エロスとアガベ  松林 幸二郎

 その1
 Hさんという50歳代なかばの知恵遅れの男性が,私の勤務先のグロスファミリエにいます。毎日,サントガーレン市の障害者授産所に一人で電車とバスを乗り継いで通っているのですから,障害は決して重くありません。Hさんは昼間は仕事で出掛けていますから,顔を合わすのは週一回の遅番のときか,月一回の週末勤務のときしかありませんが,Hさんはそのときを心から楽しみにしていてくれます。事前に,私は彼に算数(2桁お簡単な加算ならできます。)や,塗り絵,読み取りなどの宿題を出しますが,Hさんは大喜びで,その宿題に取り組んでいます。
 Hさんは,初めから父親を知らず,実母も現在どこにいるのか分かりません。チューリヒのKinderspital(こども専用病院)で,子宝に恵まれぬMさんに養子として引き取られて育ちました。その養母のMさんのお会いし,話を伺う機会を最近与えられました。Hさんは右手に4本しか指がない奇形をもっていて誰も引き取らないため,MさんはHさんを家に連れて帰りましたが,知恵遅れであることが分かったのは2歳すぎてからのことでした。
 当時としてはエリートコースであった司書の仕事を始め猛勉強していたMさんは,キャリアか障害をもつHさんの養育かという選択にせまられ,この先の計り知れない労苦を予想しつつも,Hさんの養育を選んだのでした。70歳半ばのMさんの話しぶりや姿勢は現在の若者より若々しさを感じさせられましたが,この先が知れないという高齢故,Hさんの事をグロスファミリエに託した訳です。

              (続く)


【写真 スイスの我が家】

団地のら猫物語  大西 時子

 亡くした犬のムーちゃんの想い出がようやく青い空に溶け込み始めた11月下旬,埋まり切らない寂しい心の穴を隣家との境界のブロック塀を気ままに行き来するのら猫が時折くぐっていく。
 イヤに腹の据わったトラ猫,素浪人のくせにピョコタンと庭に降り立ち掃除中の足元を横っ腹で撫でて行く。丁度死角になるベランダの隅で買って来たキャットフードを食べさせる。なんてたってここは団地,のら猫を無責任に可愛がるのは憚れる。
 棲みつかれても困るしね。取りあえず「君の名前は“雷電”」。だんだん寒くなるね……。なんてことでしょう。ま白いふわふわ貴婦人がよちよち歩きの子猫を引き連れてブロック塀を歩くではありあませんか。放っておけるわけがない。洗濯かごに毛布と膝掛けで寝床を作ってあげる。飼えないけどね。ここで冬を越して……。夜中に何度も雨戸を開けてずれた毛布をかけ直してあげる。その度に紅い口を開けて警戒の牙を剥かれる。雪が降り積もる夜は切ない。年も明け春の足音が遠くで聞こえ始めた頃,慣れてくるもんですね,軒を貸したつもりが母屋も占領されて,日だまりはすべてこの子たちの居住エリア。お母さんはユキ,子供たちはアラレとミゾレ。朝夕,食事をねだりにくるライデンはこの美しい三人家族が時折まぶしい……。腹を満たすと風来坊,どこへともなく流れて行く。かくしてこっそり中途半端な猫との同居生活が始まり,子供たちもだんだんと成長したある朝,親子がじゃれるキンモクセイの根方で少し虚弱をかこったミゾレの動かない姿があった。数十センチ離れた山椒の木の根元に埋めてあげた。アラレはもう立派な男子に成長したのにお母さんのオッパイがいつまでも恋しい。スキを見てはしゃぶりつき超高速の両足キックを受ける。いっぱしの若い衆になったアラレ。帰宅しない夜もある。だが一週間,二週間,一ヶ月。この度は長い。男の子は家出する習性がある事を人づてに聞く。どこかで一家を構えているかもしれない。ユキちゃんに首輪と鈴をつけて正式に家族の一員に迎えた。かつて若い母親だったユキちゃんはもうそんな事も記憶にないようで,無邪気に虫採り,鳥採りに興じている。我が家の庭の大小とかげはどの子も尻尾がない。

