出張美容車はっぴー号 藤井 久美子
2トントラックを美容室に改造して病院,施設に出張するようになって,早,2年が来ようとしている。開業にあたり保健所に美容室開業届を出すのは,一般美容室と同じである。以前からボランティアでカットの練習がてらに初級技術者が,休日に老人ホームや施設に行っていた。施設の娯楽室の隅っこで,折りたたみのパイプイスに座ってカットする。そこにはおしゃれ心も,くつろぎやおもてなしもなく,伸びたから切る,爪と同じである。おまけに,後ろから頭だけを見ればお爺さんかお婆さんかわからない…ということにもなりかねない。施設の職員さんはできるだけ短くというし,清潔第一というか,効率重視であるし,カットする美容師も無料奉仕なので,やっつけ仕事になりがちであった。そんな時,美容関係の雑誌でモバイルビューティショップの記事を見て,出張美容をするようになりました。今まではお客様が来るのを待っていた経営から,営業に廻り,訪問先を契約してくるという,それまでとは違った戸惑いもあったが,新聞やテレビ,雑誌にも取り上げられ,いろいろな方の紹介やご縁をいただきながら,西は貞光,南は宍喰と廻らせてもらっています。 |
おせち料理 坂東 孝代
今年は,都会からの帰省ラッシュ・道路渋滞とのニュースもあまり聞かなかったように思う。我が家も穏やかなお正月を迎えることができた。 |
土器とネイティブアメリカン 蜂谷 やす子
先回は,食料としてのドングリの話でした。では容れ物としては何と縄文土器と非常によく似ているとか……。「輪積み紐作り」。ろくろを使わず,土をこね,縄状に細長く延ばす。底からぐるぐる巻き上げ表面を整えていく。乾かし,焼いてから絵付け,釉薬を使わぬ素焼きの土器。現在のネイティブアメリカンは居留地にいる人々でさえ,生活様式はアメリカナイズ。土器は使わない。何でそこに縄文土器と似ているなど,見てきたようなことを!とM氏など,せせら笑われるでしょうが……。ところがナバホを訪ねた観光客のお土産として昔ながらの手法で作られているそうです。中学生の頃。北米アメリカの歴史なる図鑑を見ました。日本のアイヌや縄文人の図柄やんかー。そんな感想がありました。ボーイフレンドに感化され,アメリカ民謡に入れ込んでしまいました。神戸アメリカ文化センター。定期を買って通ってましたっけ。もちろん親には図書館での友人との受験勉強といって。それはそっちのけで,歌詞を訳したりログハウスの造り方を訳したり。六甲の山奥に他人の土地に木を切り倒し,もどきの小屋を造りバーベキューやシチューを作りコーヒーを沸かし(西部劇の金物のカップです)ブルーグラスを楽しみ,ウエスタン気分を満喫していました。国籍もいろいろ。年齢もいろいろ。勿論私など,一番下っ端。ジャリンコと呼ばれていましたっけ……。ロストシティという店に集まってくる仲間。今日は仔牛の肉のカタマリが手に入ったよ!という見習いコックが耳打ちすると,あっという間にメンバーが決まる。軽自動車に乗れるだけ乗る。暗闇にまぎれ,夜中に六甲のヘアピンカーブをひた走るのです。楽しかったなぁ……。ま,当然大学は不合格でした。おっと,えらい脱線! その図書館で本を片っ端から読みあさり,イヤッ英語だったので見あさり,インディアンの縄文らしき土器片や,造り方。写真や服装(貫頭衣様)の載った本を何冊も見てました。現在では縄文人が海路移動している証拠はいくらもあります。手元にスクラップしたものが見当たらないのですが,思い出しながら書きます。ベーリング海峡5000年くらい前。渡海。赤道直下の南米ではエクアドルで縄文土器が見つかっている。南太平洋のバヌアツでは何と三内丸山の土器と全て同じ鉱物添加物と組成,量も一致。つまり突然いなくなった彼らが土器をもって太平洋の島にも寄っているのです。在来の日本人学者が調べています。ちなみに太平洋考古学とかいうそうです。鹿児島あたりの山も噴火した時,一部の縄文人も南米迄行っているとか。スミソニアン・インステュートのエバンス博士が九州から出土した土器と比較データを出しています。三内丸山から出土した縄文ポシェット。これと同じものを今も作っている部族もいます。彼らはその袋に肉や魚の類を入れ,乾燥させて保存食としているらしい。食はひとつの文化。古代のインディアンが縄文人と同じ食文化ということでしょう。白人のGO TO WESTが終わる頃迄。詳しくは次回を待って下さいネ。 |
★あけましておめでとうございます★
ベル ヒロエ ベルファミリーです(*^_^*) クリスマスとお正月はスコットの両親が居るヒューストンで迎えました。クリスマスは盛大に祝い,と〜っても楽しかったです! しかし,お正月はお正月と思わないくらいに過ぎてったのでチョット寂しかったです(>_<)。紅白,おもち,年越しそば,年賀状,ってのが懐かしいです。
|