男のたしなみ 三木 信夫
私は,朝起きると洗顔後必ず髭を剃り整髪をします。髭を剃るといっても私の場合はシェーバーを使いますので早いです。次に今日一日の行事に合わせて服装を考え,家にいる場合で仕事もしない場合は作務衣,外で作業をする場合は仕事着,外出の場合は出かける先によって服装等を選びます。
毎朝,髭を剃り整髪することによって,今日一日の出発点として体がしゃきっとして快い生気を感じるのです。過去に毎日が日曜日になったのだからたまにいいだろうと,髭を剃らない日がありましたが,髭を剃らないと整髪もしない,自分でもなんとなくだらしなく生気を感じないのです。そんな日に限って次々に来客があるのでした。
女性が毎朝鏡に向かって顔を見て口紅を塗るのは,いつまでも若々しく生きていく生きがいの一つと思います。男性も同じで,朝の髭剃りと整髪は前向きに生きていくための男のたしなみであり,生気を感じる生きがいの基になるものです。これにおしゃれな気持ちを少し持つと毎日が楽しくなります。高齢化社会となり,毎日が日曜日の方達が多くなっています。本当の人生はこれからお迎えが来るまでの期間をああよかったと言える人生を歩むことです。これからの自分の未来は自分で見つけるもので,見つけている人はオーラをいっぱい出して生き生きとして歩んでいます。サミュエル・ウルマンの「青春」の詩そのものです。ちょっとした,たしなみが人生に情熱を与えます。
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古事記絵巻 天羽 達郎
(西山欣子さんに古事記絵巻を描いて下さいと依頼しています。)
国の成り立ちは,自分達が同族であると意識した時に始まります。そしてその時のエトス(行動様式)は,その後の歴史にもずっと尾を引くのです。
天照大御神が岩戸隠れをした時,天の安の河原で神々の相談した形態が,今も国会議事堂で行われています。欧米型のように決を取ろうとせず,話し合いでもって満場一致にしようとします。
徳島県美馬市木屋平の三木山から始まる古事記の話は,吉野川を下り,淡路島を経て広がりました。古事記源流のエトスは今も無意識のうちに私たちの日本人の中に受け継がれているのです。
そこで,誰もが古事記の伝えを現実のものとして知り,身近に感じていただけるよう絵巻物としました。
輝ける日本の文化を感じ取って下さい。
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我が家の財務大臣 松林 幸二郎
スイスのある日本人会会報に,会員が会報に一番望むのは“お金”に関する記事だというアンケート結果が掲載されているのを読んで,私が代表をしている東スイス日本人会の会報には,これまで“お金”をテーマにしたことがないのに気づきました。巷に氾濫し,虚実交えて垂れ流されるお金や性に関する情報に立ち入ることの危うさを感じ,自ずと避けてきたのかも知れません。しかし,考えればこの二つは,善悪の価値観を越えて中立的かつ人間が生存する上に不可欠なものでしょう。金も性も人の幸福に寄与することもあれば,自他の人生を狂わせ,人の幸せ,そして家庭を破滅に導くことも甚だ多く,日々金や性にまつわるニュースがマスコミを賑わせています。
我が家の財務大臣は家内です。ソーシャルワーカーの収入で,家族5人をかろうじて養ってこられたのも,専業主婦兼(現在は子育てがほぼ完了したので,週に一度,乞われて障害者のために働いています。)財務大臣のお陰だと,いまだに給与の額さえ知らない,経営学部出身でありながら経営感覚ゼロの私は感謝しております。スイスに住み着いた当初,日本の福祉大学を出たけれど勤務先の施設では一顧にもされず,家族3人が15万円の給与で暮らしていたのですから奇跡なようなものです。しばしば月はじめには財布の底が着いてしまうこともありましたが,家族に悲壮感がただようこともなく,夫婦喧嘩の3大原因の一つといわれるお金のことで喧嘩したことも,収入が低いと責められたことも有り難いことにいままで一度もありませんでした。
一番有り難いのは,この月は確実に家計は赤字になると分かっていても,我が家の財務大臣は月々の献金や寄付を怠ることがないことです。それは,彼女が私と比べ物にならない位の絶対の信頼を“明日のことは煩うな”と諭す神に置いているからでしょうが,小心者の私が財布を預かっていたなら,寄付などは真っ先にカットしたでしょうし,心配で夜も眠れなかったことでしょう。特に,末娘が小学校教諭を目指して教育大学に入り,職場を替えて勤務時間が減った結果,3割ほどの収入減となり,この1年はずっと毎月赤字で苦しい家計でした。が,厳しい就職難にあって末娘が幸いにも先生の職を得て,卒業まであと2ヶ月と,トンネルの先に光が見えてきた5月となりました。
