屈原をたずねて(6) 山田 善仁
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メリシャカ 新居 弘悠
「キリスト誕生がメリークリスマスならば,
お釈迦さんの誕生日はメリー釈迦」
5月5日(旧暦4月8日)はお釈迦さんの誕生日です。各地で花まつりという行事が行われます。この花まつりこそが,葬式仏教といわれる日本の仏教の行事の中で縁起のよい?行事の代表格です。この日ばかりはお寺も明るい雰囲気に包まれます。
お釈迦さんのお母さんのマーヤー婦人は,
「遥か遠い天から,6本の金色の牙を持つ純白の象が下りてきて脇からお腹に入った」という夢を見てお釈迦さんを身ごもったといわれています。また,ルンビニーの園でお生まれになった時は,あらゆる木々は咲き誇り,虚空から清らかな甘露の水が降り注ぎお釈迦さんの体に注がれたといわれています。そして,七歩歩いて右手を上に,左手を下にして「天上天下,唯我独尊」と宣言されたといわれています。そのため花まつりでは白い象を引いて,花で飾られたお堂の中で,生まれた時のお釈迦さん(誕生仏といいます)に甘茶を掛けます。
ちょうど今年は花まつりが子供の日に当たっています。お子さんと一緒にお寺へ行ってお釈迦さんの誕生日をお祝いしましょう。
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皇室典範に関する有識者会議の
10人へ (2) 相原 雄二
2つ目の問題は,「日本の歴史や文化,文明,伝統というものを元にして作ったのではない。」と言い放つ有識者会議の座長も座長,それを施政方針演説で小泉首相は,「有識者の報告に沿って皇室典範の改正案を提出いたします。」と発表。世界最古の王朝として古事記にも書かれた神代のルーツを持つという,世界に類例のない日本人の心,そして1つの家系の血筋によって断絶なく125代にわたって継承されたこの心の積み重ね,この皇室の文化も歴史も考慮されての発言とすれば,首相も首相です。
有識者会議の答申では,その論理の根底には日本国憲法が見え隠れしております。
そもそも,日本国憲法(1946年11月3日公布,翌47年5月3日実施)は,占領軍がアメリカ人の,アメリカ人による,アメリカ人のための憲法であるので,それをベースに論ずることの愚かさを認識していただきたい。
立憲国の天皇は,憲法の枠の中にその言動を制約せられ,国務大臣の憲法による根源,責任の範囲には天皇は勝手に容喙(ようかい)し干渉することは許されておりません。また皇族は,憲法で保障された選挙権も,居住や移動の自由もない。職業選択の自由もない。納税の義務もない。憲法の外にいる人たちです。
その皇族の永きにわたる伝統は,時代や理屈を超越したもので,軽量の政治家が,女性天皇と女系天皇の意味も区別も分からぬまま皇室典範を改正しようとするのは,我が日本民族の在己に直結することであり,断じて許されない愚考である。
最後に「質」を無視して単に皇位継承権者の「量」だけを拡大しようと考える有識者へ,20世紀最大の天才科学者(アルベルト・アインシュタイン博士)の言葉を送ります。「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが,今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界に1ヶ所ぐらいはなくてはならないと考えていた。世界の未来は進むだけ進み,その間幾度か争いは繰り返されて,最後の戦いに疲れるときが来る。そのとき人類は,まことの平和を求めて,世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは,武力や金力ではなく,あらゆる国の歴史を抜きこえた,最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって,アジアに帰る。それにはアジアの高峰,日本に立ち戻らねばならない。我々は,神に感謝する。我々に日本という尊い国を作っておいてくれたことを。」 1923年(大正12年11月18日)
万世一系の天皇の国,日本,伝統の息づく日本文明を直に接し,大きな感銘を受け,上記の言葉を残されました。
今回の問題で,まず男系主義で宮家の存続と拡充を図った上で,皇位継承の議論を進めることが重要です。日本は元より世界が注視しています。
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過去は溶けていく 鶴岡 とみ子
この1ヶ月の体内環境の変わりようったら。。。前代未聞?
水面下で心身ともにたいへんでした。昨日無理して通院したら,病院でもベッドを借り,帰りは最寄り駅で訪問看護師さんの携帯に助けを求めるまで具合が悪くなりました。ろくに食べられず,血圧が上がってしまいました。
今日は,楽しみにしていたデイサービス2回目でしたが,お休みしました。
そしてお昼ごろ,また訪問看護師さんの出動です。血圧が高く,腸が動きが悪い。ちょっと腹圧かけても頭の拍動と朦朧感。お通じを全部出し切れないで,お小水も少ししかでなくなってしまいました。浣腸をまたしてもらい,お通じがでたずっとあとにたくさんお小水がでるのです。
よく,こんな綱渡りしている状態で,ひとりでがんばってるよねって。。。
それでも,毎日,楽しく生きていられるんだなあって,うれしく思いました。
今度の大学病院の脳神経内科医は,この問題を取り扱わないので,訪問看護師さんが,まず,かかりつけ医のところに一緒に行ってくださることになりました。
夕方,わたしの身体の中は浄化されたように感じました。うまく働かなくなってきた機能や検査の異常値はあれども,「けものみち」ちゃんとありますもの。
波乱に富んでいた一日でしたが,とっても清々しいんです。救急車に乗らず,そして入院にまで至らなくてよかったと思います。
暗い過去は自他ともにたくさん存在すれどもこころに光が灯った
愛が伝播したんだと
そう感じることができました。
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