サントガーレン市にお住まいのクンツ ルツさんの長男のルネ君と彼の家族が,去る8月7日,夏休みにスイスに帰られた。
日本で生まれ育ったルネ君にとっても,1991年まで33年間夫君の故アートゥアさんとともに宣教師として働いてこられたルツさんにとっても,日本は第二の,そして心の故郷である。ルネ君が東京に赴任することになったとき家族は喜びのなかにあった。
ルネ君の会社はスイス ルッツェルンに本社のあるシンドラー社で,この夏シ社製のエレベーター事故のため一人の高校生が尊い命を失った。感受性豊かなルネ君は,罪の意識に電車にも乗れなくなるほどの強迫神経症に苦しむことになり,昼夜たがわず東京支社長の自宅をマスコミが取り囲み,シ社は徹底的に打ちのめされた。
事故を知ったルツさんは,日本の皆さんにどうやってお詫びしていいか,本当に申し訳ないと頭を深く下げられたが,私はルツさんが謝罪されたことに驚くと同時に,ルツさんのその姿に日本の母親の姿をみて深い感動を覚えた。欧州では,親と子は別の人格で,日本のように我が子が罪を犯したことに対して親が責任を感じて自殺することなどありえない。子の勤める会社の過ちに親が謝罪することなど考えられない。
そのクンツさんは,1976年に2歳になった長女を日本で,放火によって亡くするという想像を絶する辛い体験をされている。普通なら娘を殺した日本など即座に引き上げ,生涯日本人を恨み続けることであったろう。しかしクンツ夫妻は,日本人に対して一言も恨み言をいうことなく,日本と日本人を愛し働き続けられ,いまも深く愛されている。クンツさんのいわれるように長女ダマリスちゃんは,“一粒の麦”となって,御夫妻の働きが多くの実を結ぶ事になる。そして,長女のプリシエラさんと,日本人と結婚された次女のタビタさんは両親の意思を継いで,日本で宣教師として働かれているが,これが奇跡でなくて何であろう。
日本人以上に美しく優しい日本語を話されるクンツさんを,私たち日本人は大切な恩人としても恩を返していきたいものと,2つの“死”を契機に改めて思ったこの夏でした。