山野草鉢とおじぞうさん  橋本 節子

 芸術の秋,10月前半に徳島で「山野草鉢とおじぞうさん」の陶芸のイベントが始まります。写真に写っている小さな小さなおじぞうさんは,まるでお昼寝タイム。
 なぞなぞ遊びをしながらも,いつの間にかみんなスヤスヤ眠ってしまったかのような,あどけない可愛い表情。
 そんなほのぼのとしたおじぞうさんを早く間近で,起こさないようにそっと一つ一つ手に取って見てみたいと今から心待ちにしています。
 まるで私の毎日毎日,只々忙しさの中で乾ききってしまっている心を少しずつ潤してくれそうな,そんな気さえして来ます。
 やはりほのぼのとした心の内面をうまく表現した作品が創れるのは,高島さんの御夫婦ならではと感心しています。
 どうかこれからも多くの人々の心が潤うような良い作品をどんどん創って下さいネ。
 お幸せにね!

屈原をたずねて(10-B)  山田 善仁

 のちに褒国の大名の親が罪を得て,幽王がこれを誅しようとした時,この美女を献上して罪を贖(あがな)った。紀元前779年,幽王3年の時である。これが褒(ほうじ)で,幽王5年に正后となる。
 褒は生まれた時から笑わない女であった。幽王に愛されて伯服(はくふく)を生んだ。
 幽王は褒を喜ばせたい一心で,姜(きょう)正后(申(しん)侯の娘)の子,宜臼(ぎきゅう)を太子から廃し,伯服を太子に立てたが,にこりともしない。幽王は何が好きかと尋ねると,昔,絹を裂いた時の音が良かったと。
 絹を山と積み,毎日毎日彼女の前で裂かせた。幽王は,にこりとする彼女に狂喜したが,長くは続かない。
 ある時,手違いで烽火台から狼煙(のろし)が上がり,軍隊が出勤した。「一大事」と都に馳せた諸侯は,手違いと分かり,拍子抜けして,ぽかんとしたり,又憤慨した。
 その有様に褒は笑った。夢にまで見た絶世の美女の笑顔。
 以後,褒を笑わせたいばかりに,幽王は度々狼煙を上げさせては,諸侯を怒らせた。
 申侯一族は正后を外された事も有り,塞外(さいがい)の遊牧民の西夷や犬戎を集め挙兵した。
 幽王は狼煙を上げ諸侯に急を告げたが,諸侯は度々の茶番劇に誰もとりあわず一人の兵士も来なかった。
 幽王は驪山(りざん)の麓で犬戎族の兵士に殺された。
 褒は捕虜になり,民間の伝承では自殺したとされている。
 幽王の死後,太子伯服を変え,先の宜臼を太子に立て,後に平(へい)王となる。
 以後,周王朝は名のみで,実権は諸侯の手に移され,やがて周は,秦の始皇帝に変わられた。
 その始皇帝の陵墓は驪山の麓に在る。又唐の国を傾けさせた玄宗皇帝(712〜755)が楊貴妃と共にした華清池もその麓に在る。

(陳舜臣,中国の歴史,十八史略)(目加田誠,詩経楚辞)

農地が無くなる!  新居 弘悠

 毎日たくさんの食料が捨てられて「輸入してまで食べ残す国」として大変評判が悪い日本ですが,最近,農地がどんどん少なくなっています。
 この付近でも,市内では宅地に,市外では大規模店舗などに変わっています。さらにひどいのは道路へと変わっています。
 日本の食糧自給率は,平成17年度なんと40パーセント! わずか60年ほど前の戦中戦後,食料が不足したことを忘れてしまったのでしょうか? 耕作できるところは全部畑になっていたそうです。
 ところで,何故農地が無くなるのか?
 そこで作物を耕作するより,土地自体を売ったり,賃貸したほうが,効率よくお金が得られるからに他なりません。
 ちょっとおかしくありませんか? 農地として使用しているうちは半永久的に使えます。現在の農地で平成になってから開発されたところはほとんど無いでしょう。ところが江戸時代から使用されているところは少なくありません。先人たちは苦労して農地を切り開いてきたはずです。
 宅地にしたり,店舗にしたり,道路にしたりしたら先々再び農地として使用することは不可能です。もし,再び食料が輸入できない状態が訪れたらどうするのでしょうか?
 とても心配なこの頃です。

楽しみな秋のドラマ   平 澄子

 最近,竹野内君情報が全然伝わって来ないので……。娘にインターネットで調べてくれるようにお願いしました。すると,今忙しいから今度の休みまで待ってと言う返事が即返って来ました。お菓子食べてテレビ見てるのに……。
 お店のお客さんにその話をすると「うん,うん」と二つ返事で調べてくれました。
 10月からスタートするテレビ朝日系,タイトルは「家族」。渡哲也さんと共演で,どちらも妻を亡くした夫を演じるそうです。
 調べて下さった新田さんに感謝,感謝。
 初めての子育て役に挑戦する竹野内君,頑張って下さい!