東海道五十三次


近 江 國 (三)
(お う み の く に)

第五十一次;石部宿
                (いしべ)
(滋賀県甲賀郡石部町=滋賀県湖南市石部に)


JR「三雲」駅の脇を通り荒川橋を渡り、石部宿に向かう。


JR草津線を斜めに渡る




大沙川トンネル。トンネルの上を流れる天井川である。


吉永から夏見に入る


夏見一里塚辺り


10:10 報恩寺先の由良谷川(天井川)。ここもトンネルの上が川だ。


夏見から針に入る


暖簾に、「 御代栄 地酒 蔵元北島」 とあった。


家棟川橋を渡れば程なく平松だ

この画面右300m辺りがJR草津線「甲西駅」


平松辺り:落ち着いた雰囲気の旧東海道である。


柑子袋にある「上葦穂神社」を過ぎれば、いよいよ石部宿だ


宿場内、「吉姫神社」


京から江戸に向かった人は、ここ石部宿が最初の宿泊地だった。

画面右端の道路を掃除していた人に食べ物屋さんの在りかを聞くが、
例によって旧宿場には食事するところがない。


仕方なくJR草津線の踏切を渡り、1号線に出て探す。

「宮川橋」の信号を過ぎ、すぐにあった焼肉屋さんは開店前。残念。
「あ〜焼肉が食べたい!」


三上山:近江富士である。
俵藤太が大ムカデを退治した山、それがこの山だ。


するとやっとあった!それも焼肉屋さんである!


満腹。”石部金山跡”を見ながら歩く。
堅い人物の代名詞、「石部の金吉」はここからつけられた。


金山跡を大きく迂回する


栗東市に入る


六地蔵の「旧和中散本舗・ぜさいや」:江戸期の豪商の重厚な建物。

「和中散」は暑気当り・暑気払いの名薬で、「茶屋本陣」でもあった。
江戸の大森から蒲田にかけても出店が三店あり、
この売薬人は江戸ばかりではなく、全国を売り歩いた。

この辺の地名は”梅ノ木”。草津宿との中間、間の宿として栄えた。


この庭園は小堀遠州の作


さすがに最終日はザックが重い。間もなく「JR手原駅」。


JR「手原駅」到着。
3泊4日で歩き通し、今回はここまで。

14:08 手原発。米原から新幹線で平塚自宅19:00着。

次回の「草津宿」へは大晦日、出発だ。


「近江國(四)」に続く

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