讃岐の空〈7〉   村上 哲史

 エレベーターから降りると,「では私は」と言って助役さんが去ろうとする。
 「ほんとお世話になりました。ありがとうございました」
 口々にお礼を言うボクら一人一人に頭を下げ,「いえいえ,何もおかまいできなくてすみません。特急うずしおがやってくるまで1時間近くありますから,適当にのんびりしていて下さい。私は少し仕事をしてきます。ではまた,のちほど」と言ってゆっくりと消えていった。
 さて,どうしよう。
 「私、構内のトイレが見てみたい」海原さんがまず口を開いた。
 「ボクも・・・」
 “トイレが見たい”とは面白いことを言うと思うかもしれないが,障害者にとってトイレの構造を知っておくことはとても重要なことであり,【自分が使えるトイレがどこにあるか】を頭に入れて出歩かないと,いざというとき大変なことになるからである。そのため,トイレの情報を持っていない者は外出すること自体がおっくうになる。「バリアフリー」という言葉が社会に認知されて十数年になるが,いまだにバリアは至る所に存在するのである。
 トイレはすぐに見つかった。が,案の定,障害者用はない。ボクは普通の小便器で立ちって用をたせるのだが,入り口に段差があり,こんなに狭くてはどうしようもない。しかも見るからに汚く臭そうである。
 ボクらは一目見るなり180度反転し,集合場所である駅のロビーに向かった。

あたり前とは      中山 昌男

 友人に誘われて,家内と一緒に大本教の本部に連れて行ってもらった。やはり,聖地といわれるだけあって,気のとうった素晴らしい所のように思いました。案内係の人にいろいろ説明をして頂きながら回った中で,印象的な事は,美しく張りめぐらしたコケのあいだにある草をていねいに取っている,御奉仕をしている,腰のまがったお婆さんの姿だった。何十年とみ教えを学び,昇華した姿を仰ぎみたように思えた。
 話は変わりますが,今日はやすみなので,いさんで自然農,畑にいった。すると,キダブンの社長が草を刈っている。あれっと思い,社長に声をかけると周りの農家の人から,草管理が出来ないなら,畑作を止めてほしいとのことでした。農家の人たちは,農協の職員からアゼ,草管理をして,かめむしが発生しないようにと指示を受けているとの事でした。私達が借りている野放しにしている畑から,かめむしの発生を呼び,お米の生長に影響があるとの事で,社長が一人で4,5日かけて草を刈っているとのことでした。草刈機ですればと言うと,自生している作物があるからと,手で丁寧に草を刈っていた。
 その後ろ姿は,心をこめて草をとっている大本教の腰のまがったお婆さんと,社長とが,かさなって見えた。
 あたり前のことができるように,心を見つめて生きたいです。

 初夏ウエディング 松林 幸二郎

 木漏れ日の美しいアッペンツェルの初夏の週末。褐色の肌のダニエル君,22歳,透き通るように白い肌のミリアムさん,21歳,まだ横顔に幼ささえ残す,初々しい新婚夫婦が誕生しました。スリランカで生まれたダニエル君はみなし子であったのを赤ん坊のとき,私たちの旧友夫婦フェーザーさんの養子として引き取られ,私たち夫婦が当時率いていたユングシャー(ボーイスカウトのような青少年活動)やティーンエイジャークラブに来ていましたので,幼い頃から知っていましたから感無量でした。
 フェーザー夫婦には,このダニエル君のほかに,親に遺棄された虚弱児で2歳のときポルトガルから引き取られたマティアス君,それに6つのときブラジルの孤児院からひきとられてきた軽い知恵遅れの,父親が日本人だったというリディアちゃんと3人の養子に,25歳と19歳の実子である娘さんがいます。その他に,6人の心身障害者がともに住む文字通りのGross Familie(大家族)です。このGross Familieに娘3人が成人したのを機に昨年から家内が週2日働きにいっていますが,このフェーザー夫婦には深い尊敬の念を抱いております。
 障害を持つが故,両親に遺棄されブラジルの孤児院で育ったリデイアが6歳のとき,フェーザー夫妻がブラジルの孤児院に直接出向き,引きとってきたいきさつを聞いたとき,私たちは感動で絶句しました。知恵遅れで6歳になる可愛らしいともいいがたい子どもを引き取る人はまずいないでしょう。しかし,フェーザーさんはその引き取られる可能性ゼロの子を,将来の労苦を覚悟で,あえて引き取ってきました。私にリディアちゃんのGoetti(ゴッドファーザー)になって欲しいと乞われたとき,ましてやいくら障害があるからといっても捨てた父親が日本人なのですから,断れなかったのはいうまでもありません。
 巷には愛ということばが氾濫しています。その多くは好きという感情であったり,情欲であったり,エゴであったりしますが,このフェーザー夫婦の愛は,私利私欲をもとめぬ,真実の“愛”でありましょう。私たちにはフェーザー夫婦の真似するだけの能力にも愛にも乏しく,また同じ事をすべきだという考えは毛頭もありませんが,心を澄まして多くのことを彼らから学び,その一つでも実践していきたいものだと,祭壇の上で病むときも健康なときも変わらぬ愛を誓う清々しいカップルをみながら,そんなことを考えました。

アッと言う間の青春は長く 森 悦光

 時の流れは,とてつもなく早く,その早さをくいとめる事できず,ただ戸惑うだけの年齢になりました。今年の蝉も耳をつんざく勢いで鳴いています。
 先日,高校時代先輩でありました方の御子息さんの結婚祝いに,友人と二人で伺いました時に,先輩が「ついこの間,自分が嫁いで来たと思うのに,もう息子が嫁をもらう年になった」と。すると友人が「アレ,私は,この間まで高校生だったのにと言おうと思ってた」って,高校を卒業して,もう35年以上にもなりますのに,この35年を「アッと言う間」と言える私達は,どういう生物なんでしょうね。
 「アインシュタインの原理」という本に書いてある光よりも早い乗り物があればそれに乗り,年を取らないでいたいと思ってしまいます。しかし,光よりも早い乗り物は今に時代にはなく,この時の流れの早さを,どう使えば良いのか,トイレ掃除をしながら考えてしまいました。一生懸命に,一つ一つ丁寧に深く深く生きて行く事でしょうか?
 『青春時代が夢なんて,あとからほのぼの想うもの,青春時代の真ん中は,道に迷っているばかり』という歌が有りましたが,今もまよい道フラフラです。沢山生きたと思える生き方を探している私です。何か良い考えの有る方は,教えて下さいませんか。