今になって       本多 幸代

 若い頃は,あまりあれもしたい,これもしたいと思わなかったように思いますが,最近は,何故早く気が付かなかったのかと思います。最後のあがきなのでしょうか。でも何をしても上手には出来ませんが,夢中になれるものがあると言う幸せによっています。
 ある方に教えてもらった言葉ですが,“人に誉めてもらわなくても自分で誉めればいいのだ”と,その言葉を聞いて,『毎日を楽しく』はこれなんだと思いました。
 初めて描いたイラストです。

蛍の里          橋本 節子

 子供の頃「ほ,ほ,ほうたる来い,こっちの水は甘いぞ!」と歌って無心に蛍を追いかけた懐かしい川や溝。残念ながらあの頃から50年もまだ蛍を見かけた事がない私。
 その懐かしい蛍を見に行こうと,神山の親戚の人からのお誘いもあって,鬼野まで蛍を見に行って来ました。
 そこは,山あいの空気のきれいな,ひんやりと谷川が流れる里山。
 うす暗くなるにつれ,あちこちの高い山々の木々の間からたくさんの蛍がピッカピッカ光りながらゆっくり,ゆらゆら川面に静かに舞い降りて来るのです。やがてその光が水面に映る頃にはたくさんの人々の姿が蛍を求めて……。
 久々に童心に帰れたあの夏の夜の光影を私はうれしくて生涯忘れない事でしょう!
 日本のあちこちでこんな光影が見られるように成るといいですね。

のうぜんカズラ     平 澄子

 去年は葉っぱばかりが多くて全然花を付けなかったけど,2年目にして花が咲きました。
 あざやかなオレンジ色の花が満開です。
 物干し竿のところまでのびて,遠慮しながら洗濯物を干しています。
 「困った,困った」と言いながらも,朝の洗濯干しが楽しい時間でもあります。

天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 12
笛 吹けど踊らず   三村 隆範

 オオオッー
  先日,とあることで聖書を見ていると

  『笛を吹いたのに,
   踊ってくれなかった。
   葬式の歌を歌ったのに,
   悲しんでくれなかった。』

 マタイ第11章17節が目に飛び込んできた。
オオッー 聖書に書かれていることか。ルカ7章32節にも同様のことが書かれている。
『笛吹けど踊らず』の語源である。
 イエスは,神の事を話しているのに誰も実行しないので,童歌を引用して話した言葉である。
 なぜ目に飛び込んできたかというと
 阿波踊りで囃す,
   踊る阿呆に見る阿呆
   同じ阿呆なら 踊らなソンソン
 とオーバーラップしたからです。
 イエスも望んでいるのです。神と共にみんなが喜び笑い歌い踊ることを 踊らなソンソン