天皇家と神道 相原 雄二 日本の豊かな社会は,明治維新以来わずか100年のうちに形作られてきました。白人以外の世界で白人の先進国に肩を並べる社会を作ってきたのは,世界中でただ一つ日本だけです。その代表的なバックボーンとなるのが,天皇家と思います。天皇家は日本民族という家族の代表者で,神(自然)に祈りを奉げる役割を担っておられます。民族の代表者として日本に住む人々が幸せになるように五穀豊饒を祈り,天の恵に感謝するのが天皇家なのです。そのルーツといえば,伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)と伊邪那岐(いざなぎ)の命より天照大御神が生まれ,紙面の関係で途中を端折(はしょ)りますが,若御毛沼(わかみけぬ)の命(幼少の御名は豊御毛沼の命,鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)の命の継嗣(けいし)です)のち神倭伊波礼比古(かみやまといわれひこ)の命と改名する。まもなく大和の国の中心地の畝傍(うねひ)の橿原(かしはら)に立派な宮殿を築き天下を治めることになったのが,紀元前660年の元日,後世に諡(おくりな)して神武(じんむ)天皇は即位。初代天皇(すめらみこと)となりました。初代天皇より今上天皇まで連綿(れんめん)と育まれた自然との共生思想から生まれた,日本独自の教えである神道と深く結びつき,また,日本の分かち合う文化から生まれた神道は自然という,人にとって欠くべからざるものを畏敬(いけい)し,自然に感謝し,自然と溶けこもうとする融合に考えに基づいているようです。平成の現在,日本各地に残る鎮守(ちんじゅ)の森や,神社は私たちの先祖が汗と涙を流し,貧しい生活に甘んじながらこの国の将来の繁栄と,子孫の幸せを願って守り神として建立したものです。今日(こんにち)言うのもうとましいニュースが流れるなか,先人先輩たちがもち合わせていた豊かな感性,豊かな物の見方,道徳心とか,惻隠(そくいん)の情とか,心豊かな思いやりなど,天皇家を始めとした日本人の本来持ち合わせている心を,戦後のまちがった教育により私たちが忘れている物,言い換えれば日本人であれば当然持ち合わせているであろう神への畏敬の念,心,という人間として一番大切なことを再発見しなければならないと思います。最後につい先日のことを紹介します。仏教徒の友人で娘さんが鳴門の某ホテルで結婚式を挙げ,私も参列させていただきました。ホテルの横に隣合わせに連なったチャペル?教会?ともかくキリスト教の礼拝堂へ案内され,入口でもって結婚式次第を渡され前奏,新郎新婦入場,賛美歌312番全員で讃賞,聖書,コリント前書13章を牧師さんが朗読,祈祷……後奏,新郎新婦退場を見ましてなんと日本民族とは,心の広いしなやかですべてを許し受容してしまう独自の教え,神道こそ,日本の最も重要な文化財です。 |
お写経の功徳(1) 坂本 眞人
般若心経は, |
おからドーナッツ 小林 泰代
おからドーナッツは,すっごく簡単で! 今日,車を運転していて・・・ 春は,排毒の季節☆ |
トルコ10日間の旅(1) 藤井 久美子
1月25日午後11時55分関空発ウズベキスタン航空でトルコに旅立った。なんと第一日目は5分だけの日程であるが,それも含めての10日間である。まず,8時間かかって(時差6時間)雪の積もっているウズベキスタンの首都タシケントに着いた。空港ビルで2時間待って,再び飛行機に乗り込むと,体調を崩して旅をリタイアする人が出て,その人の荷物を取り出すのに時間がかかり,やっと取り出すと,翼に雪が降り積もり,それを放水車で除雪作業をするのが,飛行機の窓から見えるのであるが,作業をしている人より見ている作業員のほうが多い。旧ソビエト共産圏の名残かもしれない。除雪作業も終わり,滑走路を走り始めると,作業員が数人走ってきて腕をクロスさせて飛行機を止めた。翼にまだ雪が残り,バランスが悪かったそうであるが,雪には管制塔より作業員の目かと,この先少し不安になった。飛行機に乗り込んで飛び立つまでに2時間もかかった。ウトウトと眠って目を覚ましてもまだ飛行場である。タシケントよりイスタンブールまでは4時間の空の旅であったが4時間の遅れがでて,イスタンブール観光はせずに宿泊先であるトルコの首都アンカラにバスで向かった。途中は雪景色ばかりで「砂漠ですか」とガイドに聞くと「トルコには砂漠は無い」との返事,北陸から参加している人は「雪は見飽きている」と言っていた。この日からトルコ国内2600km(1日400km)のバスの旅が始まった。 (つづく) |