東海道五十三次


伊 勢 國 (二)
(い せ の く に)

第四十三次:四日市宿
(三重県四日市市)


「四日市第一船員会館」の翌朝の食事

1泊2食付(税・サ込み)で4,850円では文句は言えないけれど、
もう一品、せめて焼き鮭の一切れが欲しい。


来る前の日、ラグビーの試合撮影中、選手に飛び込まれスパイクされて腫れ上がる。
歩行には差しさわりがないので、湿布をして昨日は桑名からここ四日市まで歩いて来た。


出発です


三滝川の「三滝橋」:
昨日はここを歩いていないので、ここまで戻って歩き始める。


「三重川」


橋を渡るとすぐ創業天文十九年(1550)の「なが餅本舗 笹井屋」さん。
店内は表彰状がいっぱい。
薄く、細長い餅でこげ目がつき、中に餡が入っている。お茶請けにいい。


道標:文化七年(1810)建立のレプリカ。


諏訪神社


旧道は今、アーケードのある商店街だ。
朝、早いのでまだ店は開いていない。


「近鉄四日市駅」を過ぎ、南浜田町。
この辺、菓子司が多いなー。


日永三、四、五丁目を過ぎ、泊町。


程なく「日永の追分」:伊勢神宮遥拝鳥居
伊勢参宮道と東海道の追分


近鉄内部線「追分駅」わきの踏切を渡ると”追分まんじゅう”
「東海道中膝栗毛」中、弥次喜多が食べたまんじゅうだ。


週刊誌「増刊 本当にあった愉快な話」
原稿募集!


原案:家内が、当日の出来事を文章で投稿す
漫画:それをもとに、田島みるく先生が漫画化
採用されて1頁8駒の漫画になった。


最後の駒に「桑名と四日市の間・・・」とあるのは、
「四日市と石薬師の間」の間違い。

後で思えば、この付近は庭の道路側にトイレが独立している家が多かった。
ほんと、靴を脱いで入ったんです。
この家の方にお礼を申し上げようと思ったが、カーテンも閉まっていてお留守だった。
この場を借りて、お礼申し上げます。
”どうもありがとうございました!”

内部川を渡り、1号線を斜めに旧道に入る


杖衝坂(つえつきざか):
日本武尊が伊吹山の荒ぶる神との戦いに疲労困憊し、
この坂にたどり着いた時は杖をついて歩くのがやっとだったと言う故事から。

また芭蕉はこの急坂で落馬し、
”歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな”と詠んだ


「血塚社」:日本武尊が坂で怪我をし、流血を封じた所。


第四十四次:石薬師宿
(三重県鈴鹿市石薬師)

しばらく1号線を歩き、石薬師宿に入る。

小沢本陣跡:
今に残る元禄の宿帳には赤穂城主・浅野内匠頭の名も見えるという


そしてすぐ、明治の家人・万葉集研究でも有名な佐佐木信綱生家


石薬師寺:
小さいけれど、静かないい寺だ。



「石薬師寺」




寺を出て間もなく、「旧道」は右に上って行かなければならないのに、何故かまっすぐ歩いてしまった。
土手を登って関西本線の線路に出てしまい、右下の川を渡る橋がない。

ここで道の間違いに気付いた。
ええい、戻るのも面倒だ、線路で川を渡ってしまえ、と前後に電車が来ないのを確認して鉄橋を渡る。
渡り終わって、土手を駆け下る。
 

第四十五次:庄野宿
(三重県鈴鹿市庄野)

「白雨」


JR関西本線「加佐登駅」そばを過ぎ、
しばらく歩いたこの辺が廣重画のあたりらしいが、全く面影が無い。


「庄野宿資料館」があった。
JR「井田川駅」からの電車の時間が気になり、ざっとしか見学できなかった。


あそこの杜に「女人堤防」と「従是東神戸領」の標石があったが、
電車の時間が気になり、写真を撮る間もなく通り過ぎてしまった。



時間が迫り、駆ける。 右前方に常夜燈。でも素通り。
駅が近いが、まだ駆ける。
途中、自転車に乗ったおばさんに
「がんばってー!」と声をかけられた。
「井田川」発14:47にやっと間に合う。
1時間に1本なので必死に走った。
 

名古屋で新幹線に乗換え、平塚着19時。
娘に迎えに来てもらう。

「伊勢國(三)」に続く

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