“天上天下唯我独尊(pure pride)”   坂本 眞人

 佛教の教祖,釈尊がインドでB.C(紀元前)463年に誕生されたとき,右手を空に先し,左手を地に先して,「天上天下唯我独尊」と言ったとされる。「この世界中で,ただ我れ一人が一番尊いのだ。」と解釈できそうです。「お山の大将おれ一人」ともとれます。しかし,この言葉には深い深い意味があるそうなんです。
 世界中,いやこの宇宙全体で,自分という存在はただ一つしかないのだ。だから自分自身は尊い尊い存在なのだ。何十億年もかけて進化してきて,両親から命をもらった。それこそ奇跡の存在が自分なのだ。それだからこそ,自分と同じように,他人,いや,自分以外の他の存在も尊い尊いものなのだと解釈できそうです。
 他と比べて,自分だけが一番偉いのだというような自己中心の考えでなく,自分自身は宇宙一杯,普遍の存在で,小我にとらわれた自分でなく,自由自在な大我の存在であるという自覚,自尊の考えであると思います。
 「真の自尊心,純粋な自尊心,pure pride」は他と比べてどうこうということではなく,あくまで個人的なものであります。only oneのことです。釈尊の真意がここにあると思うのです。
 自分自身を大切にし,自分の個性を発揮し,自分自身を拠り所とし,自分自身を灯明とし,この大宇宙地球号の片隅で健気に「一隅を照らして」名もなく,貧しく,慎ましく,私は生きたい。

 計るだけダイエット 4            芝山 靖二

 普段いつもの体重は77kgですが,今年(2004年)ゴールデンウィークに体重計に乗ると80kgでした。これはいかんと思い一念発起「計るだけダイエット」始めました。以来七ヶ月ほど今現在70kgを前後しています。
 「折れ線グラフ」を右方下がりにしたいがため,したことは「腹八分目」とウォーキングだけ。ウォーキングについて言いますと,急ぎの仕事のない時だけ朝50分ほどやっていますが,何の用事もない目的地向かってただひたすら50分もの時間歩き続ける。アホらしくなってやめてしまいそうに何度もなりましたが,77kgからでも7kg,体重が7kg減るとどんな事が起こるかと言いますと,まずは,
 1.毎年8月に健康診断を受けてますが,ここ10年来,常に『高脂結晶』要検査でした。それが始めて正常値なっていました。
 2.いつも昼食の後3時ごろまで「胸焼け」がして,胃薬を良く飲んでいました。それがまったくなくなりました。
 3.食事を腹八分目にしているので,これだけしか食べれないと,言う思いからゆっくり味わって食べるようになり,何を食べても美味しくなりました。
 4.それからキツクなって,はけなくなったズボン,服,どれも楽に着れるようになりました。
 5.私は「睡眠時無呼吸」の傾向があるのですが,顔のまわり首のまわりがほっそりしてきて「いびき」をかかなくなりました。
 一見アホらしく,無駄な時間に見える50分のウォーキング時間,本当は私らの時間の使い方からすれば,最も有意義な時間かもしれません。

胃袋お大事に                  広永 敏巳

 あっという間に1年が暮れようとしています。今年も,子供たちの事件に驚き,眉をひそめました。
 通勤途中にあるいくつものコンビニでは,今日も,学生や生徒が駐車場にしゃがみ込み,ラーメンや弁当を食べています。
「もしかしたら,それ晩ご飯?!」
 子供の非行に関する話の中で,今も記憶に残っているのは,
「お母さん(家庭)が胃袋を握っていれば,大きな問題にまで発展しないで乗り越えられる。」
という内容です。
 まさにそうだろうと思います。これから,年末年始と家庭で食べる機会が多くなります。ぜひ,しっかりと胃袋の面倒をみてやってください。
 どこかのホテルのおせち料理より,味が薄いだの,形が悪いだのいいながら食べるおせちが,新しい年の,笑いの始まりになるのって,すばらしいことだと思いませんか。
 「お袋」さん,「い袋」よろしく頼みます。

阿波鳴門(二)               野口 一夫

 上一宮大粟神社並びに阿波井神社の祭神オオゲツヒメについて古事記等を参照して,考察したいと思います。
 前号で少し触れましたが,オオは賛辞,ゲは食物,ツは何々の,ヒメは高貴な女性と解釈される様に,食料,農業の神であったと考えられます。
 古代に於いて食料がどれほど重要であったかは伊勢神宮の内宮の天照大神が
「私が在るのは,外宮の豊受大神のお陰ですから,外宮から先にお参りください」と言われたことで伺われます。
 その豊受大神とオオゲツヒメ並びに宇迦之御魂は同一神と大日本神明辞書には書かれています。
 古事記上巻にはオオゲツヒメ並びに同一神は,7回も出てきます。
 国生みで2番目に生まれた四国は「伊予の二名の島」。伊は粟(オオゲツヒメ)と讃岐(イイヨリヒコ)で予は愛媛(エヒメ)と土佐(タケヨリワケ)となり,阿波には重要な名前が付けられています。
 また1番最初に子として生まれた,淡道(穂の狭別)は阿波への道と解釈され,阿波にはあらためて国生みのを必要としない古い時代から存在した淡島(子の数には入れない)があったと考えられます。
 ちなみに九州(筑紫の島)は4番目,畿内(大倭豊秋津島)は,8番目の最後に生まれています。古事記の舞台となる高天原等があるならば,それらの地域にあり得ないことと思われます。
 オオゲツヒメは須佐之男命により命を絶たれ,その死体から五穀が生え,その種を五穀の起源としました。つまり,須佐之男命は阿波にいたのです。
 その後,大年神の神裔(オオゲツヒメ)及び天孫降臨(トヨウケノカミ)で復活しています。
 また現在,出雲と呼ばれている場所は,国生みには書かれていないのです。阿波にあった出雲(海岸部)に住む大国主命が国譲りをしたのであり,それが現在の出雲に移ったと考えられます。
 出雲の石見国那賀郡の大祭天石門彦神社に行くと阿波の忌部がこの地に移住してきて開拓したと看板に書いてあります。