出張美容車はっぴー号      藤井 久美子

 2トントラックを美容室に改造して病院,施設に出張するようになって,早,2年が来ようとしている。開業にあたり保健所に美容室開業届を出すのは,一般美容室と同じである。以前からボランティアでカットの練習がてらに初級技術者が,休日に老人ホームや施設に行っていた。施設の娯楽室の隅っこで,折りたたみのパイプイスに座ってカットする。そこにはおしゃれ心も,くつろぎやおもてなしもなく,伸びたから切る,爪と同じである。おまけに,後ろから頭だけを見ればお爺さんかお婆さんかわからない…ということにもなりかねない。施設の職員さんはできるだけ短くというし,清潔第一というか,効率重視であるし,カットする美容師も無料奉仕なので,やっつけ仕事になりがちであった。そんな時,美容関係の雑誌でモバイルビューティショップの記事を見て,出張美容をするようになりました。今まではお客様が来るのを待っていた経営から,営業に廻り,訪問先を契約してくるという,それまでとは違った戸惑いもあったが,新聞やテレビ,雑誌にも取り上げられ,いろいろな方の紹介やご縁をいただきながら,西は貞光,南は宍喰と廻らせてもらっています。
 12月28日はっぴー号に乗ってM町のU病院へ出張美容の手伝いに行きました。晦日の28,29,30日は,美容室は最高に忙しいので,店から美容師を出せなくて私の久々の出番でした。いつもはっぴー号を運転してくれている岡田さんと二人で10人のお客様のカットやパーマ,カラーをしました。ディサービスに来ている元気な方や,点滴を下げて来る方,痴呆が進んでいる方,いろいろな方が来店されます。この日は痴呆と思っていたおばあさんがカットが終わったとき,「きれい!」と突然叫びました。歯がなくて,聞き取りにくい声でしたが,私にはそう聞こえました。岡田さんもそう聞こえたといいます。次に寝たきりの方が病室でカラーを希望されているので,病室へ行きました。喉を切開して呼吸器をつけていました。私が入っていくとベッドの上で両手を合わせました。看護師さんが3名いて,ベッドにナイロンを敷いてくれたり,患者さんの体位を変えて,カラー剤が塗布しやすいように手助けしてくれました。ベッドの周りには医療機器があって,頭の方に立って塗りました。15分ほどおいて,車椅子でハッピー号に来てシャンプーとカットをしました。勿論,酸素を付けています。20分しか持たないので補助ボンベも用意していました。カット,カラーがきれいに出来,その方にとっては,大仕事が終え,体力が消耗したように見えましたが,「きれいに染まりましたよ」と合わせ鏡でお見せした時,目は満足そうでした。後で看護師さんに「どのようにしてカラーしたいと言ったのですか?」とお聞きすると,「あいうえお表を指して言うのよ」と言いました。健康であれば何でもないカラー&カットをすることが,状況が変わると,大袈裟に言えば命を懸けてすることになる。それほどあの方にとって価値があったのだろうか? それとも,医療機器に囲まれた病室からのつかの間の脱出?か。何はともあれ,当たり前のことが当たり前に出来ることに感謝した一日でした。

おせち料理                  坂東 孝代

 今年は,都会からの帰省ラッシュ・道路渋滞とのニュースもあまり聞かなかったように思う。我が家も穏やかなお正月を迎えることができた。
 最近は,元旦からスーパーマーケットや飲食店も営業しており何でも買うことはできるが,普段は油炒め,鍋物など時間のかからない料理を作ることが多く,それぞれに忙しい毎日を送っている家族にとって,「おせち」は手間と時間を費やすものではあるが,家族に合った味付けでお正月のめでたさを満喫することができ,くつろいだ時間を過ごすことができるものであった。
 おせちにはかかせない黒豆・数の子・田舎づくりは,おとそやお神酒に添える「祝い肴」3種として江戸時代に定着したようです。幼い時のおせちとは異なって,今は食材も豊富になったが家族で食べた幼いころからの味は年をとるにしたがって懐かしく思い出すものです。こどもにも我が家の味を伝えられるよう,続けたいものです。

