東海道五十三次


尾 張 國
(おわりのくに)


第四十次:鳴海宿
            (なるみ)
(愛知県名古屋市緑区鳴海)


翌朝、ビジネス・ホテルなので朝食は用意されていた。600円。

しかしデスクに向っての頭脳労働者ならいざしらず、
一日歩き通す肉体労働者にはちょっともの足らない。

(小カップの納豆がトレイの中央にあるが、
名古屋辺りで納豆は日常的に食べるんでしょうか?)


「阿野一里塚」:道の両側に現存する


「桶狭間古戦場跡」:
永禄三年(1560)大軍の今川義元を小勢の織田信長が奇襲した。


間の宿:「有松」に入る。


380年伝統の”絞り”が展示販売されている「有松鳴海絞会館」


愛知県指定文化財:「井桁屋」


豪華な町屋が続き、名古屋市の”町並保存地区”に指定されている


塗籠(ぬりごめ)造りなまこ壁の家が続いていた


”名鉄”の踏切を過ぎ、鳴海宿に向う。



鳴海町平部北交差点に来ると・・・・・
「なんだ、こりゃ?」

側にいる人に尋ねると、
「しょうじょう」
「ショウジョウ?」
地面に指文字で、
”猩々”と書いてくれる

「ああ、ヒヒだ!」





しばらく行くと、今度は「猩々」が歩いている! 短足である。




「あの縫いぐるみで子供のいる家に行って、子供を脅かすんですよ。」

「ナマハゲだ!」


「名物有松絞」


扇川を渡ると「鳴海宿」。こっちは山車だ。


「瑞泉寺」:禅宗独特の建築


「鳴海町本町」で


「作町」交差点で


”鳴海八幡宮例大祭”
「毎年大体10月の第2日曜にやるんですが、各町内から山車が出て、
今年はたまたま上の町と日が一緒になって賑やかです。」


祭りを楽しませて頂いて、「天白川」を渡ればいよいよ次の宿場、宮だ。


第四十一次:宮宿
               (みや)
(愛知県名古屋市)

「笠寺一里塚」:平成六年(1994)、
枯れかけていた老エノキの幹に空いていた穴を市が補修し、蘇えった。

立派な一里塚だ。街道沿いで一番かな?


「笠寺観音」:心やさしい玉照姫の物語


笠寺観音商店街



踊りのお師匠さんの家は、もちろん犬まで”豆絞り”の手拭いでハチマキだ!
 

名鉄の踏切を渡りしばらく行くと・・・・・

”道中お休みどころ”と書かれた看板があり、立ち止まると
店の中から ”入って、お茶を飲んでいけ”と声がかかったので・・・


お茶をご馳走になる。うまい!ほんとにうまいお茶だ。
しばし、付近の地理歴史等を拝聴し、帰りに何故か100g 1.600円のお茶を買っていた。


「都々逸発祥之地」の石碑があった。


「亀屋芳広本店」:目当ての銘菓”七里の渡し”を買う。

レシートを見たら”ヒチリ”と打ってある。”シチリ”とは言わないんだなー。


とうとう着いた!”七里の渡し場跡”
昔はここから海上七里(約27km)を桑名宿まで船で渡った。


「熱田神事」



1時:
「熱田神宮」に参拝
御札を購入
 


さて、いよいよ名古屋名物、
”味噌煮込みうどん”!

「親子煮込み(卵と名古屋コーチン)」がよく出ます。」
「熱いですからうどんを蓋に取って、受け皿代わりにして食べて下さい。」
ほんとだ、蓋に穴があいてない!

初めて食べる。
色が濃く、しょっぱいと思ったが、これがなんと甘く感じ、うまく、うどんはあくまで腰があってすごい!
於:山本屋総本家
   

 

家へのお土産。

愛知限定版「八丁味噌プリッツ」は
次女のために。

ところで、最近でこそ当地の「ひつまぶし」が関東でもTVの旅番組で取り上げられているが、
1997年(平成9年)日本橋を立ち、1999年(平成11年)尾張に入った当時では東京のTV局での紹介はまだなかった。

知っていれば、当然「ひつまぶし」も食べたなー。

2010年(平成22年)追記


「伊勢國(一)」に続く

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