迷わせる信号 石渡 修司
徳島は車が多いです。幹線道路は広くても,狭い道も多いのです。だから,一方通行の道も多くなります。徳島キリスト教会の前の道も一方通行なのです。ですから,少し遠回りしないと,教会にたどり着けないのです。もっとまごついたのが,信号でした。赤,青,黄の三色の信号に加え,矢印の信号が多いのです。矢印の信号は,直進,右折,左折の三種類です。この組み合わせが,今もよく分からないところがあります。右折する場合,反対車線を横断することになりますから,安全に渡るためには,右折の信号はとても助かります。
車を運転していて,気付いたことがあります。どうも,徳島には徳島独自の信号ルールがありそうだということでした。というのは,普通,信号は対向車線と同じ色の信号が点いているものです。こちらが青ならば,対向車線の信号も青です。ですから,青の信号で右折しようとする場合,対向車線の直進してくる車を見,来ないことを確認してから発進します。ところが,右折する車が,青の信号が点くと同時に,右折して行ったのです。これには,恐怖を感じつつ驚きました。対向車線の車は全く動き出さないのです。対向車線の信号は赤のままだったのです。でも,わたしは戸惑いました。それならば,どうして右折の矢印信号を点けないのだろうかと思いました。矢印信号をもっと上手に使ってほしいと思ったのです。
扉は外に向かって開くものと,内側に引くようにして開けるものがあります。防災からは外に向かって開く方が逃げやすく,安全と考えられています。しかし,日本の建物は多くの場合,内側に引く形で扉を付けています。それは,外に開けることで,扉の外の人に扉をぶつけることになってしまうからです。外側に扉を開けることが自分の安全を優先する自己中心的な発想であるのに対し,内側に引いて開ける扉は,他人の安全を優先する他者中心的な発想であるといえるのです。
徳島の信号にばらつきがあるのは,自己中心的な発想になりきることができず,他者中心的な発想が残っているからだと思っています。他者を思いやる気持が徳島では信号にも現われているのです。
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いつも喜ぶ 石渡 路子
この四月から,ドクターエンドーの徳島店で,聖書読書会を始めました。夫の牧師と一緒に参加しています。会は笑いもあって,楽しいのですが,緊張の連続です。真剣な質問に真剣に答えようとすればするほど,緊張します。教えることより,教わることの方が多いのです。魔法の方程式のことを教わったのも,この読書会からでした。どんな難問もこの方程式に入れれば,答えが明解に出てくるというのです。わたしは思わず尋ねました。「そんな魔法のような方程式があるのですか,あるのならば,教えてください」と。
いつも喜ぶということが魔法の方程式だったのです。どんなことが起こっても,どのようなことになったとしても,いつも喜ぶということだというのです。途中はどうであれ,最後の答えは喜ぶということ。すると,どんな困難な問題でも,すっきりと解決してしまうというのです。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」。聖書に書いていることをそのまま実践している人に出会い,深く教えられました。この読書会は教会という場所を離れ,自由に,率直に話をすることができます。それが私にとっては鍛えられるところ,教わるところになっています。このような場所を提供していただき,心から感謝しています。
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教 訓 相原 雄二
いま年金記録紛失問題で日本の国が騒がしい。国民の一人ひとりが全幅の信頼を置いて毎月掛けて預けた年金が,心ない社会保険庁の中途半端なお役所仕事で年金保険料の納付記録5千万件が宙に浮いていると知れば,当然である。最近までは親にカネを工面させる振り込め詐欺が騒がれた。こんどは社会保険庁詐欺というと云いすぎだろうか。私たちの老後を保障する保険がちゃんと支払わなければ,社保庁そのものが詐欺組織と言われてもしかたない。厚労省のお役人といえば年金保険料を湯水のように使って造った大規模保養施設グリーンピア,3600億円以上が泡と消え,だれも責任をとらなかった。今回の件でも「私が悪かった」と退職金を返上して責任をとる社保庁長官OBは一人もいないようである。
日本のお役所も地に墜ちた。戦前や今から100年前の,国を想い国民の幸を願って情熱をもって働いた先輩たちに対し申し訳ない。
ともかく国民一人ひとりがしっかりと目を見開き政治家やお役所をチェックしないと私たちの税金や保険料がいつのまにか消えてしまうというよき教訓を与えて下さったと感謝して受けとめましょう。
「美しき国」日本,思いやりや助け合い,またもてなしの心など,すばらしい思考を持った日本人,本来持ち合わしている心(精神)をこの際,自分の住んでいる日本のことを,しっかりと見つめ直してみる機会にしたいです。
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忌部の話 七 「連帯組織 その一」
尾野 益大
室町時代,隆盛を誇っていた忌部神社を中心に十八の寺院が連帯していたといわれる。合わせて「忌部十八坊」と呼ばれている。これは「惣」と呼ばれる自治組織的な連帯と見られ,掟を定めていたようだ。
象徴的な出来事をあげると,1575(天正3)年,三好長治が阿波の民衆に日蓮宗への改宗を強制したとき,十八坊は騒動に組みしなかったといわれる。財力,武力,知識を持つ寺院の勢力を利用しようと目論んだこの改宗に対して,阿波の真言宗などと日蓮宗とが対立し,宗教論争が交わされた。一連の騒動は「法華騒動」として知られている。
忌部十八坊で現存する寺院は,阿波忌部直系の三木家が住む美馬市木屋平三ツ木にある「善福寺」のほか,剣山中腹の「竜光寺(または長福寺)」と「円福寺」(三好市東祖谷山),忌部神社がある吉野川市山川町の「福生寺」,木屋平村境に近い同市美郷村の「真福寺(または神福寺)」,「東福寺」(つるぎ町貞光),「西福寺」(同),「万福寺」(同),「神宮寺(法福寺または忌部神宮寺)」(同町半田),「地福寺」(三好市)。
十カ寺に共通するのは忌部一族の根拠地と周辺に存在し,寺院名に「福」という一文字が含まれている点。他の寺院は廃寺になったか,あるいは不明。
余談だが,阿讃山脈の大滝山山頂部にある大滝寺の一派は忌部十八坊と対立関係にあり,法華騒動に率先して加わったという。
忌部十八坊の記述は文書には見られる。美馬市の願勝寺の「歴代系譜」などがあり,平安期の創建となる。しかし断定はできない。
十八坊が古代から存在した可能性は低いと考えられるが,実態から見て,神仏習合を実践する修験道とは何らかの関係があり,「忌部山伏」というべき修験者が活躍していたのではないだろうか。徳島で最も古い修験道は高越山に伝わる修験道だが,忌部十八坊の修験道と関係があったに違いない。高越山が忌部の土地に聳えることを考えると,高越山の修験道は忌部の修験道を現在も引き継いでいるかもしれない。
「忌部十八坊」は,根拠地を越えて広がった忌部の強い連帯感をうかがわせ,時代の様子も映し出した史実といえる。
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