癒 さ れ て       大西 時子

 渋野の山々の懐に広がる圃場。
 休耕田,菜の花畑,丁寧な鋤あとの数条の畝に可愛い空豆の花が菜種梅雨の合間を吹く冷たい風にそよいでいる。
 農道は圃場をぬって渋野の山系が東に尽きる山際をくねって法花へとつながる。
 日々に課せたいくつかの作業の束縛から放たれると一輪の野の花,木々の芽吹きのやさしさに誘われて車を走らせる。
 氏神様の杜にひっそり咲く薮椿,咲き残った八重桜,農家の庭先の畑には丹精に刈り込まれた柿の若葉,琵琶が葉先に蕾みを抱き,石垣に野いちごの白い花が咲く。
 自然はどうしてこんなにやさしいんでしょう。枯れ草と若草が渾然と春を迎える静かな空き地に車を停め,やさしさを一枝たおり日常に持ち帰る。導かれてあること,人々の愛に支えられてあること,自然の中で恂々と癒され,心に岩清水が滲み出るごとく私の内部もやさしさに染められていく。ありがとう。すべてにありがとう。

             近藤 隆二

 母は信仰心の深い人でした。結婚してしばらく子供に恵まれなかった為,氏神様に願をかけて,毎朝人に見られないように早く起きて参拝を継続し,やがてご守護を受けて妊娠しました。
 出産したのは氏神様(天満神社)の祭礼(秋祭り)の日に生まれました。
 私はモラロジーを研究して,廣池博士が「世の中には偶然も突発も不思議もない。全て原因あって結果がある。」と教えられ,それが宇宙自然の法則であることを学び,母が氏神様に願をかけてご守護により妊娠して祭礼の日に出産したのは偶然でない,まさに原因結果の法則であると確信いたしました。
 私が生まれたのは昭和21年1月で終戦後の食糧難時代でした。母は食べる物のない時に母乳で私を育ててくれて,母自身も食事が充分とれなかったから母乳の出が悪く,育児は大変苦労されました。その為に私に腹いっぱい食べさせてやりたいと言う思いが強く,私が成長してからも「隆二ごはん食べたか?」と一日に何回も私を見れば尋ねてくれました。私が結婚して妻に食事を作ってもらって毎日食べているのにも関わらず,私に逢って言う言葉は「隆二ごはん食べたか?」でした。母は生涯にわたって「食べさせてやりたい」の一念であったのだと思います。
 母は50才過ぎに過労から肝硬変になり,主治医よりあと8年の命と言われましたが,その8年目に念願であった四国霊場88ヶ所参りがしたいと言って命がけで私と車で参拝し,弘法大師様にお守りいただきお礼参りもさせてもらい,計4回巡礼させていただきました。
 8年の命と言われましたが,それから15年延命させて頂きました。

ほのぼの神山     大西 雅子

 昨日の夕方から無性に神山町の上一宮大粟神社の裏山の天の真名井に行って見たくなっていたので,一路神山を目指しました。
 途中の景色はすっかり春の模様でした。梅の花がそこここに咲いています。菜の花の黄色がかわいいです。川の水も気持ちよく流れていました。
 上一宮大粟神社に行くと丁度知り合いの方が拝殿の掃除をしているところでした。その方が真名井のところまで案内して下さいました。真名井は大小二つありました。一部に石を積み上げたところが残っています。そこからはきれいな水の流れが下まで続いていました。辺りは大昔は棚田だったらしく,平らな面がいくつも重なっています。今は孟宗竹などの生えた林になっています。もうすぐ,ここの湧き水を管を通して下に導くそうです。
 道の駅でアイスを食べていると,よその人が明王寺の桜が満開だと言っていましたので行って見ました。桜はいつもの年に増してきれいに,たくさんの花をつけていました。車を駐めた処は梅畑の前でした。
 帰りにいつも寄るうどんやさんが開いていたので入っていきますと,2日前から開けたと言いました。そして,ハッサクを5つも袋に入れてくださいました。嬉しかったです。
 春爛漫の神山町を一人遊んできました。
 今日も一日にこにこにっこりありがとう(^^)にこにこです。

もっと野に出る!      月岡 功

 私,今,ブナの実が目の前にあっても食べることは出来ない。ブナの実を食するには百何工程の作業を経る必要があるという。縄文時代の人々はこの知識をどのようにして手に入れたものか。おそらく何世代にもわたる試行錯誤の上,確立されたものと考えられる。
 しかし,現在は,食物が豊富で容易く手に入り,その必要がないから食に関する知識の多くが忘れ去られている。もったいないと思う。
 以前,祖父がメジロのえさとして擂り潰してやっていた若緑色の野草(たぶんハコベ?)が実にうまそうな色をしていたのを覚えている。本能的にうまそうな野草は食べられる,草でないものは危険と振り分けてよいかどうか。
 今の時期,阿波の野に行けば,ヨモギ,ハコベ,オオバコなど食べられる野草や薬草などがいっぱいあるが,食べられるものと食べられないものとの識別が難しい。
 祖父たちは知っていた知識,今は一部の人たちや図鑑の中に収められてしまった知識を自分の中に取り戻すために食べられる野草を求めて努めて野に出たいと思っている。

モネの家