すべての思いを家族に 17 恩を考える
 国の恩とは          田上 豊

 国の恩なんて考えたことが有りますか?
 今,国と言えば,何かの訴訟に出てくる。強者の悪と言う感じがしています。国が訴えられると言うような,見方によれば弱者が善で強者が悪に成りかねないのが現状です。
 法律の事は判りません。時代背景の違いもありますが,今ほど国のあり方が問われる時代はないでしょう。
 日本には古事記,日本書記に記されている国産みの物語が有ります。その中に日本皇室のご祖先は天照大神で有ると言われます。その天照大神の根本精神は仁,愛,慈悲,で有ります。この天照大神の精神を尊重し,その心を受け継いだのが歴代天皇であります。
 日本人には長い歴史の中で,国の中心がシカリしていれば安定する事を自然の有り様から発見したのであります。何事でも中心が安定すると良い方行に進むのであります。
 海外旅行に行った人達が,日本ぐらい治安の良い国は無いと言います。秩序とか統一とかが大事なことが良く解ります。安定した生活が出来るのも見方によればこれも国の恩です。
 家族で国の恩の話をしたいものです。

年賀ハガキ        相原 雄二

 「阿波風」読者の皆様お正月で年賀状を送ったり頂いたりしたと思います。
 年賀ハガキが1月1日に届くようになったのは,何時頃からのことでしょうか。今では当然の様に1月1日に年賀状が届けられるのが当たり前だと思う今日今頃。私も毎年仕事用とプライベート用合わせて数千枚出しています。その中で印刷しないで宛名から内容まで手書きのハガキは約5%程度,印刷した上に一言添えるのが約70%,残りは全て印刷のままお出しする。出来得るならば全て手書きとまでいかないまでも,一言添えるようなおハガキにしたいと思っておりますが,年末の慌ただしい時,心新たな気持ちで年賀状は,この不器用な私には少し厳しいように思います。
 また,手紙,ハガキというものは,さし出す方のその時点での心の思いを相手様へお伝えお送りする文書です。
 考えが古いと云われそうですが,新しいお正月を迎え,身体全体に感じたその心をハガキの文字に表し送るのが年賀ハガキと思います。
 大勢に流され,年賀ハガキという本来の意味とか,価値,そして効果などこの機会に考え直してみてはいかがでしょうか。
 インターネットに代表されるITの進歩はめざましく,今やITのない生活は考えられなくなったようですが,もし,年賀状に変わって携帯デンワ,Eメールで年始の挨拶(年賀ハガキ)が済まされたら味気ないものになりそうです。
 そこで提案ですが,この年始の挨拶だけは,旧暦を利用するということです。
 ちなみに今年であれば1月29日が旧暦では1月1日の元旦になります。年によって多少の違いがあっても約1ヶ月ほどあれば新しい年を迎え,旧暦の元旦が来るまでに新たな気持ちでゆったりと年賀ハガキを書き送ることが出来るようになると思いますが,皆様いかがなものでしょうか。

「新日本山岳誌」発刊  尾野 益大

 日本山岳会が,創立百周年を記念して,北方四島から南西諸島まで国内の山岳約4000座の地理や民俗を解説した山岳百科事典「新日本山岳誌」(菊判,1992)を発行した。今では入手が困難になった「幻の名著」の旧版の発行からも100年を迎え,新版の待望久しかった。剣山や三嶺など徳島の有名峰47座も掲載されている。
 新版は,98年に発足した編集委員会が掲載する山を選んだ後,全国25支部の会員500人余が実際に山に登って資料や文献に当たり,新旧の地名に考慮しながら最新情報の紹介に努めた。
 記述内容は,各地域の▽山の地質,地形,植生▽山名の由来▽登山記録▽歴史,文化,民俗▽登路,登山時間など。県内からは▽四国第3位の大きさのブナの巨樹がある権田山▽山容に特徴がある黒笠山▽人の暮らしと結びついた寒峰▽剣山山系を代表する三嶺,天狗塚,綱附森のほか,讃岐山脈は東端の大麻山から西端の雲辺寺山まで5座を紹介。徳島市内の弁天山や眉山,阿南市の明神山など奥山だけでなく人の暮らしと密接に結びついた山も登場している。
 四国全体で,徳島を含め愛媛県の石鎚山,高知県の横倉山,香川県の飯野山など計131座が紹介されている。同編集委員会は「択捉・国後島から西表・石垣島まで日本の山の最新の状況を記録していて,後世の人たちに残すための企画だ。各地の地元で愛されている無名の山や峠,山峡にも触れている」とPRしている。
 旧版「日本山嶽志」は1906(明治39)年に発行。剣山や高越山など55座を含む全国2000座余りの山の位置,標高などを地域・山脈別に記述していた。
 定価は18900円(税込)だが,興味のある人は,関西の山に関する本を多数出版している京都のナカニシヤ出版<電075(723)0111>に問い合わせてほしい。

ま た わかる    鶴岡 とみ子

 昨夜,また具合が悪くなり,救急車呼ばないとだめなのかと一瞬思いました。
 でも,そうすることの方が負担が大きいと感じ,動物のように丸くなりじーっとしていました。
 3hぐらいしたでしょうか,だいぶ治まってきました。
 夜遅かったのに,友達に電話をしていました。具合がひどくなる前に他のことで留守電をいれていたのですが,そのとき友達はとても首が苦しくなったといいます。
 友達はぐちぐち言ってるわたしに,
「前と比べてできなくなっちゃった病」とか「できなくなったことを気にする病」って名付けてあげようかといいます。(*(エ)*)
「今,いちばんやりたいと思うことは何?」
ときかれて,答えられないわたしでした。
「どんなに散らかっていても,この電話を切った後に何かいちばんやりたいことをして寝ればいいんだよ。薬が用意できなくなっちゃったんなら,今からそれをやってみな!」
そんな言葉がうれしかったです。
 “たった今,何がやりたいのか”わからないことがわかった!
 まだまだわからないことでいっぱいのわたしであることがわかった!
 ひとつでも,わからなかったことが,わかるようになることが楽しい。
 これでいいのでした。(*^(エ)^*)