屈原をたずねて(7)  山田 善仁

 「天問」の問地に出てくる動植物,人類を覗き見る。
(げい)はどこで日を射,烏(からす)はどこに羽根を落としたか。
 帝堯(ぎょう)の時代,(后(こうげい)または夷(いげい))は英雄神であるといわれている。
 天帝に10人の子がいて,皆な太陽であった。その母親(羲和(ぎわ))は,6頭の竜が引く車に,毎日1人ずつ交替で我が子を乗せ,走らせていたが,何万年も繰り返すうち,10個の太陽は飽き飽きし,扶桑の木の蔭で兄弟は語り合い,母に黙っていっぺん皆で揃って空に出た。太陽の兄弟は楽しく遊んでいたが,一度に10個の太陽が輝き照りつけるので,地上では人間や農作物は焼け枯れた。
 地上の聖王堯は,人民の苦難を天帝に祈り,救いを乞うた。
 天帝は天上のに弓を引くよう命じたが,驚かすだけで,まさか我が子を殺すとは思わなかった。
 は地上に降り,10本の矢で天空に並んでいる10個の太陽を次々に射落とそうとしていた。全部落とせば,世は闇になるので,堯は人に命じ,箙(えびら)から1本の矢を抜かせた。当たった9個の太陽の中の烏は皆な死に羽翼を落とし,太陽は1個だけ残った。
 太陽の精(黒点)は3本足の烏である。
 はさらに人間を食う怪獣や怪鳥,魚師の舟をひっくり返す大海蛇などを悉く退治したが,天帝は喜ばなかった。
 我が子を9人も殺されたので怒り狂い,神籍(しんせき)を剥奪し,夫妻を天上界から追放した。
 地上に降りた者は死なねばならず,為に夫婦げんかが絶えず,はうさばらしに河伯(かはく)(黄河の神)の妻,絶世の美女洛嬪(らくひん)(妃(ふくひ))と交接したり,白竜に化けて遊んでいた河伯の目に矢を突立て,河伯が天帝に訴える一幕があった。
 不老不死の薬を崑崙山(こんろんさん)の西王母が持っていると言うので,は出掛け,もう2粒しかないと言う。「吉日を選んで,夫婦で1粒ずつ飲めば不老不死になる……2粒飲めば昇天して神になれる」と,西王母に言われ,帰って妻(嫦娥(じょうが),恒娥(こうが),純狐(じゅんこ))に告げた。
 妻は昇天したい為に,吉日を待たずに窃(ぬす)んで2粒飲んだ。身は軽くなり,天に昇り始めた時考えた。夫を置き去りにしたと後指をさされるので,ほとぼりが冷める迄,天と地の間にある月に不時着した。ところが月宮に入ると嫦娥の身体に異常がきたした。
 背は低くなり腹がせり,腰が横にふくらみ,やがて首は肩の中に陥没し,口は左右に裂け目は大きくなり,皮膚は黒ずみ大きなブツブツが出,1匹の醜い蝦蟆(がま)(蟾蜍(せんしょ),ひきがえる)に変身してしまった。これ以後,月の別名を嫦娥と言う。(淮南子,陳舜臣の十八史略)
 「天問」の初めに出てくる顧菟(ひきがえる)は月の表面がでこぼこでガマガエルに似ている為で,日本では菟の字を兎(うさぎ)(源字は兔。古代朝鮮語ではオサガムという)と解釈し,月に兎が住んでいると言う。
 富岡鉄斎の絵に月でカエルとウサギがたわむれている絵は,これが所以なのでしょうか。

