お鯉さん 近藤 隆二
昨年12月に県民栄誉賞を受賞され,今年4月27日が満百歳のお誕生日を迎える。その日郷土文化会館でお鯉百歳よしこのコンサートが開催される。その日に市民栄誉賞と名誉市民称号贈呈式が行われる。阿波踊り(よしこの)を唄い続けて75年,日本国中はじめ世界の阿波踊りへと発展したのもお鯉さんの功績は尽大であります。百歳までも三味線を弾き,よしこの節を唄われるのは,日頃のご精進と今でもお弟子さんを指導される素晴らしい能力(精神力)に驚くばかりです。しかし偶然ではありません。いつも明るい笑顔,相手を思いやる優しい心,ひたむきで謙虚な心,人をなごませる穏やかな心。自然の法則に合った心遣いを日常使っている。規則正しい生活,いつも夢と希望,目標を持っている。頭を使っている,回転が早い。数え上げればきりが無いくらい健康で長命に生きる法則を守っている。私もお鯉さんにあやかりたいといつも思っています。
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一本の街灯から 石渡 修司
映画「三丁目のタ目」が,少し前に人気でした。今,「東京タワー」が人気です。どちらも昭和の三十年代を舞台にしています。映画を見ながら,なつかしさに涙があふれます。わたしたちが見たいと思っても,もう見ることができない情景になってしまったのです。
この四月に中昭和町の徳島キリスト教会に着任しました。牧師館は教会の裏にあります。教会と牧師館は同じ敷地内にあります。教会は車の通る道路に面しています。牧師館からは裏の路地に出ることができます。その路地に一本,街灯が立っています。この頃の街灯は蛍光灯に変ってしまいました。しかし,この街灯だけはまだ電球のままです。電球と傘が絶妙な組み合わせです。ずっと以前に見たことのある風景がここにありました。そんな眼で,近所を見ながら歩いてみますと,なつかしい風景にいくつも出会います。まず,気づいたことは,路地がたくさんあることです。家と家とあいだに狭いけれど,人ならば通ることができる細い道があります。人に便利なように,近道,抜け道が互いの譲り合いからできていったのでしょう。人さまの家の庭の脇を通っていくので,妙に緊張します。
そこで,もうひとつのことに気がつきました。囲いの塀の低いことです。わたしたちの背たけよりも低いのです。ですから,庭がすっかり見えるのです。塀が防犯のためにあるのではなく,境を示すためだけにあるのです。庭を見せることになりますが,通る人の姿も見えます。目があえば,挨拶もするでしょう。この町には,人と人の交わりを大切する思いがあるように感じます。
もう映画でしか見ることができなくなった情景が,まだ残っています。わたしたち夫婦は散歩しつつ,新しい発見と出会いを楽しんでいます。徳島は魅力にあふれています。
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忌部の話 五 「遺跡と遺物 その二」
尾野 益大
吉野川市山川町の忌部神社は通称・忌部山の北側中腹に位置する。一帯は「和名類聚抄」(935年ごろ)に出てくる「忌部(伊無部)郷」で,忌部一族が活躍した根拠地の一つとされる。
忌部山の標高約250mには忌部一族の墓と見られる「忌部山古墳群」がある。横穴式石室をもつ円墳が5基あり,6世紀ごろの築造とされている。石室はドーム状をしていて,棺を納める玄室部の隅を丸く積む特徴があり,同様の石室は旧麻植郡内に約20基確認されている。
史料も照らすと,6世紀後半には麻植郡内で忌部一族が隆盛を誇っていたことが推測できる。一説では,8世紀ごろまで忌部の活躍は続き,中臣氏に徐々に排除されていく。ただし三木家など阿波忌部が担ってきた天皇即位礼の際の儀式・大嘗祭に欠かせない荒布(あらたえ)を貢進するという伝統は現代も受け継がれている。
ところで,忌部山古墳の横穴式石室は「忌部山型石室」と呼ばれ,その構造は美馬市美馬町にある徳島県最大の円墳「太鼓塚」(東西径37m,南北径33m,高さ10m)と「棚塚」(直径約20m,高さ7m)の2基をもつ「段の塚穴」(国指定史跡)の石室と兄弟関係にあるという。
このうち,太鼓塚の横穴式石室(全長約13m)は四国最大級。石室の構造は全国的にも独特で,同様の型は阿波市阿波町から三好市池田町まで吉野川流域に約30基点在する。このエリアは律令期の美馬郡にあたり,特に段の塚穴周辺は古墳時代以降,徳島県西北部の政治,経済,文化の中心地だった。
さらに奈良国立博物館が発掘調査に携わって分かった徳島最古の壮大な寺院である白鳳(白雉)時代(7世紀後半−8世紀初め)の郡里廃寺(立光寺)跡(国指定史跡)もある。法隆寺の規模に匹敵するという。同寺は郡司,国造家の氏寺と推定でき,一帯には仏教文化が栄えていたことも分かる。
さて,段の塚穴の築造には,弘法大師空海(774−835年)の父方の出自と同じ姓の佐伯氏がかかわったとの説がある。佐伯氏は讃岐の豪族で代々国造家だった。大伴家持が出た大伴氏から分かれた一族といわれる。母は渡来人系の一族の阿刀氏。
忌部山古墳と段の塚穴が,石室の特徴などから見てルーツを同じくする兄弟関係にあるとするなら,築造した氏族も密接な関係があると見るべきではないだろうか。阿波忌部が讃岐に進出していることは分かっており,佐伯氏も段の塚穴の築造で阿波に入ってきたことが事実とすれば,忌部と空海との関係についても「絶対にない」とは言い切れない可能性がある。
【写真 段の塚穴 太鼓塚正面】
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幸せを願い祈る心 山田 章
一昨年11月,私は,長年の仕事を退職しました。家内に勧められて「遠藤青汁」の配達をする事になりました。作業は単純で簡単なものでありますが,只今は多くの事を学びました。
私の結婚は26歳の時でした。義理の親との仲を悪くして,小心な私の心は我が身を痛め付け,十二指腸潰瘍となり大手術をして一命を拾いました。其の後は幸いにして一度も大病なく過ごしています。人生,幸せの条件は色々と有りますが,第一条件は,私は体の健康であったと思います。
私は毎朝90ccの瓶に「ケール」の青汁を多くの人々に配達をしております。その行為の一つ一つを,先方の飲んで頂く方の健康と幸せを祈って配達をします。此の他者への幸せを願い祈る心が,己の只今の幸せが得られる事に気付く事が出来ます。それは大自然の恩恵の中に私達は生かされている事に気付く事かと思います。社会の現状を見るに,世相の汚れた公害の激流の中で大地にしっかりと根付けて行く姿は,鳴門海峡に於ける若芽のごとく強く立派に育つ環境が実証しております。
素直な心になって,古代より現代の歴史を通して,我が心を正しく眺める時に,只今の仕事の中から我が人生70年の短い時間が重なって来ました。残りの少ない人生を少しでも多くの人様の幸せと健康を祈る時間を大切にして行きたく思います。
今後のご指導をよろしくお願い申し上げます。さようなら!!
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