土器とネイティブアメリカン     蜂谷 やす子

 先回は,食料としてのドングリの話でした。では容れ物としては何と縄文土器と非常によく似ているとか……。「輪積み紐作り」。ろくろを使わず,土をこね,縄状に細長く延ばす。底からぐるぐる巻き上げ表面を整えていく。乾かし,焼いてから絵付け,釉薬を使わぬ素焼きの土器。現在のネイティブアメリカンは居留地にいる人々でさえ,生活様式はアメリカナイズ。土器は使わない。何でそこに縄文土器と似ているなど,見てきたようなことを!とM氏など,せせら笑われるでしょうが……。ところがナバホを訪ねた観光客のお土産として昔ながらの手法で作られているそうです。中学生の頃。北米アメリカの歴史なる図鑑を見ました。日本のアイヌや縄文人の図柄やんかー。そんな感想がありました。ボーイフレンドに感化され,アメリカ民謡に入れ込んでしまいました。神戸アメリカ文化センター。定期を買って通ってましたっけ。もちろん親には図書館での友人との受験勉強といって。それはそっちのけで,歌詞を訳したりログハウスの造り方を訳したり。六甲の山奥に他人の土地に木を切り倒し,もどきの小屋を造りバーベキューやシチューを作りコーヒーを沸かし(西部劇の金物のカップです)ブルーグラスを楽しみ,ウエスタン気分を満喫していました。国籍もいろいろ。年齢もいろいろ。勿論私など,一番下っ端。ジャリンコと呼ばれていましたっけ……。ロストシティという店に集まってくる仲間。今日は仔牛の肉のカタマリが手に入ったよ!という見習いコックが耳打ちすると,あっという間にメンバーが決まる。軽自動車に乗れるだけ乗る。暗闇にまぎれ,夜中に六甲のヘアピンカーブをひた走るのです。楽しかったなぁ……。ま,当然大学は不合格でした。おっと,えらい脱線! その図書館で本を片っ端から読みあさり,イヤッ英語だったので見あさり,インディアンの縄文らしき土器片や,造り方。写真や服装(貫頭衣様)の載った本を何冊も見てました。現在では縄文人が海路移動している証拠はいくらもあります。手元にスクラップしたものが見当たらないのですが,思い出しながら書きます。ベーリング海峡5000年くらい前。渡海。赤道直下の南米ではエクアドルで縄文土器が見つかっている。南太平洋のバヌアツでは何と三内丸山の土器と全て同じ鉱物添加物と組成,量も一致。つまり突然いなくなった彼らが土器をもって太平洋の島にも寄っているのです。在来の日本人学者が調べています。ちなみに太平洋考古学とかいうそうです。鹿児島あたりの山も噴火した時,一部の縄文人も南米迄行っているとか。スミソニアン・インステュートのエバンス博士が九州から出土した土器と比較データを出しています。三内丸山から出土した縄文ポシェット。これと同じものを今も作っている部族もいます。彼らはその袋に肉や魚の類を入れ,乾燥させて保存食としているらしい。食はひとつの文化。古代のインディアンが縄文人と同じ食文化ということでしょう。白人のGO TO WESTが終わる頃迄。詳しくは次回を待って下さいネ。
 元ネタを見たい人は整理でき次第OKです。私もこんなん知ってる,資料あるっていう方,ご一報を!

あけましておめでとうございます
                            ベル ヒロエ

 ベルファミリーです(*^_^*) クリスマスとお正月はスコットの両親が居るヒューストンで迎えました。クリスマスは盛大に祝い,と〜っても楽しかったです! しかし,お正月はお正月と思わないくらいに過ぎてったのでチョット寂しかったです(>_<)。紅白,おもち,年越しそば,年賀状,ってのが懐かしいです。
 今月でソフィアは4ヶ月になります。只今ソフィアは寝返りの特訓中です(^_-)-☆ 実はソフィア,15ヶ月の赤ちゃんと同じ体重があり寝返りも大変そうです(^^♪ アハ。