刹 那          中山 昌男

 何だろう,後ろから視線を感じる。ふっと振り返ってみる。
 一本の桜の木が,満顔の笑美を浮かべている。
 あーーー美しい。
 思考,考えることをゆるしてくれない。
 ひと時立ち止まり,桜の木を眺めていた。
 生と死とのはざ間の,一瞬の美。
 刹那を生ききっている。
 日ノ本の民が,桜を愛して已まないのは,
 今という時の大切さを心の奥で観じているからではないだろうか。
 私は,さくら(今,一瞬,美)を,見つめた。
 桜の精は真の美を顕わしながら,私に微笑みつづけている。

カミとトウヒ 7    田上 守

 毛の発生と毛球の細胞
 ヒトの体に毛包が出来はじめるのは,胎生3ケ月目ころといわれています。その後徐々にからだ全体に発生し,6ケ月日を過ぎるころにはすべての毛包は胎内で完成し,出生後新たにできることはありません。ですから頭髪はもちろん,体中に生える毛の数は,出生した時点ですでに決まっていたことになるのです。その数は体全体で約200万,そのうち頭に約10万といわれています。
 ヘアーサロン タガミ

石切神社         南谷 幸久

 3月27日女房と友達2人で東大阪の石切神社へマイカーで参りに行ってきました。朝の7時に家を出て,神戸淡路鳴門自動車道,阪神高速を乗り継いで11時に着きました。天気もおだやかな快晴に恵まれ,最高の参拝日和でした。
 目的地の石切神社は東大阪市生駒山のふもとにあり,近鉄の駅からは急な参道を随分下ったところに神社があります。
 俗に「デンボ(腫物)の神さん」,石切さんと親しまれていて,庶民信仰のメッカになっています。どんな強固な岩でもやすやすと切り,刺し貫くという霊力を伝える剣と矢をご神体にするので,この名があるといわれている。
 これに因んで,いかなる病も,悩みもばっさり切り捨ててくれると,古来より絶大な信仰を集め年中参拝者が絶えないとのことです。
 参道には飲食,食品,占い,漢方薬,衣料,日用品,等の店がひしめきあい多くの参拝者で賑わい,大阪の情緒を存分に出していました。特に占い屋の多さが目に付き,テレビ出演の大きな貼り紙が印象的でした。神社のまえには大きな柱が2本立っていて,そのあいだを祈りながらくるくる回っている人が大勢いて「御百度参り」をしている人でした。
 参道をゆっくり歩いていると昭和時代の懐かしい気分になり,心が和み命の洗濯をすることができました。

すべての思いを家族に 8
親孝行の繋がりを大切に,幸せをあなたに。
                 田上 豊

 先月は信濃の国にある姥捨て山の伝説を書きました。
 親を捨てると,やがて自分も捨てられると言う因果律(原因と結果)を知るのであります。
 おおよそ紀元前二千年,天照大神その御父,伊弉諾尊御頸飾り珠を棚の上にお祀りして,御倉板挙之神と呼び給いしことが「古事記」上巻神代の段に見えております。
 『すなわちその御頸珠(みくびたま)の玉の緒,もゆらに取りゆらかして,天照大神に賜いて詔りたまわく『汝が命は高天原を知らせ』と,事依さして賜いき。
故れ,その御頸珠の名をお御倉板挙之神と謂す。親孝行の始まりです。
 木曽の伝説 紀元前の話
 やさしい青年がいて「その地方では六十一歳になると親を捨てる習慣がある時代」親を捨てるに忍びず。床に穴を壕り,そこに親を隠したのであります。その親は,もの凄く知恵があり多くのことを知っていました。今で言う天才人間である。この質問に答えられる者はいるかと豪族の長?
 一枚の板,上も下も同じ厚さ同じ長さも同じ,どちらが元でどちらが先か?
 同じ体格の二頭の馬どちらが親か,子か?
 像の体重はどうして計るか?
 何れも紀元前のお話,どうですか,解りますか。
このように親を養う事が自分たちに便利であり,自分たちの利益に成るから親を養老するようになる。つまり親を養う時代である。よく考えれば一つの自己中心である。
 このような時代にあっても優れた子孫は,その親を敬い尊敬する人も出てくるのです。祖先崇拝思想のはじまりです。敬老に繋がる。