忌部の話 三 「麻植の地名」      尾野 益大

 麻植は,阿波忌部の根拠地といっていい。
 麻殖の地名について,最も古い事例は,正倉院御物の「墨書名」「阿波国麻殖郡川島郷少楮里戸主忌部為麻呂」(732年)だろう。「古語拾遺」(807年)にも「麻殖」と出てくる。忌部が穀・麻の種を植え,大嘗祭に荒妙(あらたえ)を貢進するため「郡の名を麻殖とする」とある。
 平安中期の漢和辞書「和名類聚抄(和名抄)」(934年ごろ)では,阿波国麻殖郡の中の郷名として「呉島,忌部,川島,射立」の四郷を挙げていて,麻植と忌部とは深いかかわりがあることを容易に想像できる。
 吉野川市山川町には忌部神社が鎮座しているほか,同市内には縄文,弥生,古墳の各時代の遺跡と遺物が多く,銅鐸が出土している点からみても,麻植が忌部の根拠地であったことを裏付けると考えられる。
 銅鐸と忌部の関係では,忌部と関係がある大麻比古を祭神とする鳴門市大麻町の阿波一の宮・大麻比古神社の近くから銅鐸が出土しており,香川県西部にある大麻山の付近からも銅鐸が出土していて,忌部と銅鐸は何らかの関係があるとみるのが自然だろう。忌部は大嘗祭など朝廷の祭祀に携わり,銅鐸も祭祀に使われていたとされているからだ。
 さらに銅山と忌部も関係があるのではないか。麻植では高越鉱山,川田山の銅山が知られている。「射立郷」は,武器の楯(たて)を造っていた地名に由来すると推測できないだろうか。
 麻植について,「殖」の文字が「植」に変わった時代は詳らかではない。また、読み方について,なぜ「あさうえ」と読まずに「おえ」と読むのかは定かでない。阿波忌部がはるばる海を渡って開拓した安房(千葉)では,植えることを「おえる」と言うらしいから関係があるのかどうか。
 古語拾遺には「古語に,麻を総(ふさ)という」との記述があるが,「おえ」とは直接結びつかない。麻植の読み方が全国の難読地名の一つに挙げられる所以だろう。
 徳島県内では,麻植郡は吉野川市(旧鴨島,川島,山川の各町,美郷村)と美馬市木屋平(旧木屋平村)を指していた。現在,市町村合併によって由緒ある麻植郡の地名は消えたものの,一部では残っている。大字小字を含めて麻植塚,西麻植,麻植市だ。これらは麻植が忌部の根拠地であったことを示す貴重な文字遺産といえる。

すえドン♪の四方山話        須恵 泰正
「四国三郎」吉野川「阿波富士」高越山

 私の住む徳島県吉野川市山川町は,その名の通り「山」と「川」のある町です♪
 四国一の大河「吉野川」と,「阿波富士」として親しまれている「高越山(こうつざん)」の写真を撮って見ました。
 地元の人達は親しみを込めて
「おこうっつぁん」「おこおっつぁん」と呼んでいます(*⌒▽⌒*)♪
 高越山は毎朝,出勤前に家の庭から撮り続けているのですヨ(^ ^ ;♪
 高越山の標高は1133m,少し前までは1122mとなっていましたが,測量の結果間違っていたようです(^_^)~
 このあたりには6世紀頃から忌部(いんべ)氏が住みついたと伝えられています。忌部一族は「麻」などを栽培し,天皇の即位に伴う儀式に使う「あらたえ」(麻の皮の繊維を紡ぎ,その糸で織った粗布)を献上するならわしがありました。
 このような事から中央権力と結びついていた忌部氏の勢力が強かったので,このあたりは古くから開けていたようです。
 高越山には7世紀頃に高越寺が建立され,仏道修行の場となりました。南北朝時代には,平野部は北朝方の支配下にありましたが,高越寺の山伏は南朝方に属して活躍したと伝えられています。
 南北朝時代が終わると,高越寺は支配勢力との結びつきを強め,藩政時代には藩主の尊崇を受け,田地等も寄進されました。
 歴史のある「高越山」を見続けて育った私ですが,いつ見ても飽きない秀峰です♪

お遍路と私(5)    秋山 容洋

お遍路さん同士の心の融合  般若心経を一緒に唱え,目的地に向かい同じ歩を進め,同じ釜で飯を食べる,そしてお風呂で裸になって会話をする事により,お遍路を始める前は面識がなかった人とも,心が通い合いずっと一緒に何かをやってきた仲のような感覚を受ける。そして,自然と心が清らかになり,普段知らない人に絶対挨拶をしない人でも,すれ違うと自然に「おはようございます」「こんにちは」などの言葉が出ていた。何かお遍路をする過程で,本来あるべき人間像が形成されているようである。ターナーの巡礼理論でもあるように,お遍路は年齢・階層関係なく構造を離脱し,コミュニタスを経て,再び構造に戻る身近な宗教行為であると実感した。
達成感  21番札所太龍寺の本堂に着いたとき,何所からともなく生まれた達成感を得ることができた。同じお遍路として助け合ってきた仲間たちと,労を労いあい,喜びを分かち合った。童心に戻ったかのような爽快感があった。気付けばつらい行程も忘れ,やり遂げてよかったと思う,充実感があった。
 以上はほんの一例であるが,お遍路三日間の間で,気付きそして学んだ事は数知れない。時間があれば,新たなる歩を進め,未知なる発見の旅に出たい…。生まれ故郷,四国にこんなに素晴らしい場所があるなんて,何て素晴らしい事だろう…。


(写真はすべて,私自身がデジタルカメラで撮ったもの)

(完)

徳島県で とくしましょ♪       小林 泰代

朝早く起きると・・・徳だね〜♪
徳という字・・・徳島県・・・で、思い出した!!全国のアンケートで、住んでみたい県のランキング44位だそうです!
後ろから数えるのがはやいっ☆
でも、ぬぁんで〜?

こんな、たのしい所は無いのに☆そりゃぁ都会に比べれば、発展途上かも知れません・・・・特に、大きなイベント施設があるわけでなし、アトラクションワールドがあるわけでもない。けれども、わくわくするような事いっぱいあります!!
私も、ナイナイと思ってました。
なぁ〜んも無い。
おもっしょおない。と!!

でも、それは、私が思っていただけで・・・・
ふと、気がつけば数え切れない程、わくわくする様なこと。たくさーん、たくさーん☆ありました☆

そして、発展途上だったのは、私の考え方だったことに気がつきます。
発展途上なら面白く、楽しく、していける!!!
44位とかいうランキング… それがどうしたっ。
44位なら、いつでも2位でも1位でもなれる!
発展できるってことです。

逆に・・・・
山、川、海という財産がたくさんあるではないか!
食べるものも、めっちゃうまい。
空気も、水もうまい!住めば都☆
ビジネスチャンスもたくさんあります☆
ビジネスは難しいといわれていますが、ここで成功するってことは、日本で、世界で成功したも同然☆
徳島県でとくしましょ☆

いまだに、徳山・・・とか徳の島とか言われちゃうけれど、キムタクもスマスマキッチンでよく使ってる、すだちも徳島県産やしぃ〜
サーフィンじゃぁ、世界のサーファーもうなる波があるしぃ〜

それよりも・・・・
古事記の舞台なのですから・・・ここ徳島はっ!!
日々、無いものを有るにするのは、ひとりひとりなのだと。