今年も桜満開      広永 敏巳

 職場の窓から,藍場浜公園−新町川−眉山が一幅の絵のように一望できます。今年も,桜の花が満開になりました。
 公園の桜の下では,家族連れが楽しく遊び,青いシートを広げた上では楽しい宴が催されています。川縁のベンチでそっと寄り添う若い男女,ワシントンヤシは柔らかな南風を受け,それらに微笑みかけるようにそよいでいます。マッコト「平和」な日曜日の光景です。
 ふと空に目をやると北に向けて長く尾を引く飛行機雲が,雲一つない春霞の空にとても綺麗です。わずか数時間で行くことができる国で,反日デモが行われ,大使館や大使公邸前で投石などが行われ,ガラスが割られていようとは想像だにできません。
 先日,小説すばる新人賞を受賞した三崎亜記さんの「となりまち戦争」という本を読みました。そして今,村上龍さんの最新作「半島を出よ」という本を読んでいます。どちらも,私たちの身近なところ(わが町)で始まる戦争をテーマにしています。
 もしかしたら私たちの時代,「平和」は,それぞれが守る努力をしなければ確保できないものになっているのかもしれません。誰かに守ってもらうのでなく・・・。

今九十才の母の人生を思う時 山本 シズ子

 大正五年生まれの母は子育てに入った所で戦争があり,大変な時代を生きぬいて来た。母が二十五才の時,父は戦争に行き,私達三人の子供を残し帰って来なかった。下の男の子はまだ生まれて五ヶ月だったと言う。三人の子供と祖父母の生活を立てていく大変さ,物のない時代を生きぬいて来てくれた母のお陰で今私達は元気で生かせてもらっています。特に今の幸せは母の苦労のお陰であると言う事に思いをはせる時,生きている間に少しでも母を幸せにしてあげたいという思いでいっぱいになる。
 その母は苦労をした事を今もう何も言わない。そしてすぐに忘れる頭の中はどうなったのかと思う。あんなにしっかり者で,男になり女になり出来ない事はないぐらい,たくましい母であったのに・・・。
 人には言えないほどの思いをして生きて来てくれた母。ありがとうと頭が下がる思いです。今の世の中は本当によい時代が来たものだと思います。戦後六十年,何と良い国に成った事かと思う時,父は戦争で犠牲に成った一生だったが,そのお陰様で今の平和があると言う事を思い,父の分まで幸せな生き方が出来るように努力して生きて行きたいです。

敬神崇租 感謝報恩(1)  小林 金吾

 地球が丸いと言うことは私達の想像では判断がしづらいが,間違いなく丸いことは今までの知り得た情報や,知識などで感得して居るものであり,私達は萬物のお陰で生かされているものであり,もし太陽なくば,地球なくばと思って見たら,人間をはじめ動植物等成育の維持に供されるものが無く生きていけないのであります。
 水や空気など自然のお恵みがあってそのお陰にて現実に人間として存在しているのではなかろうか。この一つ一つに感謝をせよといっても多忙な日々の中で無理な話であり,だからこそ日々何度かお礼感謝の心を持たなくてはならないだろう。鳥獣虫魚樹木草等萬物のお陰で現存しているのであり,両親により生育され宇宙全体を目で確認できないが,同じように自分の先に連なるご先祖様の姿を確認できなくとも私達は生成されていることを考えれば私達人間も一つの生物であります。
 だが萬物の霊長たる人間はこの地球上に生存して居る動植物を意のままに殺傷して人間生育に寄与して居るものである。ならば感謝お礼ご挨拶ご供養をする必要はないだろうか。
 今日の科学万能時代に神,仏とか供養などと言われる「やから」も居る(頭脳明晰,学力優秀,知徳劣等)。心ある人には考えていただきたい。
 国は大神宮とし,地区に一の宮又は氏神さまとなり一家には招き祀った神があるが,はたして日常のご挨拶ご報告を朝夕されて居るであるだろうか?
 私達凡夫が身体的行動や言論活動および心の中で,神,仏陀のまねをする修行を積んでゆけば私達凡夫と神,仏陀とが一体となり神仏の力が私達に加わってくる「神人合一即ち守護」であり,真行(マコトニオコナウ)であります。
 家族一同家庭円満に過ごさせていただけますことは間違いありません。

             結 果 子 勝 豊

久しぶりの田舎      平 澄子

 5月の連休は田舎へ行って来ました。濃い山の緑と色とりどりのツツジの花が満開で久しぶりの田舎はまぶしいくらいでした。
 ところが着いたとたん,花粉症が始まってクシャミと鼻水に悩まされ,もう大変でした。
 それでも,父のお墓も何度もおまいりして,87才の元気な母とおしゃべりをして,とてもくつろいだ気分になりました。