阿波の鳴門(五)                野口 一夫

 いよいよ大麻町へ進みたいと思います。まず県下一の社格を誇る阿波一ノ宮の大麻比古神社があります。境内には樹齢1000年と言われる楠があり,歴史と風格を感じさせてくれます。鳴門萩原1号古墳が発見された平成12年当時の徳島新聞によると天日鷲命の後裔の大麻比古神に関係する古墳で,奈良ホケノ山古墳よりもりっぱな造りである。また,ホケノ山古墳に埋葬されている人物は阿波にゆかりの深い人物とも紹介されています。古事記では島生みで四国のことを伊予の二名の島と表現されイの国(阿波と讃岐)とヨの国(愛媛と土佐)に分かれていたと思われます。イの国の中心は現代地図の東四国版を見ますと神山を中心に大きな円上にイの鼻(一部淡路を含む)があり神山にはイの頭があります。このことから天照大神の時代はイの国の中心は神山であったと考えられます。
 記紀には神武東征の倭進行の物語が記されていますが,倭国はヤマトコク・ワコクと読まれますが最も無難にイコクとも読むことができます。神武東征時代の倭国(イの国)は大麻町を中心とした東阿讃山系に移ってきたと考えられます。理由は大陸との交易を考えてのことと推測されます。神武東征の案内をした渦彦(シイネツヒコ)は東征後,倭の祖となりました。このことから阿波一ノ宮の大麻比古神社の祭神大麻比古は渦彦であると考えられます。
 弥生時代後期の高地性集落のカネガ谷遺跡,葛城王朝名残の葛城神社,香川県津田町の難波,大坂峠等,記紀に書かれた神武東征の状況が伺われます。こう考えると今まで不明であった欠史8代とか言われていることは解明出来ます。
 10代天皇の崇神天皇(ハツクニシラススメラミコト)は初めて大倭つまり奈良で朝廷を築いた天皇であることが伺われます。

ごはんが美味しいなぁ      幸田 青滋

 日本人の食生活の柱は「米」・ごはんであります。比較される食品として「麦」・パンがあります。一日3食の合計でどっちがどれぐらいのシェアをとか話題にもなります。
 私は米と麦,ごはんとパンどっちも大好きでして共に全くの無塩でも美味しく飽きずに食べられるのが共通点です。
 美味しいの判断目安で舌に感じる「甘い」「からい」「苦い」「酸っぱい」があります。それとは全く別で鼻で感じる「香り」が存在致します。舌と鼻の感覚が混ざり加えて歯触り・食感・のどごしなどが評価され美味しい意識が発生するメカニズムだろうと思います。どちらかと言えば味より香りの方が高度な感覚と思いますがごはんとパン,ではうどんのポジションはどこなのでしょうか?

誕生日に思う      相原 史朗

 3月も早いもので下旬にさしかかりました。タンポポの花も見かけるようになり,春を実感しつつあります。とは言え,三寒四温とはよく言ったもので,暖かいかと思ったら急に寒くなったりするのでファンヒーターは未だに稼働している今日この頃です。
 この19日で僕は一つ年をとります。子供の頃は,同じ年でも自分の誕生日が遅いと言うこともあり,遅生まれの人を羨ましく思っていました。でも,最近は逆の心境に!?なっているような気がします。誕生日が遅いほうが良いように思えてきまして・・・誕生日そのものは嬉しいのですけど・・・そんなこと書いてる自分がそんな歳になったとでも言うことでしょうか?(苦笑)

年と共に        山本 シズ子

 苦労した分,世の中の事が分かって来る。世の中の人々の今の幸せな人も,そうでない人も,自分が長い間使って来た心だと言う事に気が付く。
 やはり人間には避けて通れぬ人道と言う道がある。その人にかかって来る。何事でも避けずに進んで嫌な事でもその事柄に向き合って行かなくてはならないと言う事がわかって来た。
 その人に出来る事しか神さんは与えない事だと思う。
 向かって行ける人に苦労を与えるので,人生,苦労ばかりではない。
 乗り越えた時,その分だけ幸せな事が持っている事だと信じて若いあなた達に言いたい。
 「がんばって」と。