すべての思いを家族に 7 親孝行のつながりを大切に
                               田上 豊

 捨老?老人を捨てる時代があったのですね。食べる物が少ない時代の事です。若い人を育てるために,老人が犠牲に成ったのです。
 楢山考の親孝行の話の中で捨てられる老婆が我が息子孫達が帰り道に迷う事ないように小枝を折る場面があります。折れた小枝を目印に降りればふもとにたどり着く訳です。
 又,老婆を捨てて帰ろうとすると一緒に来ていた孫息子が,今老婆を背負うてきた荷物乗せを持って帰ろうとします。親が「そんな物なににする」と尋ねると「これお父さんを又,捨てる時に必要と思い持って帰ります。」ここで自分も捨てられると息子は自覚するのです。
 老人は多くの体験又,経験をしてきています。若い人に無い生活の知識や言い伝えなどを知っています。
 日本の地震の場合津波が来ることを老人は知っています。この様に生活に役に立つことが理解されるように成ってきました。
 養老の始まりです。老人の知恵や知識が若い人たちの生活に無くてはならない多くのことがあります。このころから老人を養うようになってきました。
 親を大切にするのには,この様に時代の変遷が在りました。家族の絆又,繋がりを実感する時代でもあります。

       次回は養老の進歩と敬老の狭間

自由な時間       相原 雄二

 この阿波の地では昔から1日は24時間と決まっている。よくよく考えると日本のみならず世界各国不思議なことに,1日は24時間になっているようだ。ところで平等に与えられている貴重な1日の今日という時間をどのように使っているかを,ふと考えてみた。アバウトではあるが,1日を3等分すると8時間である。まずどなたも多少の差はあるにせよ,1日の3分の1は睡眠の時間を摂る。残るはあと3分の2,16時間。子供さん,学生さんは学校へ行ってお勉強する時間,大人であれば特別な人以外は職業を持ちお仕事する時間が3分の1になる。さて残された1日の3分の1,8時間というすばらしい時間を,皆さまどのようにお過ごしでしょうか。
(1)パチンコ,カラオケ,ゲートボール等々,飲んだり食うたり遊んだり,この時間は自分に与えられた自由な時間として自分のみの欲望を満たす快楽についやす時間とする人
(2)高学歴,地位,名誉,財産を得るため一所懸命努力する時間とする人
(3)自由に使える自分の時間を,自分と自分をとりまく身近な方を始め,関係するすべての方が,安心とよろこびを感じていただけるような時間として楽しむ人。以上大雑把な言い方ですが,3つのタイプに分けられると思いますが,さて,あなたはどのタイプになるかな? 法に触れなければ3つのタイプどれを選んでも,もちろん自由な私たちです。人生100年として両親より50年余り前に,この世に人間として生を受け半世紀を生かしていただいた今,この私はどのようなタイプで時間を過ごして来たのだろうか。またこれからの人生,どのような時間を過ごそうとしているのかをじっくり問いただしてみようと思う,今日このごろです。

論争の焦点「永遠」について     渡部 厚子

 永遠という言葉を聞くと巨大なドーナッツ型がポッと頭に浮かぶ。どうもメビウスの輪の方が真実に近そうだが……。
 ドーナッツ型を外から見るのは,何とも平気である。けれど無限に大きいその虚空の中を終わりもなくひとり辿ってゆく自分の姿を真剣に想像すると実に恐ろしい。たまに考えるのだけど真底恐くなってめまいがしそうで途中で止めてしまう。
 私達は永遠の一部を生きるだけなのか,それとも丸ごと生きているけど忘却しているのか? 仏陀は永遠の輪廻からの脱却を説いた。お釈迦様も恐かったのか? イエズス・キリストは「永遠の命」を約束する。イエス様は恐くないよと私達を招いているのだ。
 仏陀にとって永遠は周知の事実であり,イエズスにとっては彼らの贈り物といった様子である。
 我思うに,私達は弱さのゆえに永遠をこま切れで与えられているのではないか。昨日と今日の間を眠りが分かつように,そして「永遠の命を得る」とは,永遠という途方もない時間とそれに付随する諸々の現象や出来事を理解し,受け入れ,それをイエズスを頼りに生きる覚悟が出来たことを意味するのではないだろうか。そしてその時,未来へ過去へと目がパーッと開かれるのではないだろうか。

わだばゴッホになる            森 直哉

 今回は,日本を代表する芸術家の一人。棟方志功について,書きたいと思います。タイトルにもある通り,棟方志功は青森出身です。ズーズー弁がひどく,標準語を話す人には何を言ってるかわからなかったそうです。
 ある日「画家で一番は誰か?」という問いに棟方の友人が「ゴッホだ!!」との返答をしたそうです。そこで棟方は「わだばゴッホになる!!(私はゴッホを目指す)」という志を胸に,東京に上京します。
 油絵,水彩画など色々勉強をし描いてみますが,超ど近眼の棟方には,どれを描いても輪郭のはっきりしないぼけた絵になってしまいました。
 画家を志すのに,何を描いてるかわからない絵ということで人から笑われていたそうです。
 悔しい気持ちをもって勉強に励んでいたある日,青森近郊の果樹園を想像で描いた「雑園」が帝展にて初入選!! このころから友人の紹介から,版画を学びます。
 以後,代表作「釈迦十代弟子」などの大作を作り上げます。
 なんだか,今回は棟方志功の歴史になってしまいましたが,次回はもっと棟方自身の人間性というか魅力を描きたいと思います。