ヘッドライトを灯火に「青年編」 |
||||||||||||
記録:平成19年06月10日 | ||||||||||||
掲載:平成19年08月07日 | ||||||||||||
栗原市志波姫の農家 菅原 |
||||||||||||
「ヘッドライトを灯火に「ササシグレ編」」から続く 俺と遠藤先生は、植えたばかりのササニシキを抜き取り始めたのであったが、その田んぼの隣で、草原の上に寝ころぶ青年がいた。 この青年が何者であるか後で紹介するが、ここで、俺の田んぼと人間達との出会いについて話してみたい。 平成15年の1月、冬の田んぼに水をかけたら、白鳥が田んぼに集まってきた。
このようにして「あわよくば無農薬水稲栽培」が始まったのであるが、始めは白鳥と語り合いながらの稲作であった。 三月も過ぎると、その白鳥達も北の空に還っていった。また一人の田んぼ仕事が始まるのかと思ったら、今度はいろんな「人間」が田んぼに集まるようになったのである。学者やNPOの人達が「自然環境に良い」俺の田んぼに注目して集まってきたのであった。
しかし、「農薬を使わず」が3年を過ぎると、田んぼに雑草が増え始めた。そして、田んぼに集まってきた「人間」達は、白鳥が北の空に還っていったように、どっかに去っていった。 「雑草よ、お前達だけが残ったか。」 そう田んぼにつぶやいたが、そうして
これは大きな励みとなり、「出会い」について、もう一つ別の考えを持つようになったのであった。 「冬の田んぼに水をかけてから、いろんな人に会ってきた。皆、俺の田んぼに興味を持ち、彼らから俺のところにやって来た人達だった。でも、今度は俺のほうから、どっかの誰かに会いに行こう。」
それで、俺はいろんな場所に行き、自分から出会いを求めた。 路上で生活する人や夫婦関係に問題を抱えた人、「部屋の中が素晴らしく多様性に富んでいる」人など、いろんな人に会って話を聞き、必要とされるならば何かの手助けをすることもあった。 そんなことをしているうちに、冒頭の「草原に寝ころぶ青年」と出会ったのである。 その青年は、ある種のアレルギー体質で悩んでおり、出会いのその先に出会った人から、話をいただくことになった。 「農業でも手伝えば、何かいい効果があるかもしれない。」 そう紹介されたのであるが、正直なところ農作業がそのままアレルギー体質の改善に役に立つかのかどうか、俺にはわからない。 ただ、俺がそうであったように、彼もいろんな出会いと巡り会えれば、何かのきっかけを掴めるかもしれない、そのきっかけの一つに、俺が役立てば良い、そう考えた。
もっとも、俺の田んぼは田植えが終わっていたから、彼に手伝ってもらう適当な農作業が思いつかなかったが、ここにきて急遽ササニシグレの田植えをすることになったのである。 俺と遠藤先生が、ササニシキの苗を引っこ抜いている脇で、青年は田んぼの隣の草原に寝ころんでいた。 遠藤水田に到着し、彼は草原に立って何かの臭いを鼻でかぐ仕草をしていた。たぶん周囲に自分のアレルギー物質がないか窺っていたのであろう。そして周囲を確認してから安心したように、 「ここは気持ちがいいですね〜」 と草原に寝ころんだのであった。 彼は、しばしの間、遠藤草原を満喫してから、俺達と一緒に「植えたばかりのササニシキ」の抜き取り作業に加わるのであった。
「田植機丸」には青年が運んだ「ササニシキの苗箱」が積まれ、そして田植機丸は泥の海に、出航していったのである。 ポット苗のササシグレは、ヘッドライトに照らされながら、一つ々、確実に田んぼに活着していった。わずか2畝(200m2)の田んぼであったから、作業は30分もかからなかったであろう。 田植えが終わると、遠藤先生の奥方が夕食を用意してくれた。俺達三人はその夕食を食べながら、「夜の田植え」を振り返りながら、話を弾ませた。今日は6月10日、周囲の田んぼよりも1ヶ月も田植えが遅い。俺達にとって、今年最後の田植えであった。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
|