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何も描くことのない1日 西山 欣子
今日は,一歩も外に出ることもなく(犬の散歩以外は)家族以外の誰とも会うこともなく,電話もほとんどかかってくることもなく・・・。
1日中仕事場にこもってひたすら色鉛筆と付き合ってました。
そんなこんなで,何も描くことのない1日だったので,今日はこれでおしまいです。
けど,結構好きです,私。
実りがなさそーで,もしかして実りがあったかもなこんな1日。
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屈原をたずねて(19) 山田 善仁
九歌の第八は「河伯」と対を成す「山鬼(さんき)」である。
「山鬼」は,楚の民俗に従って,巫山の神女を祭る歌である。山鬼の語(かたり)は,「史記」の秦始皇本紀36年に見える。「山鬼は固(もと)より一歳の事を知るに過ぎざるなり」とあり,その予知能力の乏しいことが指摘されており,神としての地位の低いものである事が知られる。
この演唱は,山鬼(妖精(ようせい))に扮する神巫(女性)が,人間の男性を愛慕して唱い,その相手の人間は登場せず,山鬼が「離憂(りゆう)」の情をたたえて終わる形式である。
◎若(ここ)に人(われ)山の阿(くま)に有(す)みて,薜茘(まさきのかずら)を被(きぬ)とし女羅(つたかずら)を帯とす。既に含睇(こびのまなざし)おくりまた宜笑(ほほえみ)こぼせば,子(きみ)も予(わ)が善(こと)に窈窕(ようちょう)なるを慕わん。
(己の愛慕する人間界の男性を魅惑しようとして,山鬼は満艦飾の装いで登場する)
赤豹(せきひょう)に乗りて文狸(ぶんり)を従(とも)とし,辛夷(こぶし)の車に桂(にっけい)の旗を結(ゆわ)えたり。石蘭(せきらん)を被(かざ)り杜衡(かんあおい)を帯び,芳馨(かぐわしきはな)を折(たお)りて思う所(ひと)に遺(おく)らん。余幽(われふか)き篁(やぶ)に処(す)みて終(まった)く天(そら)も見えず,路(みち)も険難(さが)しければ,独(ひと)り後(おく)れ来ぬ。表(たかだか)と独(ひと)り山の上に立てば,雲は溶溶(わきなが)れて下に在(あ)り。あたり杳冥冥(ほのぐら)く羌(あわ)れ昼晦(ひるまくら)みて,東(こち)の風飄(ふきめぐ)り神霊(かみ)は雨ふらしつ。霊脩(よきひと)を留(ま)ち憺(こころうば)われて帰えることも忘る,歳(とし)も既(はや)く晏れゆけば孰(たれ)か予(われ)を華(もてはや)さん。
(山鬼は奇獣にまたがり斑(ぶち)のある狸を伴にし,華麗な装いで,篁(やぶ)の奥から現われ山頂に登る。折からあたりは晦冥(かいめい)となり,風雨が起こる。女性の神巫である山鬼が遅れたかと心配したが,人間である男性はまだ来ていない。歳月とともに身の盛りも過ぎて,もてはやしてくれる人も無くなる事を嘆く)
三秀(さんしゅう)の花を巫山の間(たにま)に采(つ)めば,石(いわお)は磊磊(うちかさな)り葛(くず)は蔓蔓(はいまと)えり。公子(とのご)を怨(うら)み悵(うちしお)れて帰(いえじ)も忘れつ,君は我(われ)を思えども間(いとま)を得ざるか。山中にすむ人(われ)は杜若(はなみょうが)を芳(かお)らせ,石泉(いわしみず)を飲み松柏(しょうはく)のかげに蔭(いこ)う。君は我を思えども然疑(うたがいごころ)作(おこ)るか。
(山鬼は,一年に三度咲き,不老不死の仙薬と言われ瑞草(ずいそう)である三秀の花を摘んだり,石泉の水を飲んだりしながら,来ぬ人の心をおしはかって,暇が無いのか自分を信じ無いのかと思い悩む)
(かみなり)とどろきわたり雨冥冥(くら)くふり,(さる)啾啾(むせびな)き(ましら)(猿の一種)夜鳴(よるさけ)ぶ。風颯颯(ざわめ)きて木のは蕭蕭(ちりし)き,公子(とのご)を思(した)いて徒(かいな)く離憂(うれえしお)る。
(やがて雷が鳴りわたり,再び風雨晦冥(かいめい)の光景となる。その中に悄然(しょうぜん)たる山鬼の姿を留(とど)めて,この祭儀を終える)
(竹治貞夫,中国の詩人。屈原)
(目加田誠,詩経楚辞)
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