スイスとホリエモン  松林 幸二郎

 スイスに住む日本人にとって,私がアッペンツェルの地に居を定めた28年前と今日を比べると,何が決定的に変わったかと問うと,日本から入ってくる情報の量であろう。
 28年前には,日本の新聞を見るのは年に一度か二度であったろう。新聞の衛生版もJSTVも夢にも想像できなかった時代に,20時間以上かけて里帰りすると,完全な“今浦島”となっていた。カラオケやウオークマンの意味が分からず苦労した。カラオケは,空の桶をたたいて裸踊りでもすること,ウオークマンはセントラルパークでよく見かけたランニングする若者のことと,信じていた。テレビに写る芸能人の顔はほとんど知らず,その当時の日本の社会情勢に無知だったからニュースをみても全くピンとこなかった。
 そして,今日インターネットの環境さえ整えれば,少なくとも情報においては,日本にいるのと大差ない生活をこの異国の地で過ごせる。知りたいことがあれば,瞬時にインターネットから回答を得られる。が,それが,人を豊かにし,幸福にし,賢くしたであろうか……。
 ホリエモンを知らぬ日本人は,今日,世界を見回してもごく僅かであろう。過日,テレビニュースを見ていたら,ライブドアの株を買って大損をした人たちが被害者の会を作り,賠償を求める姿が映し出されていた。平均して400万円を失い,なかには退職金700万円を全て失った人もいた。これだけ情報があふれ,“真実”を追求するジャーナリストやマスコミがありながら,ホリエモンの悪事を一切知らされなかったというのは,なんという皮肉であろう。ホリエモンを英雄視し,あれだけ持ち上げたマスコミは,池に落ちた犬に石を投げる行為を,何の反省も詫びもせず繰り返している。だから,マスコミもジャーナリストも新聞に書かれていることも信用されない。嘘がおおいからである。
 また,被害にあった人は,いわば一攫千金を狙った,つまり,お金は額に汗して得るものものでなく,知恵を使って,濡れてに泡とばかりに短期に儲けようとした欲深い人たちであったろうが,これもマスコミは,その真実を指摘しない。だから,欲のために詐欺にかかる人は絶えることはない。(これはスイスも変わらない)
 今日のように情報が溢れていると,かえって何が真実か見失しなってしまいがちになることを自覚して,心静かに真実を見極める目を持ちたいと願う。そして,人生にとって何が大切なことか,見失ってしまわないように日々心を澄ましたいと思ったしだいです。

経営革新に挑戦中   芝山 靖二

 今年3月半ばより新規事業(エクステリア業)に取り掛かっています。
 コンクリートブロック製造業85年のノウハウを生かして進めていますが,不安も一杯です。ですが,不安のない新規事業なんてないはずです。
 3月28日には県より「経営革新計画」の承認もいただき色々な面でご支援いただいています。
 本誌御投稿のデザイナー大西時子様の御協力をいただき新会社のロゴマーク(小鳥二羽,名前考え中)と,看板のデザインも大変気に入ったものが出来ました。
 進めるにしたがって心配事もでてきますが,一生懸命頑張れば道は開けると思っています。
 本誌御愛読の皆様御紹介のほど,よろしくお願いします。

 すべての思いを家族に21   田上 豊
自分の思い

 家族に対して親の思いは,皆が幸せになって欲しいと,先祖代々,大昔から思ってきています。幸せには形(物とか健康とか経済)と心のあり方,持ち方の二つが有ります。特に心に問題があります。この心の大切さは,皆さんが認める処であります。心が幸せだと思えたら幸せとだと言う人も居ます。心で思ったことが顔や形に出ます。
 相手を打つ心は,物事を壊します。壊す心は気を付けなければ成りません。私達には形に出して家族を認め合うのも大切なことです。心で家族を褒めて認めている時は相手の心も,こちらの心も安らかです。こちらに相手を打つ心が在るときは,相手も身構えるでしょう。相手を愛し信頼することでしょう。
 家族に対する触れ合いは心構えが基本でしょう。
 私達には価値観の違いから相手を打つ心が,どうしても出てきます。この心をどう動かすかが大きな問題です。家族でも多くで価値基準の違いが在ります。それを認めないと家族崩壊に繋がります。
 私達高齢者は,日本が貧しい時代に生まれ育っていますので,価値基準をお金に置いています。貯めようとします。貯めるのが好きなのです。
 現代人はあまり貯めようとしません,使うのが好きなのです。この好きと言う字だけを見ていますと「好き」と言う字は同じです。どちらも同じです。自分中心です。
 人間には欲があるのです。自分はどうしても思う通りにしたい欲望を持っているのです。言葉を変えると利己心,自分中心です。我が儘です。この心でどうして幸せに成れるでしょうか。相手を受け入れましょう。
 私達は問題解決方にこちらが「辛抱」するという方法を取りますがこの「辛抱」も利己心ですから解決しないのです。

(次回へ)