おかげでまた頑張れます。    西山 欣子

 昨夜はプチ同窓会に誘ってもらって,近くの居酒屋へ出かける。
 じーさんのポンコツ自転車に乗って・・・。
 いっぱい笑って飲んで,ほんとに楽しい時間だったです。笑い過ぎてアゴがいたくなったくらい・・・。
 夜中の帰り道,雲の間から見隠れする月をながめながらオバサンひとりゴキゲンさんでトロトロ自転車をこぐ。少し走った時,「待てよ,もしやこれも飲酒運転になるんじゃないかい?」
 そんなこと思って降りて歩こうとしたとたんカチャ・・・と何かが落ちたような音が。
 慌てて自転車を止めて,ウロウロ見渡してみるも暗くてなんにも見えず。。。
 ・・・と,そこにブィ〜ンと通り過ぎた車が止まったかと思ったら男性が3人(だったと思う)こちらに向かってやってくるのです。
 いったい何? こんなオバサンに何の用?
 ちょっとオロオロ・・・。
「だいじょうぶかあ? 酔ってるんじゃないかあ?」
 なんと・・・同じ方向に帰る友人たちが,意味不明な行動をとる私を見かけて,声をかけてくれたらしいのですよ。
 ああ,びっくりしたですよ。。。
「暗いからな,オバサンか若いか見分けがつかんから,気つけるんやで」


 そう言って彼らは去って行ったことでした。
 ありがとー。
 心配かけてごめんなさい。私はだいじょうぶだったです・・・。
 そんなこんなでほんとにうれしい楽しい時間を過ごせた夜でした。
 また今日からみんな,それぞれの立場で頑張っていることでしょー。
 いろんな元気をありがとー。私もまた頑張れます。

自慢できる友      相原 雄二

 友達の一人に,口の悪い,それでいてどうも憎めない男がいる。
 そればかりか,口から発する「ことば」に妙に説得力があるのがおもしろい。
 ともかく口はよくない。一言こちらが言葉を掛けると,三言またたく間に返ってくるという調子だ。だが会話の節々に,ときたまウイットに富んだことばに「力のある話」を入れてくる。
 特にこの男の特技というか,持って生まれた技を生かし,現在も中学,高校,社会人を相手にある陸上競技を教えている時の話は,ひかり輝いて聴ける。
 彼の身長は180cm(御両親の御陰であって本人の努力ではない)余り,横に座って膝がしらの高さを見ると,なんと10cm以上の差がでる。同じ日本人でありながらこれほどまでに足の長さが違うのかと,いやになること然り。
 そんな彼もシャイなところもあって,役など好まないのであるが,県のコーチにもなっているようだ。
 若かりし頃は四国の記録を持つチャンピオンでもあった彼は,人(選手)をよく観察しているようです。
 現在も複数の選手を指導しているようだが,言うことば,教える内容,接する態度まで,すべてが,ひとり一人異なるとか。それも一つのことを教えるのに心を配り,その本人の能力を上手く引き出すように,出せるように配慮した心づかいを感じることばが,彼の同じ口から出てくるのである。その奥には,目標実現の為の心と身体を労してつとめた数々の積み重ねの然(さ)りげ無いことばに「いのち」さえ感じて聞こえるのは私だけでしょうか。最近彼の話を聴いて孔子のことばを思い出します。子曰く「これ知る者,これを好む者に如かず,これを好む者,これを楽しむ者に如かず」。仕事をも犠牲にして手銭,手弁で全国各地に選手と共に行動し,暑い日も寒い日もグラウンドに出れるのはなぜ? 彼曰く「おれ自身が好きだから」。
 この言葉の奥には既に「楽しんでいる」彼の姿が見えていました。
 口の悪い憎めない友達の話でした。

すべての思いを家族に 36
運命共同体の家族
   田上 豊

 私達家族は現在7名で生活をしています。
 私とDNAで繋がっていないのは妻と嫁です。
 血縁関係がないからでしょうか? 嫁とはどうしても他人です。朝も「お早うございます。」と言っています。他の家族には「おはよう」です。
 孫は3人とも可愛いのです。孫長男は父親に似ています。やがて身長も私より高く成るでしょう。
 孫次男は嫁の家族に似ています。ですが性格は当家の方に似ていると見ています。泣き虫です。
 三男は爺ちゃん似だと言われます。バッチャン子です。
 嫁が仕事をしている関係で子守りはバッチャンの役目です。
 この7人の中で誰かが病気になると生活のパターンが一変します。特に孫の病気は,家族が運命共同体で有る事が良く解ります。子供の親に色々な負担が罹ります。その影響を私達にも受けます。
 健康,経済,教育,と大人達はそれぞれの思いを持っています。それぞれは,自分の価値基準で生活をして居ます。
 今の季節は,電気代をバッチャンが問題にします。他の人たちはノホホンです。
 やはり健康が一番です。ガンバレ共同体。

せいいっぱい     石渡 路子

 立秋を過ぎ,秋を感じさせる青空とは言え,8月の日差しはやはり強いです。その照りつける太陽の暑さに負けずと咲く花を見るたびに,けなげさと強さを感じます。
 朝,花を開き,夕方にはその花びらをつぼめてしまう,たった一日ためにせいいっぱい咲く。花は咲く日を選ぶことができません。与えられた日に潔く咲くしかない。時を自分では選ぶことができません。
 私は自分の人生と重ね合わせると,私にもそのような時が多かったことを思います。花を見るにつけ,与えられた時をせいいっぱい生きることが私にできることと思うのです。
 “天が下のすべてのことには季節があり,すべてのわざには時がある。……神のなされることは皆その時にかなって美しい”(伝道の書3:1-11)