再び,茶道再び         藤井 久美子

 ひょんなことからお茶を習うようになった。そもそものきっかけは東京から福岡への飛行機で,隣に座っている人の手荷物を棚に上げてあげたのが始まりである。親しげな笑顔の中にも凛としたたたずまいの老婦人である。私は「これから九州に行かれるのですか? お帰りですか?」と尋ねると,息子さんが九州の大学で教授をしているので行くのだと言う。空港へはいつも車で迎えに来ています。息子は大学を出て商社に勤めていたが,急に辞めてアメリカの大学に留学して卒業しそこで教えていたが,嫁も日本人であるし何年か前に日本に帰ってきて九州に住んでいると言った。「こんなにお話していいですか」と私に言った。何でも突発性難聴で耳を患い,お医者さんから「飛行機に乗ったらしゃべるか,ガムでも噛むようにいわれましてね,おいやでないですか?」と言った。話をしていると,お茶(表千家)を教えていると言った。私は10年ほど前に京都でMKタクシー(MK青木社長の講演を聞いたすぐである)に乗り友人たちとその頃,話題だった佐川急便の社長が借りていた細川邸と,茶道,華道のお家元のお屋敷の前を通ってもらった時のことを話した。すると彼女は,利休に伝わる故事やいわれを詳しく話してくれました。表千家の玄関は4代目から紀州候お抱えであったので武家門である。お家元の家には内弟子で,大学を出て10年間,灰手前という千利休から伝わる炭火を守る人がいると言う,10年たったら全国をまわって教える師範になる。約450年もの間伝えた火,茶道の道という日本人の伝統と継承,精神性である。お茶の起源は室町時代と言われ,能や禅にも触れながら,歴史に関することも驚くほど詳しく,1時間半の飛行時間もあっという間であった。
 徳島へ帰ると早速,京都の表千家に電話して徳島でお茶を習いたいと言ったら同門会を紹介していただき,2004年1月から社会保険センターの茶道教室に通っている。お袱紗も30年ぶりに出したが忘れているので一からである。以前にはただ単に習ったのであるが,今は歴史的背景やしつらえのいわれなどを知りながら習うと本当に奥深く,楽しく習わせていただいている。
 さる11月28日,瑞巌寺において合同茶会があり,石州流の茶席に行かせていただいた。ご亭主は袴を着けた男性であった。瑞巌寺の庭は紅葉がとてもきれいで楽しく散策をした。

 答 え                 中山 佳那子

  何かがあると自分に言い訳ばかりしてた。
 周りのセイにばかりして,
 確な答えがでなかった・・・
 そんなことをしていると,
 気付いたときには自分をもつことを忘れた
 自分がいた・・・
 だから多分。
 自分をもつということが
 本当の答えなんだと思う

種 を ま こ う           中山 昌男

 新年に当たって,世界の平和と人類の幸せをお祈りいたします。
 地球は365日休まずに回り続けている。私たちの体も心臓やすべての細胞も一日も休まず働き続けてくれている。ありがたいなーと思っています。
 私たちはすべての生き物から愛され生かされている。愛とは命そのもののことのように思える。
 その尊きいのち私たちの家族ミーが亡くなった。半年前からおなかに腫瘍ができていた。低濃度の放射線カタカナでホルシミスのゼルを塗りながらずいぶん生き続けていてくれていた。しかし,あまりの苦しさを見て動物霊界に帰ってしまえばいいと思ってしまった。
 夜帰ると死んでいた。私とミーとの間でテレパシーで理解しあっていたようである。動かなくなったミーをジーと見ていると,コタツの上になにやら滴のようなものがぽたぽた落ちている。
 なんだろうと思ってみてみると,私の前から涙が落ちていた。
 もう痛みのない一体の世界へ誕生していったのに,悲しみがとまらなかった。不思議な世界3次元あらゆる感情を体験できるこの世界の次元上昇するために私は種をまこう新しき年に当たって,私はよきことだけを想おう,自分も人も喜び合えるような言葉を語ろう。私は種まき人。

 縄文人とドングリとネイティブアメリカン
                         蜂谷 やす子

 縄文時代の遺跡の80%が東日本に分布。それは東日本のナラ樹林帯にあったとか……。
 ドングリ,クリ,クルミ,トチノ木。魚や獣の肉は長期保存は無理だけど,木の実は乾燥さえすれば保存可です。クッキーにしたりパンにしたり。ドングリの皮を取り,砕いた実をアクが抜けるまでしっかり炊く。穴をうがった岩の上で石を使って皮を取る。
 その状態と同じようなのが,カリフォルニアのサンタローザにある岩。その岩にネイティブアメリカンが,ドングリを粗挽き粉にした沢山の穴が残っているそうです。縄文の村と同じ場所の写真かと思う程,似た状態です。もっとも,白色人種も常に肉を食べるようになったのは,近年のことらしいのですが……。
 昔,ネイティブアメリカンは部族が集まり,ドングリ祭りを行う。
 「ドングリくるならダンスと歌だ。地球にもらって地球に返す,そして地球に感謝を捧げる。」と祈る。
 自然と共存共栄。自然に感謝。家族が食べるのに必要最小限な量だけ取り,後は狩猟して暮らしていた。
 神に祈りを捧げ,部族が助けあって生きる。ネイティブアメリカンと縄文人―――共通した生活形体,習慣です。