〈そのまま,このまま〉  大西 時子

 おもしろい話があります。
 99歳,白寿とは百に一足りないから「白」寿だそうです。九十九は白だそうです。
 一とは何か,全てであり完全であり今である。時間を排除した「今ある形」,今こそが実在であり想像の世界未来,記憶の世界過去何れも非実在。つまり全てで完全である「今」に同化して生きる事で私たちは神という大海の一部の波となることができるということです。
 知識は有限のなかの積み重ね,反して今,今,今をこなすことはすなわち完全なる無限の智慧に触れる事であるらしい。
 だからでしょうか,心配や後悔の過去未来時間旅行に倦み,悩み疲れて放心の末「今」に立ち返った時,人は期せずして全方位に広がり喜びと万能感の大海に漂うという経験をしばしばします。「道はすでに完全」。
 遠い昔,人女性が善悪の木の実を食べてより生まれた個人意識が大海の豊穣を忘れ苦しみの円環,輪廻を作ったという。
 そのままこのまま,あるがまま。悩むなかれ,苦しむなかれ。「道はすでに完全」。
 〈一〉を〈止〉めて〈正〉しいという字になります。驚き,なんと字にも神が宿っているのですね。

ココアのさんぽ    笠原 彩加

 6月24日のこと
 今日,ココアのさんぽを12時10分すぎぐらいにさんぽにいったら,ココアがとてもよろこんでいました。
 わたしが,ひっぱられて,わたしがココアにさんぽされているみたいでした。
 まいちゃんとわたしでいきました。まいちゃんはきんじょなのでひまなときはいつもあそんだりしています。

 ココアのしょうかいをします。

  トイ・プードル犬 1才 ♂ チョコ色
  2006年3月25日生まれ
  足と手が長くて,ちょっと細いです。

すべての思いを家族に 34
孫 次男
          田上 豊

 孫次男は小学校3年生です。産まれる1ヶ月前に母親が出産準備で彦根に帰りました。産まれてから30日目に阿南に帰ってきましたので到着した瞬間,大きくなっているのを実感しました。これが孫次男との初対面の印象です。
 二人目は親も子育てに馴れてきているので,どうしても最初の子育ての様な細かな気配りが出来ません。ですから次男坊はシッカリしていると言われます。赤ちゃんの時から母親の背中に負われて,長男の様子を見ています。
「花を毟れば叱られる」のだなとか言葉は出なくとも知識として覚えるのです。何かにつけて理解が早いのです。
 三人目が出来ると親たちのサービスが悪くなります。その分,じいちゃん,ばあちゃんに甘えてきます。土曜日には私達の部屋に泊まりに来るのは次男だけです。ただ寝に来るだけですが心が休まるのかと思っています。
 長男の影響でクラブはサッカーです。月,水,金と練習です。夜7時〜9時まで練習をして土曜日か日曜日は試合です。
 父親がコーチをしていますが,じいちゃんから,ひいき目に見ても運動能力は今一つです。孫長男も次男も身長は高い方です。もう少し大きくなるのが楽しみです。今は専らテレビゲームです。
 多くの可能性を秘めている孫次男と思います。

お鯉さん百歳コンサート     近藤 隆二

 4月27日に満百歳のお誕生日を迎えられ,その日に県知事さんより自宅にて満百歳のお祝いを受けられて,午後からは郷土文化会館でよしこの百歳コンサートが超満員の観客が見守る中,開かれました。
 開会に先立って原徳島市長より市民栄誉賞を受賞され,合わせて名誉市民称号も贈られました。
 コンサートの開幕は直弟子さん孫弟子さんら約100名といっしょに阿波ぞめきを三味線合奏されました。何とも言えない笑顔で弾かれていました。その後,お鯉さんの独演ひき語りのコーナーで戦前大阪まで船に乗って三味線と唄を習いに行っていた時,「播半」のおかみさんから頂いた三味線で弾きながら,始めて習った唄「紙屋治兵衛」をご披露してくれました。阿波の唄(民謡)も「せきぞろ」「阿波麦打唄」「盆流し唄」等,6曲披露して頂きました。徳島の作家橋本潤一郎氏が徳島新聞に出された記事の中に「プロ・アマを問わず日本で百歳で三味線を弾きながら唱われたのはお鯉さんが初めてと思います。」と書かれていました。コンサートの最後は有名連の連長さんや有名な踊手,鳴り物の方達を従えて阿波踊りのなかで自分でぞめきを弾きながら「よしこの」をツヤのある声と情緒たっぷりの節廻しに何とも言えないお色気さえ感じました。笑顔と気品とお色気を兼ね備えた「よしこの」昭和6年にレコード吹き込みをされて以来75年間唄い続けておられます。これからもお元気で「よしこの」を唄い続けて頂くことをご祈念申し上げます。

人の幸福       芝山 靖二

 私の義兄は今年70歳65歳定年の時キャンピングカーを買い,そのすぐ後子会社の社長を命じられ,2年間でその会社の再建にめどをつけ退職した。
 それからは2年間,待たされた思いが一気に花開いたかのように,夏になれば2ヶ月ほど夫婦で北海道に行き,趣味の登山は日本百名山を全部踏破し,カメラの趣味はもう何回も何回も展覧会を開いた。毎日その写したものの整理でいくら時間があっても足りないそうである。
 まさに定年後,悠々自適を絵にかいたような生活である。兄さんに会うたび私は時々言う。
「兄さんは日亜の社長(私の工場の隣にあるので)よりも幸福者やなー」
 兄は3男に生まれ新宅し,一生サラリーマンでここまで来ました。当然そんなに財産はありません。お金は確かに幸せの一要因ではあります。でもある程度あればそれ以上は,人の幸せに全く関係ないような気がします。
 昭和30年に所得番付1位になった松下幸之助さんは8人兄弟の3男に生まれ。
 幸之助さんは,26歳までに兄弟7人をことごとく病気で亡くし,自分の子供ふたりの内ひとり(長男)も亡くしています。その間に両親も亡くし,悲痛な思いのお葬式を何回経験したものでしょうか。
 世界中の人から経営の神様ともてはやされる幸せはありますが,その一生は自分自身も大病も経験し,凡人に比べてはるかに幸せだったとはいえない気がします。
 私のような凡人には健康で家族みんなが仲良く暮らせればこれ以上ないと思います。