東海道五十三次


山 城 國
(やましろのくに)

大尾 京師 三条大橋
( たいび      けいし       さんじょうおおはし )

明くれば元旦である。7:30朝食。
スクランブルド・エッグ、ハム、パン、サラダ、コーヒーのホテルの朝食。

無理な注文だが、雑煮が食いたかった。


京阪京津線「浜大津」駅 8:25発

歩いてはいけないとは言われたが、電車で途中下車して行く事にする。


一番前に乗って、街道を見る。


二つ目の「大谷」駅 8:32着


蝉丸神社に寄る


「元祖走井餅本家」跡


再び「大谷」駅 8:42発

再び電車の一番前に乗り、街道を眺める。 と・・・・!


あ、あっ! 左前方に二人、小雨の中、赤いヤッケを着てザックを背負って歩いている!
あわててシャッターを切る。 間違いなく三条大橋に向かって歩いているんだ。
ああ、残念、歩きたかった!

(改めてこの写真を見て、自分ながらよく撮ったと思う。あっ、と気づいてシャッターを切った。
そのあと、あっと言う間に二人連れは左後方に消えていってしまった。ほんとに一瞬だった)


「蹴上」駅 8:54着


階段を使わず、念の為エレベーターで昇る。


143号線に出る。「都ホテル」前、ここから三条大橋まで2km弱。


ゆっくり歩いて行くことにする。



京都内で現存する最古の道標:延宝六年(1678)

右面: 三条通白川橋
左面: 是よりひだり 
 ちおんゐん ぎおん きよ水みち
裏面:                 延宝六戊午三月吉日
京都為無案内旅人立之
                施主   為二世安楽
 

ここで、初めて「三条大橋」の文字を見る。


もう、ほとんど直線である。

この先で、暫く休憩した。


ああ、あそこが三条大橋だ!

いよいよだ。 あそこまで行くともう歩く必要がなくなる。
この旅も終わってしまう、と思うともったいなくて歩けなくなる。
大橋までの残りの道を出来るだけゆっくり歩く。


いよいよ、ゴールだ。

三年間、思い続けた三条大橋だ!
一歩一歩、踏みしめるように歩く。


「高山彦九郎正之銅像」:延享四年〜寛政五年(1747〜93)

過激な尊王論者。十八歳のとき京都に遊学、林子平らと交わる。
寛政の三奇人の中では最も奇行が多く、ここ三条大橋の上で皇居に向かい、
土下座して「草莽(そうもう)の臣、高山正之」と連呼、道行く人を驚かせた。
(引用:日本史人物事典)


三条大橋手前で写真を撮りまくる。


信号は赤だ。あの橋まで行ったらこの旅は終わりだ。

3年かけて500kmを歩いてきた。
その想い出が走馬灯のように駆け巡る。感、極まる。


ずっと、信号が赤のままでいてくれたら良いと思う。


「三条大橋」


9:43 擬宝珠に触る

京都へは小学校の修学旅行(横浜市立本町小学校の修学旅行は関西だった)、
また中学、高校も関西旅行だったが、大学時代は山登りばかり。
社会人になって再び友人達となどで、京都へは計10回程来ている。

しかし、新幹線ですっと着いてしまう京都ではない。
三年間、思いつづけ、歩きつづけてやっと着いたのだ!


娘達に連絡。「今、着いたよ。」
心臓のことは話さなかった。


「予定通り、着いたわ。」
「おめでとう!明けましておめでとう、と、達成おめでとう!」


通りがかりの青年に撮ってもらう。

10:00、三条大橋を後にし八坂神社に向かう。


暮れに友人達に投函した賀状


10:23 「八坂神社」。元日だ、年始の人でいっぱいだ。


「三条大橋」到達の報告


「八角木守」=”蘇民將來子孫也”と記された護符の一種。
八角柱の短い棒で,そこに緑と赤が交互に塗られ、
麻紐がついていて、つり下げるようになっている。


後  記

アクシデントがあったが、なんとか着いた、という感じだ。
当初から「2000年1月1日10時、三条大橋着」と決め、1997年2月2日、江戸日本橋をスタートした。

仕事の都合で3ヶ月間歩けなかったりもした。
また赤坂宿の「大橋屋」に泊まるために日にちを待ったり、宇津ノ谷の慶龍寺の縁日にわざわざ合わせたりしながら、予定通り見るところは見、食べるものは食べ、泊まる所には泊まった。

このHPは当初立ち上げる気は全く無かったが、ひょんなことから歩き終わってから5年後の2005年12月頃より準備を始め、少しづつUPし、2006年4月、完了した。

江戸時代、東海道を旅する場合、一般には歩いて行くしか方法が無かったが、21世紀の現在、東京から京都に行くのに様々な手段がある。ちなみに、
手    段 内         容   費  用   時  間
・深夜バス 東京22:20発〜京都翌朝6時頃着 5.000円   8時間 
・JR各駅停車 東京5:20始発〜(途中4回乗り換え)〜京都13:46着 7.980円   8時間26分
・東海道新幹線 「のぞみ」 13.520円   2時間20分
・マイカー 東名・名神高速道路料金10.500+ガソリン代7.500 17.750円   7時間
・飛行機 羽田→伊丹20.100+JR伊丹→京都950 21.050円   2時間強
・徒歩 毎回往復の交通費・宿泊費・食事代・フィルム現像代など ----- -----

※当時は未だデジカメが一般的ではなく、35mmネラカラーフィルムで撮影したが、合計180本、約30万円かかった。
何回もの往復の新幹線代・宿泊代・昼食・土産代そしてその写真代も含め、なにせ2名分なので約100万円近くかかってしまった。
※費用も時間もかかったが、その分、想い出もやはり数十倍だ。

今日もまた、旧東海道を歩いている人がきっといる。
京三条大橋を目指し、あるいは京都から江戸日本橋を目指して歩いている人がきっといる。
皆、それぞれの「旧東海道」を歩いている。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
一応、これで終わりですが、内容は今後も少しずつ手を加え、更に充実していくつもりです。
ことに”雑学・博学「旧東海道」”は項目の追加・更新を逐次行いたいと思います。

「番外編(一)」:月刊誌「ESSE」に登場の巻!に続く

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