すべての思いを家族に 11
あなたにも幸せを 孝(こう)は百行(ひゃくこう)の本(もと)
                 田上 豊

 《白虎通(ビャツコクツウ)》から親孝行は,すべての善行の基本である。孝は百行の基(もとい)。中国においては「孝は百行の本なり」と言う諺があります。中国の聖人が「孝は百行の基(もとい)なり」と云ったのであります。
 私達の,幸せな生活に親孝行は大きな影響を持って居るのであります。又,親孝行は生活の基本でも有ります。親は私達を,生み,育ててくれたし,成人するまで多くの苦労をしてきています。そして幾代もの,ご先祖の親も同じように,我が子を育てるのに苦労をしてきています。その親に喜びと満足をして頂くのが親孝行でしょう。
 どんな事があっても親と子は争っては成りません。どんな両親でも私達をこの世に生み出してくれたのです。DNAは繋がっているのです。親孝行これ宇宙の法則と述べる学者もいます。
 私達は,多くの事柄で大自然の法則,即ち原因と縁と結果との法則に支配されています。
 親に安心を与える,心の思い(心因)と安心を与える良い行為とが(善因)となり善縁となり,良い縁ばかりに繋がることを考えなければならないでしょう。又,反対に心が自分中心に成り悪因を重ね悪縁と成り,悪い事ばかりに繋がる事を考えなければ成らないでしょう。
 私達は,多くのご先祖をもち祖先の善因,善果,悪因,悪果にも左右され又,自分が生まれてから現在までの善因,善果,悪因,悪果と大変複雑な自然の法則とに,相俟って現在の自分があるのです。人は善い事をしようとする意識が行動を造り,行動が習慣となり習慣が人格となり人格が品性になり品性が人間の幸せを決める。と言われています。(心が人生をつくる)より。

ユニークな話       魁生 順一

 仏典に「三草二木の譬え(たとえ)」がある。此れは,人間の多様性を認めながらも,ただの一人も排除しない平等性を説き,自分らしく生きていく道を示している。
 「先着順採用で出勤簿なし」など,ユニークな経営とアイディアで,極小精密部品では世界トップメーカーに成長した(株)樹研工業。社長の松浦元男氏は,人間の潜在能力や,将来発揮するであろう才能は,どんな試験を行っても見極める事は殆ど不可能,と指摘する。だから同社では先着順で社員を採用すると云う。しかし,入社した社員には基本を徹底して教え込み,一人前に育て上げる。さらに同氏は,「人間の可能性を信じる。此の事が人を育てる,いや,人が育つ基本だと考えています」と語る(『無試験入社,定年無しで世界レベルの「匠(たくみ)」を育てた』)。
 どんな個性や特質にも,プラス面とマイナス面がある。例えば「消極的」と云えば短所となるが,「慎重で堅実」と云えば長所となる。反対に「積極的」と云うのも,「思慮不足」と云えば短所となる。其の人をどう見るかで,評価はコロコロと変わる。
 仏法では,一人一人の可能性は無限と説いている。其の人にしかない使命が必ずあるものだと信じる。人材育成の要諦の一つは,其の人の可能性を信じ抜き,励まし続ける事にある。

ホームページ開設! 救う会徳島 事務局長 陶久 敏郎

 救う会徳島は,正式名を「北朝鮮による日本人拉致問題の解決を目指す徳島ネットワーク」と言い,平成15年1月19日に設立されたボランティア団体です。
 設立以降,約40名という会員数ながら,すべての拉致被害者の一日も早い救出と,二度と拉致被害者を出さないそして本人やご家族を見放さない日本をつくるために微力ながら活動を続けてきました。
 特に,拉致問題講演会については家族会の協力もあり回数を重ねてきましたが,年2回程度では十分な啓発活動とは言えないと打開策を思案していたところです。こうした状況を踏まえ,当会の活動の目的を達成するためには常設的な広報・啓発手段が必要との判断から,この度「らちねっと徳島」という私の個人的ホームページをヤフー上に開設しました。
 私のパソコン技術が未熟なために十分な内容には至っておりませんが,段々の充実するように努めたいと思っています。それから,このページ内にある「徳島ねっと会議」は,日本の歴史・伝統・文化を重んじる保守的な国民によってこの国を再生したいとの願いから開設したものです。多くの人のご意見やご提言から,二度と拉致被害者を出さない国に生まれ変わるための方策が見出せると信じておりますので,皆様の積極的なご参加をお待ちしております。

 「らちねっと徳島」アクセスまでの道程
 【Yahoo!JAPAN→集まる:ホームページ作成→ジオシティーズ:ページディレクトリ:生活と文化→カテゴリ:ニュース,時事問題→「らちねっと徳島」→お気に入りに入れる】

お盆の精霊棚      小林 金吾

 お盆には家の玄関でご先祖様を迎える精霊棚を準備するものだが,最近は郡部に於いても見かけない。精霊棚はご先祖様を家にお迎えして,ご馳走やお供え物でもてなして,キュウリの馬やナスの牛でのお飾りは,お盆の13日のお迎えの時は馬に乗って早く帰ってきて欲しいとして棚の馬の向きは家の方に向き,16日のお墓へのお帰りには牛に乗ってゆっくりとこの世を見物していってもらいたいとして牛の向きはお墓のある方に向けるのは気持ちの表れと言われています。それほど私達は昔からご先祖様に対して深い思いと感謝の念を持っていました。お盆の14,15日はご先祖様が家に来て居られることを意識しながら感謝で供養をさせて頂いて居るものであるが,最近はご家庭でお迎えやお送りする時の「タイマツ」行事は案外と少ないように見受けられます。またご家庭で誰かがお墓へ行けば良いと思われて居る御仁もいらっしゃる時代だが,ご先祖様に護られて居るのは,それぞれ個人であり,お礼感謝するのは個人がせねばならないものである。
 親という文字は「立つ木を見る」と分解できるが,その木の根っこは先祖であるなれば根っこも時機に於いては手入れをせねば大木にはならないだろう。
 尚,お寺の敷地内にお墓があるのならば勿論お迎えどきやお送りのときにお寺のご本尊様にご挨拶をすることを忘れてはならない。これも大木にする根っこへの肥やしである。
 お墓がお寺でなくても共同墓地などにお墓があるご家庭でも,共同墓地などにお地蔵さんがあればもちろんご挨拶をするものであり,墓地より離れるときはお世話になって居るお寺の本尊さまにも報告とご挨拶を忘れてはならない。私達の現在は結果であり,お盆のときには各自が歩んできた道を反省する良き時機とすれば明るい基が固まるだろう。

                   合掌
             結 果 子 勝 豊