「心の中の四大聖人」(1)イエス・キリスト様    坂本 眞人

 世界の歴史をみてみますと,人類の偉大な指導者が何人かいます。特に日本で定説になっています四大聖人について,癒しの言葉を中心に書いてみたいと思います。今回は,ローマ時代の地中海地方のガリラヤの町ナザレに生まれたイエス・キリスト様についてであります。彼がオリーブ山でおこなった説教に“山上の垂訓”というのがあります。

○心の貧しい者こそ幸いなれ
 なぜならば,天の御国はその人のものだから。
○悲しむ者こそ幸いなれ
 なぜならば,その人は慰められるであろうから。
○柔和な者こそ幸いなれ
 なぜならば,その人は地を相続するであろうから。
○義に飢え乾いている者こそ幸いなれ
 なぜならば,その人は満ち足りるであろうから。
○あわれみ深い者こそ幸いなれ
 なぜならば,その人はあわれみをうけるであろうから。
○心の清い者こそ幸いなれ
 なぜならば,その人は神を見るであろうから。
○平和をつくる者こそ幸いなれ
 なぜならば,その人は神の子どもとよばれるであろうから。
○義のために迫害されている者こそ幸いなれ
 なぜならば,天の御国はその人のものであろうから。

 以上の山上の垂訓の中で
○悲しむ者こそ幸いなれ
 なぜならば,その人は慰められるであろうから。
という一章は,私にとって想い出に残る一章となりました。
 始め,「悲しんでいる者こそ幸いです」というメッセージにビックリしました。どうして悲しんでいる人が幸いなのか悩みました。何か逆説的で理解に苦しむ言葉です。しかし,よくよく考えてみますと,喜んでいる人や幸福な人には慰めなんていりません。慰めや励ましやサポートは悲しんでいる人にはキット慰めがあるのだから,幸いなのですよ」というメッセージだったのです。
 かつて,全盲(中途失明)の方が,「善良に生きている人間になぜ不幸がやってくるのでしょうか」と質問されたとき,答えに窮しましたその時にこのメッセージが思い浮かんだのです。
 “悲しむ者こそ幸いなれ。なぜならば,その人は慰められるであろうから。”
 その方はこのメッセージに得心されたのでしょう。その後同じ質問はありませんでした。今でもイエス・キリスト様には感謝しております。

 チャンネル       中山 昌男

1チャンネルを押すと四国放送が映る。
108チャンネル[煩悩]に,あわせると,いやな映像があらわれる。
私の,意識がどのチャンネルに合わせるかで,
世の中の見え方が変わってくる。

では,宇宙のチャンネルに周波数をチューニングしたら
愛や平和,悲しみや怒りのチャンネルに,合わせても
みんな,いい事なのだろうか。
しかし,コズミックチャンネルに24時間チャンネルしつづけるのは,難しい。

では,とりあえず想念の次,言葉に波動を,あわせてみよう。

魔法の言葉,
全てのすべてを,ありがとうございます。

カミとトウヒ 5    田上 守

 前回は,毛包の構造についてでした。その続きで毛包の外側の結合組織性組織成分ですが,よく調べてみるとこれも2重の構造になっています。外側の細胞は縦にはしっており,内側の細胞は輪状にとりまいています。これは毛母細胞から作られているのではなく,真皮(ヒフ組織の1部)細胞からつくられています。
 ヘアーサロン タガミ

讃岐の空〈3〉   村上 哲史

 「次はー,南小松島,南小松島」
 ぼんやりとした意識の中で,何度目かの車内アナウンスが聞こえてきた。窓の外には見覚えのある景色。その一番奥に鎮座している標高191mの日の峰山がいつもより青く見えた。
 日の峰山は,ボクにとって特別な山である。2才の誕生日を迎える前からリハビリのため毎日のようにひのみね学園に通うなか,日赤前でバスを降り,日赤を通り抜けると,必ずこの山が四季折々の表情でやさしく出迎えてくれた。そして,小学校に入学と共に寄宿舎生活を初めて以来30数年間,ボクの肩越しには必ずこの山があった。日の峰山はボクの総てを知り尽くしているように思えてならない。
 そんな日の峰山が駅舎に隠れる。列車はゆっくりと止まり,扉が開いた。
 と同時に,勢いよく学生らが乗り込んでくる。男子もいれば女子もいる。日曜日だというのにほとんどが制服姿だ。大きな鞄をさげている者もいる。クラブ活動に向かうのだろうか,それとも何かの検定でもあるのだろうか。
 思えばボクには通学の経験がない。小中高と全寮制で,寄宿舎から廊下をほんの50mも歩くと教室があった。教室は夜も休日も勉強部屋として解放されていたため,終日そこにいることも多かった。むろん勉強などしている者はほとんどいない。友達と喋ったりゲームをしたり・・・。制服を着ることもなかったし,学校と寄宿舎の境目など無いに等しかった。
 高校に進学する時,地元の高校に行くかそのままひのみね学園に残るか迷ったことがある。結局ひのみね学園に残り,今もその判断に間違いなかったと思っているが,時々,「あのとき違う道を進んでいたらどうなっていただろう」と思うことがある。制服姿で楽しそうに会話している彼らがものすごく新鮮に見えたのもそのせいかもしれない。
 スカートから伸びる細い足を眩しく映す朝日が,またゆっくりと動き始めた。