命(いのち)       相原 雄二

 今年の世相を漢字一文字で表す「今年の漢字」に「命」が決まった。日本漢字能力検定協会(京都市)が毎年公募で選んでいる。
 今年の応募数は過去最多の約9万2000通で,「命」は最多の約8400票を占めた。
 選ばれた理由は,41年ぶりの男子皇族となった秋篠宮ご夫妻の長男「悠仁(ひさひと)さま」のご誕生や,児童虐待,自殺など命にかかわる事件の多発をあげた。2位は「悠」で約3800票。3位は「生」の3300票。上位3文字がいずれも,ご皇室と生命にかかわる文字になった。以上産経新聞12月13日の第一面を読む。
 この記事を読んで想うのは,日本民族の精神的支柱である天皇,及び2000年以上も脈々と続いてきた天皇家のことを,これだけ多くの国民が関心を持って,共有していることに,心少し安堵しました。
 命にかかわる事件事故も多発した一年。命の尊さを見つめ直すとともに,「わが命」御両親を始め,御先祖さまより「授かった命」もう少し云えば御先祖さまより自分という存在を介して,次の世代,子や孫にバトンタッチするまでの間,「お預かりしている命」である自覚が大切です。
 ちなみに過去5年の漢字は,昨年から「愛」「災」「虎」「帰」「戦」だそうだ。
 ともどもにこの際,日本人が日本人として生まれ,この世に存在(生かされている)している価値と意義,そして後世に何を残せるかをじっくり考える機会としたいものです。

修行       森山 義秀(二本棒)

という題ですが,滝にうたれたり飲まず食わずで山野を跋渉(ばっしょう)するという話ではありません。なにをどう書くかという文章修行のおはなし 「名文をよめ」(『文章読本』丸谷才一),「どうにも書きたい。人に知らせたいという内容があるからこそ,それを誤りなく,そして快く受け入れてもらうために言葉を選び,構成を考え,文章を練るということが生じるので,その逆ではない」(『文章読本』向井敏),「大切なのは内容,本気で考えシンプルに書く。密度が濃い文章で」(『文章作法』桑原武夫),「文章修行というものがあるとすれば,その基本はまず自分の好きな作家に集中するという事ですね」(『私の文章修行』ダカーポ260号団鬼六),「丸谷才一の『文章読本』を読め。とくに第二章「名文を読め」と第三章「ちょっと気取って書け」の二つの章を繰り返し読むのがよろしい。これが現在望みうる最上にして最良の文章上達法である」(前同ダカーポ260号井上ひさし) どれも本質をとらえていて唸(うな)ってしまうことばかり。凡夫の身で達意の文章をかく秘策はないものか こういうのはどうでしょう。文字にしようと考えていることを他人に話してみる。結論を先にいってしまうと相手ははなしをきいてくれません。話のオチを隠しておいて材料があらかたそろったところで,だからこうなんだ,と締める。うまくいったときの組み立てで文章にしてみる と,ここまで書いてきて私じしんまことに説得力のない文章を書いていることに気づいてしまう。ことほど左様に,ムツカシイから文章修行というのです。

人間の本性       近藤 隆二

 人間の本性は性善説(孟子)と性悪説(荀子)がありますが,孔子は人間の本性は善でも悪でもない。教育によって善人にもなり悪人にもなっていくことを説かれています。
 生まれながらに善人であるとか悪人であるということはない。
 正しい学問を基礎にした正しい教育によって善人になっていく。
 モラロジー教育は悪人を善人に,又善人を大善人に育てる教育を目標にしている。又神様や仏様,聖人に近い人を教育する。
 師匠よりも弟子,親よりも子供が偉くなる出藍教育もめざしている。
 人間が持っている本能は,自己保存の本能から利己的本能に成り易く道徳的本能は発揮しにくくなっている。
 「人心之危うく道心之微なり」と言う教えがあるように,大部分が利己的本能におおわれて道徳的本能は顕微鏡で見る如くに微しかないと言われていて,私達は祖先の余徳によって悪の道へ進まずに聖人の教えに接することが出来ると教えられています。私達も徳を積んで(陰徳)子供が又聖人の教えにご縁が出来る種を残しておくことが親祖先に対するご恩返しであることを学びました。

一年の計を        月岡 功

 古来より一年の計は元旦にありといわれてきた。新しい年一年間を無事にさらに有意義に過ごすためには一年間にやるべきことを元旦になるまでには見極めておく必要があるとの意味だと思う。
 一方で無計画の計画などという乱暴あるいは怠惰な思想もあって,その中間で揺れ動いていることが多い。
 計画を立てるに当たっては各種例祭などの年中行事や納税等定例的な役所への届出のように年末まですっきりと見通せる計画事項と入試結果や農作物の生産高等その時にならないと分からないことや葬式や自然災害の発生など突発的なことの計画外の事項とに分けて考えることができる。
 計画事項については月日までも決めた計画を作ることも可能であるので作ろうと思えば作ることができる。
 計画外事項については元々が不確定要素の塊であるので決めることはナンセンスである。しかし,起こったときにどうしようかという手順を考えておくことはできる。これが計画といえば言えないことはない。
 計画を何も立てている気配がないのに何事も整斉と処理し突発的事項も臨機応変に的確に処理できる人も居る。でも,何らかの計画を立てておくほうが心の平安と精神の安定に繋がるように思う。年の初めには,なるべく計画を立て,できれば計画表として作ろうと思ってはいる。

モネの家