柚 採 り 平 澄子
先日,上勝町の主人の実家へ柚採りの手伝いに行って来ました。台風で折れた木もたくさんありましたが,老夫婦が一生懸命に作っているので,一つ一つが何だかいとおしく感じます。 |
外地での追憶 魁生 順一
其れは昭和20年10月の末の満州撫順での出来事だった。連日,寒風が吹き荒む頃,後何日,否後何ヵ月暖房のない,俘虜収容所で過ごさねばならないか,先の見えない不安な生活だった。ある日,先輩の(十四・五歳)の発案で,撫順炭坑の「コークス施設」ヘコークスの奪取(徴発)に行く事に話が纏まった。先輩が言う「各人リックサックか,唐からまい袋を・当日持って来るように」との指示であった。二三日後,日が暮れて広い撫順炭坑のコークス施設に巡らわされている鉄条網沿いに引率されて行った。先輩の一人が,角型の海中電池を持っていた。其の数十人以上の一団だった。ぺンチを持つ先輩が三段余りの鉄条網を切り,木切れで脱出口を確保した。一団は施設(野外)に向かって行った。手当次第にコークスを,唐まい袋に詰め込んだ。詰め込み過ぎて持つ事が出来なかった。(石炭は石の様に重く,コークスは石炭の半分の重量)持ち,背負う事が出来るまでコークスを捨てなければならなかった。これは照明の一切無い暗闇での作業であった。一団が,侵入した鉄条網の近くまで来ると,遥か遠い所で,ロシア語・中国語が入り混ざった怒声が聞こえてきた。そして高い所にある監視所,事務所らしき所からサーチライトが,鉄条網に沿って照らし出していた。無闇やたらに,マンドリン小銃を撃って来た。右方向から,左方向から撃って来た。パラランパラランと銃口から出る火矢が乾いた音が聞こえた。火矢の方向からは,未だ我々の方には向かっていなかった。先輩は云った。「逃げるのは今だ!」一団が,鉄条網の外側に逃げ,野積みにされている数多くの石炭の山の影に隠れ,暫く過ごした後,戦利品を背にして夜遅く,俘虜収容所に辿り着いた。以後は,撫順炭坑でのコークス徴発は中止され,撫順駅の線路沿いに落ちている石炭の燃え粕を拾い集め暖の料にした。私達を引率した先輩も,同行した顔見知りの少年達も,昭和20年の冬から21年にかけて,栄養失調・発疹チフスで死んでしまった。《国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁(のが)れん汝須(すべから)く一身の安堵を思はば先ず四表の静謐を祈らん者か》合掌 |
幸せを売るお店 幸治 泰代
天然石とビーズアクセサリーを作っています。 |
ローライ的な写真のお作法 広告写真業・幸田 青滋
時代の流れでしょうか。 |