歳 末          小林 金吾

 歳の暮ともなれば,くる年の計画や行動予定とかで何かと多忙になるものだが,社会に於いては歳末商戦とかに“おどらされ”て,お世話になった方にあれやこれやとかで気忙しい時期でもあるが,だが,自分や家族が無事に過ごせたのは神仏のお陰ではなかろうか。神仏に対する御礼のことをほったらかしに。新年に神詣でとは,ちと気ままではなかろうか。基本的に記してみましょう。
 年末に神棚を掃除して新しい大麻(神札)を取り替えてその古札を年越し参りに行き置いて帰る人が多いが,よく考えてみて下さい。
 日本国民として,我が家に神棚を置くことはお礼でもあるしまた御蔭をいただきたいとの願いがあってのことであろう。無事に歳の暮を迎えることはお蔭さまであるならば,お礼をせねばならないだろう。
 古札は神棚より下座にて,自己家庭においてお正月のお給仕と同等のものを給仕することであると共に15日の小正月には氏神様に於いては焼納祭としてお焚き上げするから,その時に古札を持って行くものである。その場合に古札に対して幾何かの手みやげ的な志を納めるものである。人としてのことを守ればまた護られるから神仏に「守護されるのである」。
 新しき大麻を取り替える日は30日までするのが良いので,また何かの都合にて15日に氏神様に持参出来ないときは自分の菩提寺に持って行けば寺は2日の節分の日に浄炎の儀として行うものであるが,お寺さんによっては異なることもあるから相談すること。
 正月にお給仕するときは神社の古札と仏さまの諸札も同じに取扱いするように心掛けて下さい。ことわざに「一寸の虫にも五分の魂」と言う様に,尊いものは貴いようにしていくことが大切である。

                   合掌
             結 果 子 勝 豊

「待つ」ということ・・・   近藤 京子(さくら・桜)

 ここ数ヶ月「学舎勉強会」では,セルフコントロールについて学びあいをしています。
 自分を知り,人間関係の在り方を知り,そこで効果的な自分の思考や行動を選択する事へ向かいたいと,ラーニング学習です。グラッサー博士がかかれました「セルフコントロール」を読みながらです。
 その中に「待つ」ことの効用について書かれているところがあります。
 「人は,不可能と知りながら,全く対立する二枚の写真を同時に満足させたいと願うのも致し方ない。…それが真の葛藤(真の矛盾)ならば…時に「待つこと」に有効性がある。…待つのが可能なら,決断を下す前に待てば待つほど,およそコントロールしていない時間と出来事が決断に力を貸してくれるようになる。世の中は決して,じっとしていない。誰にも予測できないことはよく起こるし,矛盾はバランスを失う。…待つことが出来るときには…人は生活を効果的にコントロールできているから,待つことが出来る。真の矛盾の中にあるとき,出来るだけ効果的に何もしないで居ることの価値を,過小評価してはならない。」
 いろいろなことがあった桜の人生でしたが,ある意味,効果的に待てる自分を有せるようになってきていた数年だったのかもしれません。
 勿論,足りない部分・未熟な部分…多々ある桜でもありますが。
 せっつかれるように,何が何でもどっちかへ歩をすすめなきゃ…と焦らずに居られる…自分の欲求充足の効果的な満たし方へ向かいつつ…と,時間をやり過ごすときも,人には必要ですね。
 まして…環境・状況・他人・過去…は変えられませんからね…そして時を待ち,エネルギーを蓄え,大きくしゃがんで,飛び出せるときが人には必ず,訪れるものです。
 自分を信じて…!! ジャンプ〜♪

 宇宙人飛来の真偽     橘 豊咲

 阿波の元山(神山)に大和の祀官(しかん)として,健康である限り,今後立岩の女神の微笑む夢の中の姿を見たいものと思っております。「阿波」と「大和」の類似点がありますが,夢の広がりは私の故郷の能登一の宮(石川県羽咋(はくい)市寺家(じけ))まで波及すると言っても過言では無いと思います。
 今から250年以上も遡る頃,能登の千里浜(ちりはま)海岸(気多(けた)の浦曲(うらわ))眉丈(びじょう)山脈の麓一帯にユーフォー(UFO)が飛来した事を証明するような古文書が気多神社(戦後気多大社と呼称する)に宝物として残っています。荒天の日以外,幼児等が家の周辺や海の見える辺りで遊んでいると,閃光を発しながら平たく円い物体が,低空で旋回して暫時視野からUFOが消えたと思ったら,間もなく付近の子供が神隠しにあって地域の子供が少なくなったとの現実味のある話があります。
 私の先祖(社家)父で12代目で,日々出仕していました。神話で無い古文書の現実の話を,世界に発信するために,「町おこし」の一端として,数年以前からJR羽咋駅の東方1kmに宇宙科学博物館が建っていて,視野に入ります。大規模で「コスモアイル羽咋」の呼称で,主として米国,ロシアの宇宙に関する資料や,器物等を展示したり宇宙の世界を再現して放映しているようです。ロシアのボインジャー1号(本物)が博物館の入口に聳えています。好奇心の強い国内,国外の観光客が3000円の入館料でも,年間20万人を越した年もあるようです(人口2万8千の市ですが)。
 古代の空想,想像だけでは無く,一度「阿波」及び古事記に関心のある方の見学をお奨めします。
 古代の「阿波」地方も,ご多分に洩れず,地球を目指す宇宙人(他の天体の生物)が地球上の子供を拉致しようとしたのかも。宇宙人が八百萬の神の仮身か。飛躍した推理ですが,阿波地方(神山)に古代の石造物で奇怪な物があるとか。夢が広がっていきます。大和の祀官(能登一ノ宮の祀官)の老人の空想,妄想と思っていただきたいと思っております。
 追 因みに羽咋の中心(JR羽咋駅前)から街灯の蛍光灯が,全部とは言えませんが,UFOの形をして閃光を放っています。

「The Book of Life (3)」 − エピクテタスの言葉より −
                        林 隆

 1.第1節
 あなたがこの人生最大の秘密 −あるものはあなたがコントロールできるが,あるものはできない− を知れば,あなたは幸福で居られるでしょう。
 あなたの意見は自分のものだし,自分がとる行動は選ぶことができ,何に注意を向けるかということも自分が管理しています。
 しかし他人の中に起きていることに対しては無力であり,したがって,他の人の感じ方や考えに対しては何もできないのです。
 あなたが,自分でコントロールできる事に焦点を当てる時,あなたは自分に独立という贈り物を贈り,誰にも邪魔されずに宇宙の自然な流れの一部となります。
 反対にもし自分のエネルギーを「変えることが出来ない物」に対して浪費するなら,それは必然的にあなたの宇宙の流れとの一体感を弱め,結果として何かに囚われていると感じ,他の何かに依存することになります。
 即ちあなたは,被害者・犠牲者の役割を自ら演じるのです。
 あなたは考えます。
 「誰かが,私にしたのだ」 と。