近 江 國 (二)
(お う み の く に)
(みなくち)
(滋賀県甲賀市水口町)
水口町今郷に入る。しかし、いよいよ暮れてきた。12月上旬だ、日暮れが早い。
水口町新城に入った辺り。野洲川も黄昏てくる。
「新城」の街並み。もう家々は夕餉の支度をしているのか、人影も無い。
秋葉の辺り
やっと水口宿の入り口に着く。疲れた。
宿場の入り口「東見付(江戸口)跡」
歴史のある宿場だけあって、こういう店も。
今朝は鈴鹿峠を越え、土山宿を歩き、もうほんとに疲れた。
夕方5時、やっと創業元禄十三年(1700)の老舗旅籠「枡又(ますまた)旅館」に着く。
赤坂宿の「大橋屋」同様、どうしても宿泊したかった旅籠だ。
「忠臣蔵」赤穂浪士の討ち入りの2年前に開業したことになる。
(しかしこの2年後の平成14年、残念ながら営業を終える、とのご連絡を頂いた。)
玄関を入ってすぐ右側
翌朝、5:55起床。
改めて庭を見てみる。いかにも昔から続いている旅籠の風情だった。
7:15出発。 「どうもお世話になりました。」
「ありがとうございました、どうぞお気をつけて!」
暖簾に「丸に違い鷹の羽」の家紋!忠臣蔵の浅野家の家紋と同じだ!
「三筋の辻広場」:
中央にカラクリ時計がありました。
(この三筋の写真は、潟fアゴスティーニ・ジャパン 「週刊江戸50号」2011年1月号・“街道を行く・水口宿”に掲載されました。)
すぐ左が近江鉄道「水口石橋駅」
新水口宿公園
「名物干瓢」
室町時代、「水口」は京の都から伊勢参宮への将軍家や文人達の通行の要所であった。
また、寛永11年(1634)小堀遠州の手によって水口城が築かれた。
毎年4月19,20日に行われる「水口曳山祭」(県指定無形民俗文化財)は、
曳山巡行と勇壮な「水口囃子」で知られる。
右角にある丸い石が・・・(下欄参照)
「水口石」
旧一里塚跡を過ぎた辺りから、道は直線になる
まだまだ一直線だ
目前に「北脇縄手と松並木」の説明石版:
縄手(畷)とは田の中の道のことで、曲がりくねった旧伊勢大路を
見通しのよい道路としたことにちなむ。また東海道の両側は土手になり
松並木が旅人に木陰を提供し、しばし旅の疲れを休めた、とあった。
道祖神と小さな五輪塔が祀られていた。
泉の二股を野洲川に向かう
石柱に「日吉神社 御旅所」と彫ってあった。なんだろう?
後で調べたら、「御旅所」=神輿がとどまる場所だそうです。
8:40。そしてすぐ野洲川(横田川)の旧「横田の渡し」と大常夜灯。
この巨大な石灯籠は文政五年(1822)に建てられた。
「横田の渡し」にもちろん橋は無く、1号線に出る。
そして横田橋を渡ると甲西町に入る。次の宿場・石部宿だ。
今回3泊4日の旅、最終日の今日はこれから石部宿を通り、
草津宿一歩手前のJR草津線「手原駅」まで約25kmを歩く。
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