雪のアッペンツェル         松林 幸二郎

 スイスは3月に入って絶え間ない降雪と厳寒に見舞われております。アッペンツェルのアルムの中腹に建つ私たちの住まいである旧い農家は,いま深い雪と寒気に覆われて銀世界の中にあり,ときには腰まである雪の中を泳ぐように我が家にたどり着くこともあります。はじめはいつものように5〜6年住むつもりが,住み着いて15年になってしまいました。建って250年以上経つIsolationしていない農家は百年以上たつタイル張りの暖炉が主たる暖房設備で,家内が朝5時と夕刻に薪をくべて暖をとります。5〜60年前では当たり前だった生活が,いまではスイス的水準から離れた極めて原始的な生活様式といえるかもしれません。寒さは身に沁みますが,地球上,住む家がなく,食物や水に事欠く人たちが人類のおおきな部分を占めている悲しい現実を考える時,焼べる薪があって,飢えることも渇くこともなく戦火に怯える必要もない私たちの生活はなんと恵まれているのだろうと,今晩も家内と話しました。
 幼い娘が3人居間で勉強(小さな居間が家の中で唯一暖かな部屋)し,遊べ,3度の食事を家族一緒にとり,戸外でそり遊びやかまくらつくりに精をだしていた生活には,セントラルヒーティングの近代的な住まいにはない,私が無意識に夢見た本来の“家族”の生活があったように思えます。その娘たちも巣立った今,私たち夫婦もいつかは出るこの家でしょうが,居間から望めるアルプシュタインの夢かとみまがう美しいパノラマの眺望と,冬寒い住まいであるけれども自然に密着した今の生活を,たまらなく懐かしく思い出すことでしょう。

ムカデのはなし  たかしま れいこ

 前回書いたように,私は足のないハ虫類は大の苦手ですが,足のたくさんあるムカデは平気です。でもかまれるのは困ります。手の甲をかまれたときは,ひじまで腫れてかゆくてたまらず病院へ行きました。それをみてKさん(私のダンナ)は
 「俺はムカデに強い体質で免疫ができているから,かまれても大丈夫だ」といいます。チクッと痛いぐらいで,それで終わりだそうで,いいなあ〜…と長年うらやましく思っていたのですが…。
 おとどしの6月のある早朝5時頃,Kさんが私を起こします。
K「ムカデに首をかまれた…」
私「病院開いたら行ったら?(病院嫌いだから言っても無理だろうな)」
K「救急に電話して」…
 このあたりでやっと私の眠い頭がさめてきて,よ〜くKさんを見ると,顔は赤くふくれて全身つぶあんのぼたもちのようにぶつぶつぼこぼこです。とにかくかゆく,おしりの穴の奥までかゆい!!そうですが,ムカデで救急車はちょっと…とぐずぐずしていると,
K「夜間診療している病院に消防署から連絡してもらうだけでいいから。そうすれば行ったらすぐ診てもらえるから。」と言うので,勇気をだして電話しました。ドキドキしました。でも署の人はとても親切で,「気をつけて行ってくださいね」とのことでほっとしました。
 すぐに出発です。石井の病院です。運転手はKさん(!)です。(私が運転すると言ったのにことわられた。でも心配だったのでむりやりついていった。)点滴を3時間ぐらいしたらだいぶマシになって8時半ごろうちに帰ってきました。途中消防署にも寄って,ちゃんとお礼も言いました。朝日が眩しく眠い…。
 ムカデをあなどってはいけません。ショック症状をおこしたり気管がはれて詰まってしまうこともあるそうです。軽くても顔がゾンビになります。入院など大事にならなくてよかったです。
 でもKさん,ゾンビ顔でもちゃんと話することできたのに,どうして自分で電話しなかったのでしょう…? 消防署でお礼を言ったのも私です…。

次男の卒業式      藤井 久美子

 3月20日は次男の大学卒業式で,前日より着物を持って蜂谷さんの車に乗せてもらい大阪に行った。興味深いセミナーを聞き,終わっていつも携帯メールの“得宿じゃらん”で簡単にホテルが取れるのだが,さすが三連休のこの日は京都にはなくて,大阪,守口のホテルになった。蜂谷さんのご実家の近くらしく,夜の遅くに送っていただき,助かりました。翌朝,何とか,着物を着て,京都に着いて,次男とは会場で会うこととなりましたが,早く会場に入らないと別会場のスクリーンを見ることになるので,栄光館に入りました。明治初期に造られたのでしょうか。国の重文だそうで,レンガ造りで床や階段は大理石が使われ,磨り減って丸くなった階段は年月を感じました。卒業生は一階,父兄は二階で立ち見までいて,満杯の中,荘厳なパイプオルガンの演奏が流れ,式が始まりました。賛美歌,牧師の祝福,学長の式辞と進み,「校祖,新島襄が1864年,国禁を犯して函館より,アメリカ,ボストンに渡り,勉強し,岩倉使節団の通訳として,ヨーロッパを視察して…」と建学精神に触れながらのお話をされました。このあたりは文理に行くと村崎さいさんのお話を理事長がするのと同じでした。
 一時間で式は終わり,外へ出ると,花束を持った振袖や袴姿の卒業生がいて,とても華やかでした。次男とは門の前で落ち合って,一枚写真を撮ると「ほな,ゼミの仲間が待っとるけん」と急いで行ってしまいました。この後,京都近代美術館で河井寛次郎の陶芸を見に行くと,着物を着ているので団体割引料金で入れました。3月21日まで京都では「着物を着て京都に行こう」キャンペーンをやっていて,普段より着物姿の人が目につきました。

縄文人とネイティブアメリカンの習慣 蜂谷 やす子

 彼らのことを雑文にしていると,こんなのもありマスと本が届く。今回はその中から……。
 ある部族には文字がなく,重要な出来事を樹の皮にしるす。絵にして描きつけ保管し,15年後に一度開く。その時傷みの激しいものは新しいのに写し替える。何か日本の古史古伝の伝え方のような……。
 古代から伝えられた信仰,人が従うべき道。
 医療や薬草の知識,色んな行動や技術は女性のうたう歌や長老の話す物語の中で繰り返し伝えられていく。子供の頃から見て,聞いて,行動して知恵になるのでしょう。
 神話やおとぎ話,冒険ものなど年寄りたちが夜火を囲んで子供達に語りつなげる。人間関係の大切さも学んでいきます。生きるってことはひとりの力だけでは無理だから。力を合わせて助け合って共に暮らす。自然と一体となり崇拝し,地球と宇宙とつなぐ。「生命を動かす根源の力と存在」を大切にしたN.アメリカン。豊作を願い,狩りや豊漁のために踊ったり祭りをしたり。まあ縄文人もこうだったんだろうと思える。遺伝子もアイヌと縄文人。アイヌとは古代インカのミイラと現ペルー人,ほぼ同じとか。アイヌとN.アメリカンはどうなのでしょう。読み返してみると,先日,見学に行って阿南の宮ノ本遺跡の竪穴式住居で暮らしていた人々のことが思い浮かんできます。
 人間の根源的なものは同じだけど,何か特定の共通したものが思えるのです。もっとこの本を読み込んでみようと……。
 ※注※アメリカインディアンに学ぶ子育ての原点(アスペクト)画がいっぱいで楽しい本です。