備えあれば憂いなしか?  北島 健司

 先日実家に帰っていた時の事ですが,ふだんあまり話をしない父が,語りはじめました。「今はおまえも毎日の暮らしに追われとるやろうけど,先の事も考えとかなあかん。おまえが定年になる頃はなあ,年金なんか今の半分も出えへん。ほしたら残りの人生嫁はんと食べていくだけの収入源がいるんじゃ。なんでも早めに準備しといたモンがあとで苦労せんですむんぞ。」
 なるほど。頼りない息子の将来を憂う父の思いやり発言に,普段のんきな私もこれはちょっと真剣に考えねばかな,と思ったのですが,え? 父ちゃんの得意な株式の勉強せえって?…。うーん,ちょっとそっち方面は興味ないというか,困ったな。でも特になんの取り柄もないし,死ぬまで食えるような芸ももってないし…。……。でも本当は,今の社会がこのまま20年以上も続くとは考えられないし,以前から精神世界とかのほうで言われている「アセンション」というのが近いんじゃないかとか思ったりしてるんですが,大正生まれの父ちゃんにそんな事言っても,あーあ,幾つになってもこいつは,と嘆かれるだけなんだろうなあ,と沈黙していた私でした。(アセンションというのは,近い将来に地球が次元上昇を経験し,今の二元対立的な社会から,調和した精神性の高い社会に移行するといわれているもので,最近ではゲリー・ボーネルや渡邊延朗の著書,またインターネット上でも多くの情報が掲載されているんです父ちゃん)

バダムに勲章        森 悦光

 10月12日,娘の真由実に,ベビーが誕生しました。2388gの小さな赤ちゃんですが,鳴き声が大きな元気いっぱいの二人目の赤ちゃんも父親似の女の子です。
「女の子は父親に似ると幸せになる」とよく聞きますが,実際に幸せな人生を送ることを願っています。しかし,幸せは,自分で作るもの,心の持ち方です。そういう事が分かるのは,年齢を重ねてからですよね。
 それはさておき,私,内孫,外孫を合わせますと四人になりました。バダム業(私の作ったおばあさんの愛称)は,とっても大変です。
 お孫さんと暮らしているバダム達に勲章をさし上げたいと思う今日この頃です。

もう一度歌ってみたい童謡・唱歌
                      坂本 眞人

 最近,部屋の掃除をしていると,小・中学時代に使ったハーモニカが出てきた。久し振りに吹くと,懐かしい少年時代がよみがえってきた。我々の時代には男子はハーモニカ,女子は木琴で,テストといえば一人一人立って歌を歌わされたものである。講堂の木の長椅子も懐かしい限りである。5〜6人一緒に座って横の人とおしゃべりしたり,つっつき合いしたり,よくいたずらして先生にしかられたものである。
 ハーモニカで吹ける歌といえば,童謡とか唱歌である。死んだ兄は,ハーモニカやギターが大変上手で,ハーモニカでも舌でベースを入れて何ともいえないいい音色を出していた。子供心にいつも兄を尊敬していた。自分はどうしてもベースが入れられないので単調な音色になっていた。
 童謡や唱歌には歌と共に心がある。おじいちゃんやおばあちゃん,そして親から子へ,子から孫へと受け継いでゆく心というものがある。ハーモニカで吹ける童謡の一例に「村の鍛冶屋」(作詞・作曲者不詳)があります。

  「しばしも休まず つち打つひびき
  飛び散る火花よ はしる湯玉
   ふいごの風さえ 息をもつかず
  仕事に精出す 村のかじ屋
   あるじは名高い 働きものよ
  早起き早寝の やまい知らず
   長年きたえた 自慢の腕で
  打ち出すすきくわ 心こもる」

 鍛冶屋さんの仕事場の臨場感がよく出ており,又職人気質の鍛冶屋さんの心意気が伝わってくる。ほんとうにいい謡であり,心にひびいてくる。
 徳島の市内で「童謡を歌う会」があるそうですが,私は高知の「正覚寺」というお寺で,皆さんとハーモニカの伴奏で童謡や唱歌を力一杯歌ってこようと思っています。

奥飛騨の旅           南谷 幸久

 10月の初め女房とバスツアーで乗鞍,穂高,上高地へ行ってきた。観光バスはデラックス車で,乗り心地もよく快適な旅であった。
 初日は乗鞍スカイラインの紅葉と,畳平からの景観を楽しみ,お花畑を散策する予定であったが,雨と霧のために全く景色が見えず残念であった。
 二日目は昨日の天気が嘘のように快晴に恵まれて,朝一番に新平湯温泉の宿を出発して,狭い山間の道を通り新穂高ロープウエイの駅に着いた。駅には早くも大勢の観光客が列を作って順番を待っていた。2,156メートルの西穂高駅まで第一,第二とロープウエイを乗り継いでの空中散歩で,窓越しに見える雄大な穂高連峰,槍ケ岳,傘岳の眺めは圧巻であった。バスは奥飛騨を後にして狭い釜トンネルを抜けると上高地に入り,梓川に沿って進むと山並みの上に前穂高の勇姿が現れてきた。道の両側には針葉樹が目立つ様になり大正池に着いた。ガイドさんからコースの説明があり,ここで降りると河童橋まで約1時間コースとのことで,15人はここで下りましたが,私達と残った人は帝国ホテルの前で下りて田代橋を渡るコースになった。橋を渡り遊歩道を進むと,上高地温泉ホテルや清水ホテルがあり,この辺りから清流の梓川越しに見える,霞沢岳,六百山,の素晴らしい景色に感動して,しばらく動くことが出来ませんでした。ホテルを過ぎるとウエストン碑があり,多くの人が足を止めて解説文に見入っていた。20分ほど歩いて上高地のシンボル的存在の河童橋に着いた。橋の上は穂高連峰をバックに写真を撮る人や,行き交う人で大変賑わっていた。橋からカラマツ樹林の中をゆっくり歩き,10分ほどでバスターミナルに着き,お土産を買って全員揃ったところでバスに乗り込み上高地を後にして帰路につきました。