人生の目的        相原 雄二

 私はこの年(55)で4人以上の家族を見送ってきた。7人兄弟姉妹の中で育ち,丁度30年前にすぐ下の弟,24年前には長男の兄,そして事故による身障者であった母を16年前に,晩年,親とはこうあるべき姿だと,教えてくれた父を8年前に送る。
 人間は誰でも,いつかは死ぬ。
 だから,人間にとって最も大切なのは,生かしていただいている,今のこの時間を,どのように受けとめ,どのように生かしてゆくか,を問われているように思う。
 でも4人以上の身内を送り,年頃のしわざか,近頃とりわけ若い友人の告別式に参列する回数が多くなった。頭の中では分かっていても,ひしひしと実感はしないから「生者必滅」はつねに無感動な遠い未来でしかない,と考えている自分がここにいる。
 だが「たとえ,どんなに長く生きたにしても,生き続けるというわけにはいかない」,ところに厳然たる,生きるものの法則があるのだ。自分のこととして,これだけ人の「死」に出会っているにもかかわらず,身に染みてわきまえる人は,この自分も含めて滅多にいないのは,なぜか。
 僧侶である心友より,このように聴く。
 元気な今から「死ぬ練習をしておくことだ」と。真理を学び,悟るためにも,この死ぬ練習をすることにより,人として,人間としての一番大切な生きる意義,価値,効果,そして生きる目的がしっかりと見えてくるだろうと,話してくれた。
 その方法を以下に書き記します。
 まず夜中の寝静まった時間に布団の中で,ただ一人,手を合わせ眼を閉じ「私は,ひつぎ柩の中におり,今まさに柩のふたが閉まる」という想像をして下さい。
 今までは見送る立場で,柩の外から柩の中を見ていたが,自分を柩の中に入れ,そこから見送ってくれる元気な人を見るのだそうだ。
 大事なことは,実際に予行演習をする事です。
 地震,火災は勿論のこと,運動会でさえも予行演習をするのに,この私が,死ぬというこんな大事な練習をしない事は,自己の危機管理能力に欠けているばかりか,自己の死の問題が気にかからない事は,最も愚かなことである。
 皆さん何が見えてくるか楽しみですね。

"I ha Freud am Lbe!"―僕の人生には
喜びが一杯だよ!
      松林 幸二郎

 6月の半ば,私の職場(Grossfamilie-大家族)に住み,毎朝,電車で仕事に出掛けるハンディキャップを背負った5人の職場を,障害が重くて外に働きにいけないHさんとAさんを連れて訪問する機会をえました。そのなかの一人のHUさんは木工場で15年間働いていましたが,木工場が規模を縮小したのを機に,隣村にあるシステムキッチンを作る家具工場に2年前から働いています。歩行と言葉での表現に障害をもつHUさんですが,家具工場で私の目には複雑に見える機械を操作しながら,胸をはって誇りを持って働いている姿にいたく感動したものでした。彼の裏表のない働きぶりや明るく素直な性格のため,他の労働者からも大変好かれていることを直に見て,とても嬉しく感じたものでした。
 全盲で歩行も出来ず重い障害をもったHさんは,仲間の働きぶりを目で見ることは勿論出来ませんが,彼の仲間の働きぶりに接して,自分が外に働にいけない不遇をかこつこともなく,きっと自分もHUさんのように頑張らなければという思いが表情に出ていた気がしました。
 仲間の職場を訪れた翌日,Hさんは家庭医のドクター ミューラーの検診を受けて,痛い検査もあったろうに満面の笑みを浮かべて帰宅しました。手にはドクターからのプレゼントで彼の大好きなミニカー。”これ,ドクターがくれたんだよ。一杯話しかけてくれたよ。人生って喜びだよね -"I ha Freud am Lbe!"― 僕の人生には喜びが一杯だよ!と,いくども頷くHさん。私たちが,Hさんのように"I ha Freud am Lbe!"と人生に大きな喜びを感じるには,どれほどのお金と地位と住まいと物質と人からの賞賛がいることだろう。日々,感動することが乏しく,ささやかな親切や愛を素直に喜べないために・・・。

