もじょもじょ      西山 欣子

 たくさんの子どもたちに囲まれて
             がらくた工作教室。
 最後にみんなの作品を見ながら,いろいろお話やら説明やらの時間。
 それまでにも私にしがみついてきたり,ダッコされたりしてた人なつっこい女の子(一年生くらいかな)。
 気づくと
  もじょもじょもじょ
         もじょ・・・・・。
私のたるんだおなかのお肉で遊んでるのですよ。
今はちょっと・・・・
ソレ・・・やめてくれませんかあ・・・。
ってなこと思いながら,ヘラヘラヘラヘラ・・・

は〜い。みんなとってもよくできましたあ〜〜♪



神主の余生 天香具山神社宮司 橘 豊咲

 余生は時折,俳句,川柳,短歌を作って過ごしたいと思っております。
 聖職と世間から言われて50年,神明奉仕を旨とするので,駄洒落,冗談を織り交ぜた川柳をなるべく作らないように考えていましたが,神職の勤務は,常勤の後は非常勤で,年に70数回の祭典奉仕の日時だけ,聖職で在りたいと思うようになり,直会の席で酪酊した時に,当り障りの無いことを喋りたくなりますね。誕生日も過ぎて,数え77才の,単なる翁になり切ろうと思っても,煩悩の気持ちが残っていると思います。中年の女性,独身らしい女性で,見目美しき人が両横の座席に坐ると,話す切っ掛けが無く黙っていても悪い気持ちはしないもので,天香具山地区の或る神社の祭典に役のある婦人が,小綺麗な姿で見えれば気にならないと言えば嘘になります。
 20才過ぎの頃(昭和25年以後)から先づ川柳を作りはじめて,石川県の北陸新聞(現在は北陸中日新聞)に投句して掲載されました。
  ヘップパン,山家(やまが)に見えて後(うし)ろ指
  ハイヒール,踵(かかと)が取れて辺(あた)り見る
 昭和34年橿原神宮に採用されて翌年から「うねび俳句同好会」に入り,昭和36年から妻帯して以降大和郡山川柳会に入会。3月末から15日間城まつりがあって投句を続けました。今年作った句を披露します。
  座席取り,シートの上の花筵(はなむしろ)
  城まつり,酔ってつぶやく千鳥足
  立喰いの,女子に花降る城まつり
  OLの,下戸の楽しむ,花の城
 「時事川柳」閣僚は,事穏便に,済ます辟(くせ)
       大臣の,応答済んで,居眠りす
  ペン持って 仮眠の止まぬ 暑気当(あた)り

38年ぶりの同窓会  芝山 靖二

 9月10日38年ぶりに初めて大学の合同同窓会に行ってきました。とにかくもの凄い名古屋の変貌ぶりに,浦島太郎の気分でした。
 まずは卒業後3年間勤めた会社を見に行きました。影も形もありません。毎日昼食を食べていた食堂,レストランも,だだの一軒もありません。
会社の場所がここだったと確認できるのは,会社の前のあった国際ホテルと,裏にあった創業150年のうなぎ屋さん,この二つだけで確認できます。
 大学の方も私が居た頃は小高い丘陵地で回りは山ばかりでした。今は地下鉄の駅ができ周りは大変にぎやかな住宅街,その上,千種区にあった同系の高校が引っ越してきて一緒になっています。友人と二人,いつも通いなれた大学へなかなかたどり着けません。
 駅ビルの超高層ビルのも驚きましたし,中心部を高架の道路が縦横に走っているのも大変な変わりようです。
 いつものように朝5時半に起きて名古屋に町に早朝散歩に出かけました。一番驚いたのは,外人が多く為った事。アジヤ系,南米系,中東系,早朝の名古屋には日本人より多いのではないだろうかと思うぐらいです。彼らは,決して早起きではありません。成長する中部経済のあらわれでもあります。
 今度名古屋に出かけるときはどんな姿を見せてくれるか楽しみでもあります。

赦しと愛による平和 松林 幸二郎

 昨日,長女 ターニャ さくらの調印結婚式がチューリヒ市役所であり,家族全員が参加して夫君の家族ともども祝福し,ちいさな宴をもつ幸いを得ました。調印後は,旧市街を散策しチューリヒ湖を巡航する船の上で,夏の名残りに暮れなずむ美しいチューリヒの市街や湖を眺めながらのアペロは,それは心和むものでした。夫君ダニエル君はオランダ人(一歳のとき両親とスイスに移住した)で,家族全員がクリスチャンで親切でとても暖かく,特に嬉しく思いました。
 23日のMaur(Greifensee湖の畔)での教会結婚式での説教司式はインドネシア人の(William)牧師/宣教師で,かって敵同士だった日本人とオランダ人が血を流した。国から福音を伝えにきた宣教師のよって結婚式が営まれることに,赦しと愛による平和の象徴をみる思いがして感動しています。
 2人の娘が嫁ぐことによって,スイスに5つあったmatubayashiの姓が2つ無くなり,ちょっと寂しい気がしないではありませんが,二人息子が増えたのですから喜ぶべきですね。