近 江 國 (四)
(お う み の く に)
大晦日である。
平塚発 6:22 | |
小田原着 6:45 | |
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小田原発 7:06 ひかり151号 | |
米原着 8:50 |
米原発 9:02
草津着 9:45
草津発 9:47
手原着 9:52
前回の「手原」駅着。
さて、いよいよ大詰め。
本日(大晦日)は石部宿・草津宿・大津宿(泊まり)
明日(元日)は大津から京三条大橋である。
上鈎(かみまがり)辺り。「東海道 手原村 火打石屋 火口屋辰之助」の屋号。
静かな街並み。
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川辺に入る。正面にも道標がある。
正面は金勝川の土手。
その道標:「中仙道 でみせ」
「東海道 やせうま坂」となっていた。
一里塚跡を過ぎ、おや?
門松の形が面白い。
「目川の立場跡」
普通のお宅の庭に立て札があった。近づいてみると・・・
田楽茶屋「京伊勢屋跡」だ。
この手前には「目川立場 田楽茶屋 元伊勢屋跡」の同じような案内板があった。
「目川ノ里」
目川名物は菜飯に田楽豆腐で、図のような茶店が何軒もあったようだ。
しかし、目川は手原を過ぎ石部宿の外れ、草津宿と言っても良い位の場所だ。
そしてこの廣重画・石部宿「目川の里」は、
先に出版された「東海道名所図会」の挿絵と瓜二つである。
昭和35年(1960)東京国立博物館資料課長であった近藤市太郎氏は、
廣重画・「蒲原」、「庄野」が実景とあまりにも異なること、そしてこの「目川ノ里」などから、
”広重、東海道を旅せず”の口火を切った人だ。
サザンカの咲く12月なのに、何故か額に汗をかく。
気温が高くもないのに、何故だろう?
岡の辺り。汗を拭きながら、写真を撮り続ける。
間もなく東海道新幹線のガードだ。
(滋賀県草津市)
10:55 「うばがもちや」着。元禄十二年(1699)創業。
草津に身を潜めた乳母が、餅を作っては売り、幼子を育てた。
その餅の形は乳母が幼君に奉じた乳房を表したものだそうで、
中はもち米、それをこし餡で包み、上にぽちっと白餡がついている。
一口で食べられる大きさで、それほどべたつく甘さではない。
「名物立場」
「うばがもちや」で、旅人が休んでいる風景が描かれている。
が、この画も「東海道名所図会」の挿絵「うばがもちや」に酷似。
ヒレかつ鍋定食
汗をかいたためか、お茶を何杯も飲む。
11:30 出発。
12月の寒空なのに、腕まくりをしている。
何故、汗が出るのか?
草津川を渡ると「横町道標」:
”左東海道いせ道” ”右金勝寺、志がらき道”
上胸がなんとなく息苦しい。しかし、あまり気にせず歩きつづける。
宿場の中心地に入る。
右の土手が草津川。その下にトンネルがある。
ここもいわゆる天井川だ。
「追分見付」:
”右東海道いせみち” ”左中仙道美のぢ”
ここが”中仙道”への分かれ道
国史跡「草津宿・田中七左衛門本陣」:
年末のため休館、見学できず。
酒蔵だ!「道灌蔵」と書かれていた。
江戸城を築城した大田道灌が祖先の「大田酒造」さん。
普通よりも小さめな酒琳だ。
時間があれば見学させて頂きたい、立派な蔵だ。
江戸時代からつづく旅籠「野村屋」さん
12:05 「立木神社」
「やぐらはし」
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冷や汗が止まらない。 写真を撮るのも、 歩くのも億劫になる ここ迄我慢してきたが 心臓の鼓動が激しく、 自分でも只事ではない、 と思う。 |
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12:40 上北池公園 野路一里塚跡 四阿屋風の休息所があり、 休憩す。 チョコレート、水。 15分間休んで歩き出すが 鼓動、激しい。 |
1:00 「南草津病院」が目に入り、駆け込む。大きな病院だ。
年末で病院は休み。当直の先生と看護婦さん。
血圧 96−78! 脈拍90。心房細動。
医師曰く:本来なら入院のはずだが、大晦日だし循環器の先生不在で入院の意味がなく、
自宅の神奈川まで帰るのはダメ。宿泊予定地の大津に向かうこと。勿論交通機関で行くこと。
安静を保つこと。
薬を渡され、病院を出る。しかし、ほんとに病院があって良かった。
が、歩いてはいけない、これは困った。
仕方なく、電車で大津に向かうことにする。
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