屈原をたずねて(20)   山田 善仁

 九歌の第九は「国殤(こくしょう)」で,「国殤」とは国の為に外敵と戦って討死にした勇士の霊を祭る。祭る人の無い亡魂を殤(しょう)という。
 歌は,民俗的な祭歌ではなく国家的なもので,屈原の創作に成るものと考えられる。演唱は,一般祭巫の合唱形式で,舞台では勇士奮戦の状が演ぜられる。
◎呉の戈(ほこ)を操(と)り犀皮(さいひ)の甲(かぶと)着て,戦車の轂(こしき)はいりまじり刃は打ち合う。旗は日を蔽(おお)うて敵は雲の若(ごと)く,降る矢の中を兵士は先を争う。敵はわが陣を侵しわが隊列を蹂躙(じゅうりん)し,左の驂(そえうま)は倒れ右は傷つく。両輪を土に埋(う)めて四馬(よつのうま)を(つな)ぎ,玉枹(たまのばち)もて進軍の太鼓を打ち続ける。天運利あらず鬼神も怒り,壮(ますらお)は全滅して原野に棄(す)てらる。出(い)でて戻らず往(ゆ)きてかえらず,平原遙かに家路は遠い。長剣を帯び秦の弓を挾(たばさ)み,身と首(かしら)は離れても心は悔いぬ。誠に勇ましくまた武(たけ)く,あくまで剛強凌(おか)すべからず。その身は死しても神(みたま)は滅びず,魂魄毅然(こんぱくきぜん)として亡霊の雄(かしら)と為(な)らん。
 ここで祭儀を終える。
 最後の「禮魂(れいこん)」は,「九歌」全体の送神歌で演唱は一般祭巫の合唱合舞である。
 「礼魂」の魂は,「山鬼」「国殤」の鬼魂を承けたものであり,春秋の祭祀を絶やさず,神霊の鎮(しず)まることを祈り,迎神歌の「東皇太一」と照応している。
◎礼(まつり)を成(お)えて会(そろ)って皷(つづみう)ち,葩(はな)を伝(てわた)し代(こもごも)舞いつぐ。(うるわ)しき女(みこら)倡(うた)いて容与(のびやか)なり。春は蘭秋は菊,長(ひさ)しくも終古(とこしえ)に絶(た)ゆること無からん。
 能楽の大乗(おおのり)拍子のように賑(にぎ)やかに大小鼓を合打し,華麗な巫女の歌舞を以て「九歌」の演奏は終了する。
 「九歌」は豊かな詩才を抱(いだ)いた屈原が,民俗に基づき工夫を凝らし,宮廷の祭祀楽歌として新たに創作したもので,『楚辞』の中でも最も芸術性に富み,時代の寵児(ちょうじ)であった華やかな宮廷時代を記念すべき作品である。その演唱形式は,対象とする祭神に応じておのおの変化を見せており,人と神とがさまざまに敬愛思慕する,優艶(ゆうえん)にして華麗な舞台を幻出させている。そして,後の漢代初期に出現した楚歌にも多くこの歌謡調な詩形が用いられている。

(竹治貞夫,中国の詩人。屈原)(目加田誠,詩経楚辞)

〈豊穣の海〉        大西 時子

起きているだけの現象を
気がつけば,あれこれジャッジしている私がいて
いけない いけない。
さざ波は そのまま このまま
海から生まれでた波でよい。
怒っては分離し、悲しんでは海を忘れる。
過去と未来に大波小波。
今日出来なかった沢山の事より
今日出来た一つのことに感謝しよう。
明日、また出来る事をクリアして、喜んでいよう。
そのままでいれば波は海。豊穣の海。
実践は常に「頭でなくて ハートでする」
なるほど。
ハートに個人意識はありません。
オンリーワンよりオールワン。
私たちは 一つの中から生まれでたオールワン。