東海道五十三次


近 江 國 (二)
(お う み の く に)

第五十次:水口宿
              (みなくち)
(滋賀県甲賀市水口町)


水口町今郷に入る。しかし、いよいよ暮れてきた。12月上旬だ、日暮れが早い。


水口町新城に入った辺り。野洲川も黄昏てくる。


「新城」の街並み。もう家々は夕餉の支度をしているのか、人影も無い。


秋葉の辺り


やっと水口宿の入り口に着く。疲れた。


宿場の入り口「東見付(江戸口)跡」


歴史のある宿場だけあって、こういう店も。


今朝は鈴鹿峠を越え、土山宿を歩き、もうほんとに疲れた。


夕方5時、やっと創業元禄十三年(1700)の老舗旅籠「枡又(ますまた)旅館」に着く。

赤坂宿の「大橋屋」同様、どうしても宿泊したかった旅籠だ。
「忠臣蔵」赤穂浪士の討ち入りの2年前に開業したことになる。

(しかしこの2年後の平成14年、残念ながら営業を終える、とのご連絡を頂いた。)


玄関を入ってすぐ右側


翌朝、5:55起床。 

改めて庭を見てみる。いかにも昔から続いている旅籠の風情だった。


7:15出発。  「どうもお世話になりました。」
「ありがとうございました、どうぞお気をつけて!」

暖簾に「丸に違い鷹の羽」の家紋!忠臣蔵の浅野家の家紋と同じだ!


「三筋の辻広場」:
中央にカラクリ時計がありました。

(この三筋の写真は、潟fアゴスティーニ・ジャパン 「週刊江戸50号」2011年1月号・“街道を行く・水口宿”に掲載されました。)


すぐ左が近江鉄道「水口石橋駅」


新水口宿公園


「名物干瓢」

室町時代、「水口」は京の都から伊勢参宮への将軍家や文人達の通行の要所であった。
また、寛永11年(1634)小堀遠州の手によって水口城が築かれた。

毎年4月19,20日に行われる「水口曳山祭」(県指定無形民俗文化財)は、
曳山巡行と勇壮な「水口囃子」で知られる。


右角にある丸い石が・・・(下欄参照)


「水口石」


旧一里塚跡を過ぎた辺りから、道は直線になる


まだまだ一直線だ


目前に「北脇縄手と松並木」の説明石版:

縄手(畷)とは田の中の道のことで、曲がりくねった旧伊勢大路を
見通しのよい道路としたことにちなむ。また東海道の両側は土手になり
松並木が旅人に木陰を提供し、しばし旅の疲れを休めた、とあった。


道祖神と小さな五輪塔が祀られていた。


泉の二股を野洲川に向かう


石柱に「日吉神社 御旅所」と彫ってあった。なんだろう?

後で調べたら、「御旅所」=神輿がとどまる場所だそうです。


8:40。そしてすぐ野洲川(横田川)の旧「横田の渡し」と大常夜灯。
この巨大な石灯籠は文政五年(1822)に建てられた。


「横田の渡し」にもちろん橋は無く、1号線に出る。


そして横田橋を渡ると甲西町に入る。次の宿場・石部宿だ。

今回3泊4日の旅、最終日の今日はこれから石部宿を通り、
草津宿一歩手前のJR草津線「手原駅」まで約25kmを歩く。


「近江國(三)」に続く

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