☆ハッピーバースデェー☆
ヒロエ ベル
みなさんご無沙汰しています。
なんと!なんとっ!!今月で(9/14)ソフィアは2歳の誕生日を迎えます。この間生まれたと思えばアッ!という間に時間が過ぎました。このままだとアッ!という間にティーネイジャーかなっ?
ソフィアは体を動かすことが大好きです(*^_^*) ジットしてられないだけなんですけど…(笑)
これまで大きな病気・怪我なくスクスク成長してくれて親として嬉しく思います。
私はこの春から自分のスイミングスクールをオープンすることができました。また1つ夢が叶えられた!!という喜び反面,苦労もたくさんです。今まではただ水泳を教えていたらいいだけだったのが,経営のことやメインテナンスそれに事務的なことまでを自分ですることになったのでいろいろ大変です。
嬉しいことは私のレッスンを受けたくて遠くから足を運んでくれる生徒さんです。それに始めは水が怖くて泣いて泣いてしてた子も楽しんで水に潜る姿を見ると,いつも“やった!”と心の中でガッツポーズをしています(*^^)v
ちなみにソフィアは5メートルは自分で泳げます。顔付け20秒は余裕なんですよっ!!!
…てなわけでベル家はみんな元気にしています(^_-)-☆
これから日本も寒くなっていきますがお体に気をつけてガンガン頑張りましょ〜!
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ソフィア2歳 スコット ベル
I'm sorry we have not written in a long time.
We have been busy this summer swimming and playing.
I has had a lot of summer students to work with, and Hiroe started her own business.
Sophia is talking more and more in both English and Japanese.
She has just turned two years old.
These two years have gone by so quickly.
We hope we can continue to enjoy our life together.
長い間ご無沙汰してしまい申し訳ありません。
この夏,私たちはスイミングや遊びでとても忙しくしています。私はたくさんの生徒と勉強を教え,ヒロエは新しいビジネスを始めました。
ソフィアはどんどん英語でも日本語でも話ができるようになってます。
ソフィアは2歳になりました。2年というのは早いものです。
私たちは家族と一緒に楽しい時間を過ごせることを祈っています。
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自己を考える 相原 雄二
まず平成18年9月6日,午前8時27分,秋篠宮文仁親王殿下(40)と同妃紀子殿下(39)の第3子誕生,お子さまは親王(男児),12日「命名の儀」で悠仁(ひさひと)さまとなる。
日本人の一人として心からお祝いさせていただきます。
さてこの私,50を丁度半ばにして,つらつらおもんみるに,本当に幸せ者であると感謝せずにおれません。そればかりか,こうして生かしていただいていることに恐縮しております。それと言うのも,物,金一切ない,あるのは身にあまるほどの借金,借方人生のこの私,それでもまだこうして命をとらずおいていただいていることに,ただ只,勿体無しです。私が生まれる年に,両親が聖人正統の教学に接し,そのお陰で物心がつくころより耳にして来た道徳ですが,最近になって,ようやくその一部が見えて来たように思います。日本人の平均寿命,男性78.53,女性85.49歳,それからして少しおそ鈍い感もしますが,「すべてゆくよう,なるよう自然まかせでよいと思う」ようになりました。
身の周りで起こるすべてのことを,単なる難行苦行の修練とするのではなく,神さまからの恩寵的試練としてありがたく受けとめるようになって来たようです。両親のこと特に父親に対し,不遜にも大した事もないなどと考えておった自分でしたが,それどころか,どうしても越えられない存在の父であったことに気づく情け無い自己に会いました。
自己に出会った今,すべてを犠牲にする肚(はら)づくりと思い,これからの与えられた人生を歩んで行こうと思っています。
それが,お父さん,お母さんよりいただいた恩がえしになるのかな。
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徳島と北海道の縁 尾野 益大
北海道中西部にある国定公園「雨竜沼湿原」へ行ってきた。日光の尾瀬に次ぐ規模の高層湿原だ。「花の百名山」(田中澄江著)に紹介され,山地湿原では国内初のラムサール条約登録湿地になっている。9月のこの日,西日本は台風13号の影響を受けていたが,雨竜沼は秋を感じさせるさわやかな風と陽光に恵まれ,雨竜沼を経て南暑寒別岳に登ることもできた。
エゾヒグマ,キタキツネなど野生動物も生息すると聞いて複雑な気持ちがあったが,約7時間かけた登山の途中,会うことはなかった。一面が黄に枯れた湿原は,無心にさせてくれるほどの透明感で満ちあふれ,すれ違う人の数も少なく,自然の良さに改めて気付かせてくれる山旅だった。標高は千mに足らなかったが,日本アルプスを想わせる高山の風景を感じさせた。南暑寒別岳も標高1296mの山だが貫禄は二千m級ではなかっただろうか。
雨竜沼の「雨竜」とは、ふもとの町の名前に由来している。元々はアイヌの言葉から来ているという。しかし,この町と徳島とは切っても切れない関係にあることを知る人は少ない。
雨竜町には,1893(明治26)年,明治政府から原野6164ヘクタールの払い下げを受けて設立した「蜂須賀農場」があった。最後の徳島藩主・蜂須賀茂韶が,公爵三条実美,侯爵菊亭修季と1890年から三年間経営した「華族組合農場」の解散後に開設された農場だった。1923年には町の田畑の66%を占め,戦後の農地改革による解散まで農場経営は続いた。この蜂須賀農場が設立されたおかげで雨竜町が誕生した,といっても過言ではなかったのだ。
町内には徳島の旧名とみられる「渭ノ津」,蜂須賀家の紋「卍」に由来する「満寿」,淡路島に由来する「洲本」の地名が今も残るし,徳島、淡路島,香川などからの移住者の子孫の数も少なくない。徳島市内の国瑞彦(くにたまひこ)神社から勧請した雨竜神社もあり,茂韶が書いた扁額が残っている。
蜂須賀家十九代当主の正子さんが今年,同家当主としては六十七年ぶりに訪れ,農場跡地に造った史跡公園,かんがい用水など同家ゆかりの地を見学している。史跡公園は町指定文化財で,事務所の建物「開拓記念館」や百年前に徳島から持ってきて植えた「アカマツ並木」(北海道開拓記念保護樹木)がある。かんがい用水は尾白利加(おしらりか)川から通じる水路で,主に徳島の移住者が建設に携わり,町の水田耕作を成功させた施設として知られている。
雨竜沼の雄大な自然,徳島と縁が深い歴史に合わせて接し,実り多い秋の日をすごした。
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