“もういくつ寝たらお誕生日”と,新しい年が始まるや否や,Aさんは毎日指折りして数え始めます。その嬉しそうな表情は,自分の誕生日が近づく(といっても2ヶ月近くあるのですが…)ことに嬉しさを隠しきれない童女のようです。自分の誕生日が来るといって心底喜ぶのは,人はせいぜい20歳代ぐらいかもしれません。40才,50才になった途端,鬱傾向になる人も少なくないと聞きますが,Aさんは2月22日で57才になる女性で,私の勤務するGrossfamilieに住む,障害が重くて外の作業所に行けない障害者2人のうちの一人です。重い脳性麻痺で体や指はいびつに曲がり,発する言葉を聞き取ることは至難の業です。しかし,Grossfamilie内のやぎ工房から生み出される手工芸品の大半は,彼女の節くれ立ち曲がって自由に動かない指から生まれるのは驚きというほかありません。
Aさんは,Grossfamilieに住みながら10年の間,火曜水曜と,私が1年半前まで勤務した施設の作業療法室に実に活き活きと“仕事”に通っていましたが,施設のリストラで突然来れなくなりました。5年前に母親を,2年前に父親を亡くして悲嘆にくれ,親代わりになっている姉も乳癌で病身となっているのに,生き甲斐でもあった“仕事”に明日からくるなという宣告は,それはむごい仕打ちだったことでしょう。それは,彼女にとって到底理解することのできない晴天の霹靂で,いつ再度“働きにいけるのか”と問う毎日であったとのことでした。効率主義もリストラも,人の幸せや人生が破壊されることにほとんど関心がありません。まして,抵抗出来ない障害者や弱者を切り捨てることに心を痛めることもありません。
Aさんの住むGrossfamilieに私が働きに来て,作業室を改造して,再び大好きな刺繍,紙漉,工芸を始めたときの喜びは計りしれず,私の転職が間違いでなかったことを知らしめてくれました。体面,体裁,へつらいと私たちの心を縛る枷は,一般に知恵遅れといわれる人たちにはなく,喜びも人の好き嫌いもストレートに表現してきます。私たち“いわゆる健常者”は,彼らからどれほど沢山の,貴重なことを教えられているか計り知れません。Aさんのような童心は永久に持てないかも知れませんが,私たちがこの年まで生かされていることの意義を大切にし,感謝し,すこしでもAさんから学びたいと願った彼女の誕生日でした。