自然の恵み             相原 雄二

 今月は,親子三人で楽しみにしていた芋掘りをしました。妻が二本の木より金柑(きんかん)をボールに一杯(も)いでいた6月の頭,この薩摩芋を植える畑を田返したのを思い出しました。6月14日の朝,妻と二人でイノシシに掘られなければと心配しながら,鳴門金時の苗を100本挿しました。丁度3ヶ月の日が流れ,夏の焼けるような太陽の光と熱,そしてほどよい梅雨の潤いを受け挿したばかりのあの弱々しい芋の苗が,見る間につる蔓を伸ばし畑一面を瑞々しい若葉で埋めつくしてしまいました。それと楽しみながら濃い緑の葉の上に,黄色に色付いた枇杷(びわ)を収穫したこともあり,田舎の里をこよなく味わっております。隣の畑ではつるインゲン,真っ赤なトマトとブドウのふさのようにむらがって生(な)るミニトマト。これまた取り込むのに忙しいくらいつづく。話は前後するのですが,今年は枇杷と同様に青梅も例年になく我が家にとって多過ぎるほど収穫ができました。御裾分け(おすそわ)のできない貧しい暮らしの家でも,両親が何十年も前に植えてあった生り木の恵みをいただきこの夏は,皆様にお配りできたことに感謝しています。
 晩酌は我が家の庭(一抱園(いっぽうえん))で取った梅酒に焼酎これがまた一日の疲れをとる妙薬となっています。3年生の娘が胴回り8cm長さ22cmの今年一番の大物を掘り当て,妻に大きな声で自慢げにはしゃぐ姿を見て,大自然の恵みにただ只,感謝するのみ。

感 動                  本多 幸代

 秋晴のすばらしい青空の朝の出来事です。
 いつものようにお店を開けて,しばらくして二人のお客様。「おはようございます」いつものあいさつ。「うん」どこかでお会いしたかなぁ? でも初めての方だと思いつつ,思い出せません。
 暫くして「西山欣子です」と言われたのです。
 『え! うそ!』(心の声) 一度お会いしたかった方だったのです。
 10年前,娘に絵をプレゼントしてもらってから,どんな方が書いているのだろうと思い続けてきました。お聞きしたいことは山程ですが,お連れ様がいたのと,頭の中は真っ白。何も聞けずにいました。
 お帰りになるようなので,無理と思いつつ「本当にあつかましいのですが,何か書いて頂けませんか」とお願いすると,
 あっさり「何書いたらいい?」と言って下さいました。(やったぁ)
 お連れ様と御自分の似顔絵とお名前を入れて下さいました。私の宝物です。
 今日の私は秋晴のすばらしい感動の一日でした。でもいい年してと笑われてしまいますよネ。


道は続いて             大西 時子

  争いを好まない。怒れない。
  悲しまず 笑っている。
 何か 大きな洗脳の手が 私の情動を意識下でコントロールしているかのようでした。
 変な子供でした。
 青年期に入り,百花繚乱の春が蠢き出した時,これはとても窮屈なマインドコントロールでした。めくるめく生を謳歌したい。蛹が羽化するようにたたみ込まれたひ弱な翅を四方にのばしはじめたのはごく自然な流れでした。
 翅が伸びるにはちょっとした宗教観や手近な思想めいたものも必要で,なにやかや種々雑多な読み物に没頭しました。良いも悪いも取り入れて青息吐息の青春放浪記。
 壮年期をそのまま歩き熟年期もまだ歩き,いき暮れる寸前で苦し紛れに飛んだ溝が図らずも真の羽化を促す契機になったような気がしています。
 何が真だかわからないけれど,飛んだ時に谷にこぼれた雑多な物が溢れんばかりの私の器を空(うつろ)にして,新たな風で満ちてくると青い鳥が足元にうずくまっていたことにも納得して,今やっと「夢」を「夢」として描ける青年期を生き直しているような気がしています。

ケロリと忘れるように     橋本 節子

 今,モタさんの「楽ラク人生術」(前向き発想法)−逆境を活かして生きる− 第4巻のテープを聞いています。
 このテープは鳴門店のお客様の林さんにお借りして,10巻余りある中の一部です。
 モタさんとはマスコミのつけた名前で,斎藤茂太さん(精神科医・医学博士)です。
 訥々とした喋り方ですが,なるほどと気付かせてくれる所が多く,例えば早期発見・早期治療でうつ病を吹き飛ばそうというテーマの所では「嫌なこと」も見方を変えれば「嬉しいこと」,自分で自分を追い詰めない。楽観的に生きていこうと,今まで生きてきた経験をゆっくりと分かりやすく話してくれます。
 こんな話から,私も色々な事でよく失敗しますが,反省した後は,「ケロリと忘れるようにしよう」と思うように変わって来ました。
 やっぱり自分の世界の中だけでいてはダメですね。