屈原をたずねて(8)   山田 善仁

 問地をもう少し覗き見るとこうである。
○女(じょか)は黄土をまるめて人間を造ったが,女の体は誰が造ったか。
 兄妹の伏犧(ふくぎ)と女は創造の神で,人頭蛇身,一日に70もその体を変化させると。
 近年,トルファン盆地の古墓(7世紀の高昌国)から発掘された棺に掛かった彩色絹画には,兄妹は肩を組み,伏犧の左手に定規,女の右手にはコンパスが握られ,顔立ちは,高松塚古墳の壁画の様で,長袖の服に,腰は同体になって一つのスカートをはき,足は蛇の様にからまっている。
 伏犧は「庖犧(ほうぎ)」ともいい,犧は神や祖霊に捧げるいけにえ,偉大にして秀麗完美のものの意があり,女は「(ほうか)」ともいい,はまん中が空洞になったもの,女陰を表し,または「匏瓜(ほうか)」つまりひょうたんの事である。(聞一多,伏犧考)
 陸羽(りくう)の「茶経」に,杓(ひしゃく)の事を「犧」とあり,瓠(ひさご)を二つに剖(わ)ってこれを作るとある。
 故に,伏犧と女は同一で,同じ神格の男性と女性にすぎないとされる。
 また,伏犧と女は苗族の祖先と伝えられる。(陳舜臣,中国の歴史)
 「女の人間造り」はこうである。
 黄土を手で摶(まる)めて造っていたが,妙案を考え出し,ドロドロの黄土の泥の中に荒縄をつっこみ,掻き回して引き上げ,縄の先からボタボタと泥が落ち,それが固まって人間になった。故に人間にも出来の良い悪いは,最初に造った時の行程が原因といわれる。
 「女の補天(ほてん)」はこうである。
 水の神の共工(きょうこう)と,火の神の祝融(しゅくゆう)が大喧嘩をして,負けた共工はくやしまぎれに自分の頭を不周山(ふしゅうざん)にぶちつけた。
 不周山には天を支える柱とそれを大地につなぐ維(つな)があったが,共工が暴れたので,天柱は折れ地維は切れて,天は西北に地は東南に傾き,穴のあいた天から大雨が降りそそぎ,河川は大洪水となった。それを見た女は,急いで五色の石を採り,火に融かして煉り,天空の大穴をふさぎ,海中の巨大な海亀の足4本を切り取り,折れた天柱の代わりとし,水辺の芦を集めて焼いた灰で河の水をふさぎ,地上の平穏を取り戻した。
 因みに妃(ふくひ)は伏犧氏の女(むすめ)で,洛水に溺(おぼ)れて死んで河の神となったという。(淮南子)

波に揺られて 森山 義秀(二本棒)

 という題ですが,サーフィンやヨットにのったりするはなしではありません。生き方。日々どういう風にことにあたるか,というおはなし  きっちり目標をきめ,夜中の12時までにかならずコレだけはやる。という日もあれば,「あしたできることは今日するな」「世の中ひっくりかえることはない」という日をつくる。ゆったり構えてゆっくり空気を吸うスタイル  なにかスローガンをと……。ありました。「阿波」愛用の漢字辞典によると,「阿」は,おもねる,へつらう,自分の気持ちを曲げてしたがう。「波」は,なみ。不易流行の流行。ぽっと出,アワ,うたかた。つまり阿波とは波のうえでプッカプカ。自己の主張をとおすのでなく,まわりに気をくばりつつ,世間の流れ,うつりかわりに上手に(ときには気持ちを曲げる術をつかう)添うてみる。のってみる  おお,なんという深い先人のおしえ。ありがたいことば。人生訓をひそかに織りこんだ国名は阿波のくに一国のみでしょう  読者のみなさん,ときには波に揺られて暮らしてみませんか。
 朝ぐもり ゆうらゆうらり 波のうえ   二本棒
 ペンネーム「二本棒」は,はなたれ小僧のことです。