井宿に向う。


「なにを蒔いているのですか〜?」
「玉ねぎの種で〜す。」


そして土塁を残した松並木を行く。


11:15 「富士浅間宮」への“赤鳥居”。
この800m奥に「浅間宮」があるが、勿論ここからは見えない。


袋井東小学校の校庭に一里塚跡があった。


静かな佇まいの「国本」の街並。



曇っていた空が、
急に晴れる。

また、暑くなる。
 

「東新屋」の辺り。
昼はラーメンを食べたい、と
思っていたらありました!

「紗蘭」:
チャーシューメン 800円
キムチラーメン  600円
餃子(小7個)   400円×2

牛のゲンコツのスープで
塩味が少しきつかったが
かなり汗をかいたので、
塩分不足で丁度良かった。
 

「出茶屋之圖」


「袋井宿場公園」: 袋井は丁度東海道ど真ん中の宿場だ。
”袋井”の由来は、井水に囲まれた袋のような地形の意、だそうだ。


「川井」を過ぎ、再び旧道に入る。


第二十八次:見付宿
                (みつけ)
(静岡県磐田市見付)

「木原」を過ぎ、磐田市に入る。 
大きな板に、”西嶋立場跡 平成五年一月 西島老人会” と書いてあった。


太田川を渡り、「三ケ野」の古戦場跡:
元亀三年(1572)武田信玄と、それを迎え撃つ徳川勢との戦跡。


「遠州鈴が森」:
”問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在・・・、ので有名な
白波五人男の日本左衛門が延享4年(1747)、江戸で打ち首後ここで獄門にかけられた。


「旧見付学校」:
明治八年(1875)に落成した、現存する日本最古の洋風木造小学校。
住所・氏名を記入するだけで見学無料だった。


今夜の宿はJR「磐田駅」そば。 


夕食時、明朝は「新天竜川橋」を歩いて渡ると言うと、
宿のお姉さん二人共、「新天竜川橋」を歩いて渡る人は見たことがない、と言う。
皆、浜松へはバスで渡る、橋に歩道はないし、危険だと言う。

「え〜? そう言われても、歩いて渡らなければ意味がないし・・・。」



 翌朝。

「ありがとうございました。
 お気をつけて!」

「お世話になりました。」

(まあ、とにかく
 橋の袂まで行ってみよう)
 

「常夜燈」:文政十一年(1828)とあるが、この小舎にスッポリ入っていて何も見えない。


「天竜川圖」


8:59 「天竜川橋」: いや、本当だ、橋に歩道がない!
ええい、大丈夫、行っちゃえ!


しかし、トラックが脇をビュンビュン通る。
なるほど、これは危険だ。地元の人はバスを利用するはずだ。

(後日談:東海道を歩いた方何名かに聞いたが、皆、道中ここが一番怖かったと言っておりました)


第二十九次:浜松宿
(静岡県浜松市)

9:11 渡り終わる。


「六所神社」を過ぎて。


「金原明善生家」:
約100年程前、暴れ天竜川を治める為自己の財産で堤防工事、更に「緑のダム」たる森づくりを行った。
その後、天竜川の山々をはじめ、伊豆の天城山、富士山麓の森づくりと静岡県下各地に及んだ。



今回はJR「浜松駅}まで。
浜松名物「うなぎ」。
駅弁 1.170円。
しかし、この”うなぎ”の
貧弱さにガッカリ。

「遠江國(三)」に続く

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