屈原をたずねて(11)   山田 善仁

 「橘頌(きっしょう)」(橘(たちばな)を頌(たた)うるうた)
 頌(しょう)とは,朝廷の宗廟に奏して,舞を伴ったものといわれる。頌の詩は,元来祭祀に奏するものだから,先祖の功徳を讃美し,祭りをする子孫の慎みを詠い,またその祭りに参加する諸侯を誉めたものが多い。しかし,屈原の「橘頌」は,少しく性格を異にする。
 屈原の理想とする人間像は,内は清潔で外はそれにふさわしく修飾されたものであり,20歳の若き修学時代に,この理想の人間像を楚の特産である1本の橘の若木に寓(ぐう)して詠じたのが「橘頌」篇である。
(1)后皇(くにつかみ)のうめる嘉(うま)し樹(き),橘(たちばな)この地に来たり服(なじ)めり。
 命(さだめ)を受けて遷(うつ)ろわず,南(みんなみ)の国に生(お)いたり。
(2)根は深固(ふか)くして徙(うつ)され難(がた)く,更(さら)に志を壱(ひとすじ)にせり。
 緑の葉素(しろ)き栄(はな),紛(ふさふさ)として其(そ)れ喜(この)む可(べ)し。
(3)会(かさな)る枝(するど)き棘(とげ),円(まろ)き果(み)は摶(つぶら)なり。
 青きと黄(き)なるといりまじり,文章(あや)うるわしく爛(きらめ)けり。
(4)精色(こがねいろ)して内(うち)白く,道を任(いだ)けるものに類(に)たり(任道)。
 紛(かんば)しくして脩宜(すがたととの)い,みめ(うるわ)しくして醜(か)けず。
 「周礼(しゅらい)」考工記に,「橘は淮(わい)(淮河)をこえて北すれば枳(からたち)と為(な)る,此の地の気然(しか)るなり」とある。楚の地にのみ服(なじ)んで生える橘は,後年失脚しても他国に亡命せず,楚国に終始した屈原の生涯を象徴するかの如くである。
 白い花,緑の葉,青い実,黄色に熟した実,外面はきらびやかであや麗しく,しかも果実の内部は清潔で香気に満ちている。前段の詩は橘の木のもつ性状の美が,くまなく描き出されている。

       (竹治貞夫,中国の詩人。屈原)
       (目加田誠,詩経楚辞)

マイペース 2006/10/08  鶴岡とみ子

 季節の変わり目,急に寒くなったらどういうわけか調子悪い日が続いています。
 先日ぐったりしているところをヘルパーさんに気付いてもらえて,救急車を呼ばれてしまう前に,訪問看護婦さんの携帯や友達に電話してくださいました。かろうじて「救急車は大丈夫」と答えられました。
 朝,どうしましょ・・・・夜にはヘルパーさんと笑っている。どうしてこんなでも生きていられるのだろうと,感謝するそんな日々。
 腕が動かせない朝を2,3ヶ月過ごし,この2日,午前中いっぱいは全身の筋肉が動きにくく起き上がることもできません。薄い毛布すら引っ張れずに朝になると身体が冷たくなっているのです。ヘルパーさんも意識混濁しているわたしをどうしたらいいか困っています。こうしてくださいという約束事も度々忘れてしまうみたい( ̄(エ) ̄;)
 今,動けるうちに ひさしぶりにブログ更新です。ご無沙汰して失礼してます。
 保冷枕の「くまこ」はマイペースでっせ♪
 わたしの重さでだいぶ痩せたようですが,一生懸命働いてくれています。
 ありがとう。
   みんな・・・!!

 グ ラ ン プ リ!!   林 隆

 そうさ
 悲しみを優しさに 自分らしさを力に
 迷いながらでもいい 歩き出して
 誰かの期待にずっと応え
 褒められるのが好きなのですか?
 成りたい自分をすり替えても
 笑顔はいつでも素敵ですか?
   ・・・・
 そうだ 大事なものはいつも
 形のないものだけ
 手に入れても なくしても 気づかぬまま

 この詩を読んで,あれ聞いたことがあるな,と言う方は,子供とよく接している方なんでしょうね。
 御報告です!
 娘がグランプリを獲得しました!!
 なんのかって?
 まさか,上の詩を作った,なんて言うわけではありません。(当然!)なんと,所属するアニメクラブで,友達と一緒に上の歌を歌っての獲得です。(笑)
 で,なんの歌かというと,日本の“Naruto”というアニメの主題歌なんです,これは。
 アニメクラブですから,そもそも・・・
 しかし,娘に聞いてもよく意味がわかっていない,その友達にいたっては,練習中,親にどんな内容の歌を歌っているのか,と聞かれても,全然答えられなかったそうです。(爆)それでも「音」で覚えてしまうんですね。驚きです。娘が友達に渡した,ワープロで打った歌詞は,
  sousa kanasimi wo yasashisa ni
  jibunnrasisa wo chikara ni
  mayoinagarademo ii arukidasite
てなものです。
 まあ,歌は知りませんが,内容さえよくわからない日本語の歌を覚えて歌った,ということで「努力賞」なんでしょう。
 この“Naruto”というのは,別に日本語TV放送でやっているのではなく,こちらで英語の吹き替えで放送しており,他の日本製アニメと同様,こちらの子供には結構人気があるようです。
 ところが,その主題歌だけは日本語の歌詞のまま・・・ということで,それを歌ったんで,皆に受けたんでしょう。
 しかし・・・
 勉強しているのかと思えば,ネットでこのアニメを見ている,なんてこともしょっちゅう・・・あまり喜んでばかりも居られませんが・・・
 せめて,本当にこの歌詞の内容を理解して,そのように生きてくれることを望むばかりです。
 歌詞そのものは,大人にとってもなかなかいい詩ですんで。

r&l      森山 義秀(二本棒)

という題ですが,right(右)とleft(左)の話ではありません。日本人の心のおはなし われわれが最も不得手(ふえて)とする英語の発音は,RとLの区別だといわれて久しい。中学生の時分,英語の先生から,「ライス(お米,rice)を食べたい」が「シラミ(lise)を食べたい」にとられて相手が仰天したと教わった この話の真偽は別にして,日本語のラ行の「発音」はla,li,lu……であって龍もlyuである。日本語にないrの発音はムリだという居直りとも諦めともとれる見解がありました。果たしてそうだろうか rの発音が下手なのは日本人のココロにあるのではないか。誰だってrの発音はできる。しかし正確に「r」とやると英国人ぶっているとか気取っているとか思われてしまう。これは目立つ,恥ずかしい。いや,私は協調を旨として暮らしていきたい。こういうココロ遣いがrの発音を困難にさせている… このr,中国語にもあります。身近なところでは,イー,アー,サン,スー(数の1,2,3,4)の「アー」と10の「スー」に反舌(そりじた)音というrがはいっています。さらにlもありますからrだのlだのという苦労がない。だから中国人は英語の発音が上手いうえ上達も速い。文型もS+V+Oで同じだし,と ちょっと前の官房長官。真夜中に竹薮からヌーと出てきた空腹のユーレイのような立ち姿でボソッ,ボソ。接続詞は,エー,オー,アー。同じころの彼の国の報道官は威風堂堂,敵ながら天晴(あっぱれ)でありました。やはり外国語の習熟の差は覇気雄心にあるのではという気がするのでした。