原稿の書き方

               澤田 智志

思いつくままに書けばいいのです。
よくそう言われるのですが,
それが一番難しいように思います。

そう思った瞬間に
「何か意味のあるものを書かないといけない。
価値あるものを・・・。

誰かが読むのだから・・・。」
そう身構えてしまうからです。

それは小学生も同じようでありまして,
「何書いていいか分からない。」
と言って全く筆が進まない子が
少なからずいます。

それはすなわち私もまだ小学生と同じ段階で
とどまっているということなのでしょうか。
だとすれば,
子どもが書けないのは当然であります。

教師の質を超えて子どもが伸びることは
まずありません。
「教師の質が子どもの質を決めていく。」
よくそう言われます。
私自身の努力が必要なのです。

やさしい〜ね!

               三村 美知代

 老人施設でお世話になっていますから,毎日たいくつしています。10月16日(土)の朝,次男が,どこかに連れて行ってくれるというので,車に乗って走っていました。行ったことのない所を走っていましたが,田浦町のあたりと思いました。
 しばらくすると,田圃の中にテントを張って,何か演奏していました。童謡を吹いていたので,思わず口ずさんでしまいました。30人ほどが,10月半ばというのに稲刈りをしていました。
 しばらくすると,
「おば〜ちゃん」と若い青年が寄ってきてくれました。息子が「後藤田代議士だよ。」と教えてくれました。
 そんな偉い人に会えて今日は光栄でした。初めてお目にかかりましたが,やさしくてものすごく感じのいい人でした。
 若い頃,辰巳の井上さん所にお手伝いにお世話になっていたので,後藤田正晴先生にも色々とお世話になりました。主人の戦死した兄も富岡西高等学校の同級生で,一緒に写した写真が今も家にあります。
 後で,聞いたのですが,小松島のキダブンさん達の自然農というグループが,後藤田議員さんも交えてお米づくりをしているそうです。私の若い頃と同じように,刈り取ったお米をハゼに掛け干していました。子供から大人までが一緒になって働いている,懐かしい風景を見て昔を思い出しました。
 今日は,本当に楽しい時間を過ごさせていただき,やっぱり生きている方がいいと思いました。

国際交流ホームステイを引き受けて

               山本 シズ子

 アセアンの中のJICAタイ青年社会福祉団が,日本訪問の最後に徳島にやってきました。
 我が家に来られたのは,エーンさんと言って32才の女性です。お仕事は国営のテレビキャスターで,お国の大事なお仕事をされている人です。日本人と同じようなお顔で親しみやすい人でした。
 日本の文化のお茶とか日本舞踊とかを知らせたいので,久しぶりにお手前したり踊ったりで,楽しませてもらいました。
 ホームステイを引き受けたのは今回で3回目でした。前に来て下さった方も,マレーシアの人でしたが,なんか心が美しく,そして素直な人でした。国は違っても純粋な心,自分の国を思う心は,今の日本人は負けるような気がしました。言葉は分かりませんが,身振り手振りでどうにか理解でき,日本の食事も何でもおいしいおいしいと食べてくれて,そしてお国の料理も作って下さりました。何よりも良かったのは,家族が協力して子供や孫たちとみんなで楽しく過ごせたことです。
 そして思うことは,これから国際人となる子供には,どこに出してもやっぱり日本人だと思ってくれるような人柄・品性を持った人に成って欲しいなと思いました。また,英語の勉強は身に付けていないと恥ずかしいとも思いました。英語は国際語だから,どの国の人でも通じるから……。

日本の原型

               野口 一夫

 前号で古事記等の定説となっている比定地は誤りである旨を記載しましたが,古事記は阿波という限られた地域,小さな型で物語を顕したと思われます。
 何か大きな物を造る場合,設計図とか模型を造ります。まず小さい型を作りそれを拡大し,大きな物を造ります。それと同じように壮大な古事記物語を阿波を中心とした舞台で顕し,日本の型,世界の型としたと思われます。
 そして,ここに古事記等を読む人の誤解が生まれてきたと思われます。古事記を素直に読めば比定地に当たる地名,神社名が阿波には揃っています。これだけ揃っているのは他に類を見ないと思います。
 祝詞の「橘の小門のアワギハラ」,すがすがしいの「須賀」,こし「高志」(たかし) ,美濃の国は「三野町」,イザナミ神社,タジカラオノミコト神社,タケミナカタ神社,等々地名の変更,神社の損壊のない限りほぼ完全に揃っています。
 考古学上からも紀元前2世紀頃まで阿波(三谷遺跡)で造られた石棒が祭具として四国並びに近畿県内で発掘されています。
 これらからも古代阿波は文化の中心であったことが伺われます。阿波に住む我々子孫は阿波の正しい古代史を知り勇気と誇りを持って未来に語り継ぐべきと思います。