旅の途中で       相原 雄二

 古(いにしえ)の人は,人間一代の生活を旅行にたとえてあります。すなわち旅行の途中に,海あり,山あり,河あり,橋なき所あり,荊棘(けいきょく)の茂れる所あるごとく,人生の途中にも種々の困難があるのは自然のことだと。ゆえにいかなる賢人にても,善人にても種々の苦労を好むと好まざるとにかかわらず謙虚に受けて行かねばその目的を達成することは出来ないのです。そこで人間の一生涯の目的地,人生の目的とは,何なのか!を考えたいと思います。
 世間一般の考えでは,名誉,地位,財産また学力,知力,金力,権力及び腕力等を尊(たっと)び,それを終着点として旅の目的地に置いている人が多く見受けられます。たとえば財産(金)を挙げれば,近くはライブドアの堀江被告また村上ファンドの村上被告など,この金を最重要視した目的地,人生観を持ったと推測します。老子の教えに「天網恢々(てんもうかいかい),疎(そ)にして漏(も)らさず」との諺があります。天の網は広大で目が粗いようだが,悪人は漏らさずこれを捕える。悪い事をすれば必ず天罰が下るということだ。また「事を謀(はか)るは人にあり,事を成すは天にあり」と中国の『三国志』に見れる史実に「事を計画するのは人間の力で出来るけれども,これを成就させるは神様の力すなわちその自分と相手方との徳〈運命〉の多少の結果である」と教えています。日本では徳川家康と石田三成とその知略は伯仲(はくちゅう)の間なれど,その徳すなわちその人の運命に大差あり,三成派はこの理を知らずして亡(ほろ)びたのです。
 それゆえ人間の力というものは小さなものと知らされます。以上のごとく平素から徳を積み好運命を開いておかねばいかなる妙案もしくは努力もとっさの際に破れ,たとえいったん成就しても短い間に崩れるようです。
 成功者,不成功者の成敗はみなその祖先以来の累積の徳の優劣にあるようで,先に挙げた金力等よりは自己の道徳の実行の累積のいかんとその結果たる徳の多少とによることを悟らねば愚人ではなかろうか,と。
 どうもこのあたりを旅の終着地に置いた方が善いように思えてまいりました。

ねこに学ぶこと   鶴岡 とみ子

 このところ心身ともにくたびれきってるうえに,福祉用具の会社と介護の会社の問題が相次ぎ,ベッドから離れてる時間が極端に少なくなっていました。
 今夜はひさしぶりに夜,座ってはみがきができました。座っていられる時間が短くなっているので,ついでに循環器の検査もしようねというたった5日の検査入院も,はっきりした日程の連絡がまだありません。
 余裕がなくなってる自分を感じる時,となりのアパートの階段の上にいつもいる常勤の猫ちゃんのだらしな〜いのびのび足を眺めていると,
「なんでそんなことで振り回されてるの?」
 そんな言葉がきこえてきた気がする。
 もがいてもどうしようもないときは,やることをつくして,それこそ『天命』を待つだけでいいんだね。
 お友達からほっとするポストカードも届く。
 ヘルパーさんも余裕ないからまたまた一緒に癒される。
 ありがとう。
 昼にトイレの窓をあけて換気してもらっていたら,違う猫がちょこんと座っている。
 ヘルパーさんがほらほらと教えてくれる。いつもそこにいるのはこの子。
「はぁい! 来てくれてありがとっ!」
「どういたしまして,今日はおでかけしないの?」
「んだっ」
 でかけたかったけど動けなかった〜!

忌部の話 六 「遺跡と遺物 その三」
               尾野 益大

 稲作に伴う祭祀に使われたとされる銅鐸の時代が一世紀ごろに終わると,「朱(丹)」が祭祀の現場に登場する。朱は有害物質の硫化水銀であるが,道教で「不老,不死」の薬と考えられ,古代中国では貴族に利用されたという。こうした中国の思想の影響下で,祭祀または呪術に用いられたようだ。
 興味深い話として,時代は下るが,弘法大師空海は肝臓障害に悩まされ,亡くなった理由の一つにこの朱をとりすぎたという説がある。朱の一大産地である阿南市の若杉山は,空海が実際に修行した太竜寺山の北斜面中腹に位置しており,空海は朱のことを知っていたのかもしれない。朱は過酷な山林修行の疲れを取る滋養強壮剤であり,生薬「陀羅尼介(だらにすけ)」の原料でもあったそうだ。
 その若杉山の朱の産地は広大なエリアをもち,現在でも特定ができていないほどだ。弥生,古墳時代には国内唯一の産地でもあったようだ。若杉山で原石を採掘し,精錬作業もしていたという。また,若杉山から古代阿波の中心地・国府周辺の吉野川下流域まで運んできて,三世紀ごろまで朱を用いた集落祭祀を行っていたと見られる。しかし集落祭祀の詳しい実態は不明のままだという。
 二世紀以降には,朱は,首長クラスの人たちが独占して所有した。これは,鳴門市の前方後円形の墳丘墓「萩原1,2号墳」や他の前方後円墳に使用されていることからよく分かる。徳島県外の古墳で利用されている朱の多くが若杉山産である可能性は極めて高い。
 この前方後円墳の成立にも中国の思想が影響しているという指摘もあり,朱と萩原墳丘墓のような前方後円墳のルーツとされる遺跡が徳島に存在することは,古代阿波と中国・朝鮮との結びつきがいかに強かったかを表す証明になる。
 国府の観音寺遺跡からは,国内最古の論語木簡も出土している。阿波国造は当時,独力で中国系の博士を招く力があったわけだ。
 「魏志倭人伝」の内容との関連も興味深い。邪馬台国の時代,邪馬台国の使者が中国・魏王朝に贈答した朱の中には若杉山産が入っていたかもしれない。
 こうした土壌に,朝廷の祭祀を司る忌部が生まれ,住み続けたことは容易に理解できる。

60本のバラ       本多 幸代

 5月2日60才の誕生日でした。
 毎年訪れるこの日ですが,今年は還暦の年。とうとうこの年になったのかと,ちょっぴり複雑な思いでした。夕方友人が訪ねて来て,「今年100才を迎えたお鯉さんのように元気でいてネ,お鯉さんと同じバラの花よ」と真っ赤なバラ60本プレゼントして下さいました。花束のプレゼントは今迄も頂きましたが,何て粋なプレゼントでしょうか。
 数日前のお鯉さん100才コンサートを思い出し,100才とは思えないお顔とお声でした。すばらしいなあと思ったのでした。
 夜,孫や娘達にも祝ってもらい,これからも一日一日を楽しく年を重ねて行きたいと思いながら・・・。
 すばらしい誕生日の思い出をくれた友人,ありがとう!