ヘッドライトを灯火に「ササシグレ編」 |
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記録:平成19年06月10日 | ||||||||||
掲載:平成19年08月07日 | ||||||||||
栗原市志波姫の農家 菅原 |
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その日、遠藤先生と夜の船出をすることになった。時間は19時を過ぎ、あと10日ほどで夏至になるとはいえ、すでに陽光は山の向こうに没していた。刻々と闇の世界が深まっている。 場所は遠藤先生の田んぼ。これから新しい苗を載せた「田植機丸」が出航するのである。紺色の空には、星がまたたき始め、向かう航路を軽トラのヘッドライトが照らしていた。
ヘッドライトの明かりが灯ると、出航を待つ「苗達」の姿が浮き上がった。苗達は微かな西風にざわめき立ち、まるで新しい船出への期待と不安を感じているようであった。その苗を載せ、田植機丸は滑らかに泥の海に出航していったのであった。 事の経緯はこうである。先日、開催した「覆面試食会」でササシグレという品種を紹介した。このササシグレの苗を、加美町の渋谷さんからいただくことになった。 「苗やるから、植えて見ろ。」 が、しかし俺の田んぼの田植えは既に完了していたのである。 ササシグレは、昭和30年代頃まで、東北地方を一世風靡した品種である。その後、ササシグレを改良したササニシキが登場し、倒伏や病害に弱いササシグレは廃れていったのだが、唯一ササニシキがササシグレに及ばなかったのが「味覚」であったと伝えられる。 確かに、先日開催した「覆面試食会」でも、ササシグレの食感は参加者から好評であった。
俺の「農薬を使わず、肥料を使わずの田力本願」稲作は、植栽密度や田植え時期など、ササシグレが主流だった時代の稲作に似通ってきている。そもそもササシグレの時代はまだ農薬使用が一般的でなかったはずだから、「田力本願」稲作が、ササシグレの稲作と似通ってくるのも道理なのかもしれない。 この時代、まだまだ米の需要は高く、全国的に開田(新たに田んぼを造成すること。)が盛んに行われていた。そして稲作の目標は「収穫量」に重きが置かれ、それを目指す結果として、ササシグレの倒伏や病害が問題となったのである。倒伏も病害も多収穫を目指すほどリスクが大きくなる。このようなしてササシグレはその「味覚」を惜しまれながらも、ついにササニシキにとって変わられていったのであった。 しかし田力本願稲作は「収穫量」に重きを置かない。この稲作方法は結果として収穫量が減少するきらいがあるにせよ、農薬と肥料を使わないことに重きが置かれる。 ゆえに俺には、このササシグレが魅力的な品種に思えた。「味覚」、「稲作方法」、いずれにしてもである。 が、しかし俺の田んぼは既に田植えが終わってしまっていたのである。 そこで、渋谷さんから提供いただいた苗は、まだ田植えが完了していなかった浦山さんの田んぼに植えてみることにしたのである。
6月10日、浦山さんと俺、そして遠藤先生にもう一人の青年が加わり、ササシグレの田植えを行った。 すでに、6月も中旬に差し掛かり、周囲の田んぼはとっくに田植えが完了している。 俺達の「田力稲作」は田植え時期を晩期化させてきた。4年前までは、5月中旬に田植えしていたが、ようやくササシグレの時代と時期が重なるようになったのである。 昭和30年代まで、まだ育苗ハウスは普及しておらず、種まきの時期が遅かった。また当時は機械でなく手植えが主流であったから、成長の進んだ大きな苗が必要であり、育苗期間も長く必要であった。そういった事情から、ササシグレの時代は現在よりも1月ほど遅い時期に田植えをする必要があったわけである。 浦山さんの田んぼでも、まだ田植えが終わっていなかった小さな田んぼにササシグレを植え終わり、そして文字通り「地に足のつかない」その田んぼの苗を眺めてみた。
浦山水田に田植えの終わったササシグレだったが、まだ15箱くらいの苗が残っていた。それを見て俺は、遠藤先生に言ってみた。 「1株でいいから遠藤先生の田んぼにも植えてみたら?」 しかし、遠藤先生は 「もう田植えは終わったんですよ。」 そう返した。 突然のササシグレとの出会いである。しかし、その出会いは俺達にとって少しばかり遅すぎたようであった。唯一浦山さんの田んぼに田植えできたことだけでも、良しとするべきなのかもしれない。 そう、俺はあきらめたが、しかし、遠藤先生は「終わった・・・」、と言いながらも腕を組み続け、そして田んぼに視線を向けたままでいた。 ・・・何考えてんだ? 田んぼを見つめる遠藤先生を、俺が不思議そうな表情で見つめていると、遠藤先生がおもむろに答えた。 「抜くすか?」 「・・・は!?」 なんのことだと思った。しかし笑顔に変わった遠藤先生の表情を見て、俺は全ての意味を理解した。 「抜くか!」 「抜きましょう!」 「今からか?」 「今からしかないでしょう!」
いろいろな意味で、今日の出会いは「旬」なのである。旬であるならば、少々の障壁は乗り越えて、それを活かしていくことが必要なのかもしれない。 既に午後の日射しは、けだるい斜陽に傾いている。あと2時間ほどで夜が訪れるであろう。目指す遠藤水田は30km向こうにある。俺達は、苗箱を積んだままの軽トラを起動させ、そして出発した。 × × × × × × 18時も半ばに差し掛かる頃、俺達はようやく遠藤水田に到着した。しばしの間、田植えが終わったばかりの田んぼを眺めた。そして一番小さい区画の田んぼに入り、植えたばかりのササニシキを抜き取り始めるのであった。 |
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(ヘッドライトを灯火に「青年との出会い」に続く) | ||||||||||
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