ニューモラルを読んで No.460
 誠実に生きる
     相原 詩恩

 “私は,池田さんがやっと作業が終わろうとした時,つい「終わった! これでやっと帰れる」とさけんでしまった。私は,池田さん,たくさんの荷物を運んでやっとできたから,そのぐらいはいけるんじゃないかと思っていた。けど,今田さんに注意された”
というので,私は,何でだろうと思った。
 読んだら「大変なのは,だれにでも分かっている。苦しくても,ていねいに心をこめて,まじめに努力を重ねれば,必ず報われる。」とあった。
 どんなに苦しくてもがまんして,人のやくにたつ人になるようにすることが,いちばんいいと私は思った。
 「仕事への誇りと責任」で,私は,田中さんのように,べつの人の庭をきれいにしてあげるなんて,今の私にはとてもできないと思う。けれど人が喜ぶことをした田中さんは,心がとてもきれいな人と思った。私も,田中さんのように,人に喜ばれることをしたいです。

 すべての思いを家族に 40
運命共同体心の力
     田上 豊

 人の幸せ,家族の幸せに心の持ち方が大切でしょう。
 日本には昔から「有り難い」と言う言葉が有ります。最終的には「この世ある事が難い(むずかしい)のです。」人間として生まれてくるのも難いのです。人間として生まれてくる事に心から感謝です。
 人間には心が在ります。この心の持ち方が家族の幸せに大きく作用してくるのです。
 人の幸せは心にあると言っても過言ではありません。どのような状況に置かれても心が安定していれば良いのです。仏教では座禅とかで心の修行が多くあります。ですから心が造る幸せとも言われます。
 人は大昔から心の癒しを考えながら長い歴史を築いてきました。太古死者に花をたむけたりする習慣がそれに当たります。苦難に満ちた人を励ましたり手助けしたりするのは心でしょう。
 人間はこの心が自分中心に働くのです。この心をすべての人に平等に与えられるのは大自然(サムシンググレート)の働きです。又,心の持ち方を具現化したのが聖人と言われる方々でしょう。心がすべてを動かすのです。この心が自分中心に働くのです。
 自分中心に働くとコップの水が濁るのと同じ事になるのです。濁ると多くのことの弊害が出てくるのです。思うことが思うように進まないのです。そこでこの濁りを浄化しないと行けないのです。
 次回は心の浄化の仕方。

 山のあなた    大西 時子

 読書は彷徨い出した魂をもとの一つに戻してくれます。傍らにおいて繰り返し繰り返し読む本に山田耕栄著「愛さえあれば」があります。カールブッセもチルチルミチルも私たちが既に幸せの懐に居ることを教えてくれました。社会に通じる真面目が自虐的に本来の自分を疎外してその魂からピュアな輝きを奪いとってしまうことがおおにしてあります。「何かであらねばならない」「何かにならなければならない」全てが今の自分を否定する思いです。真の萌芽である魂の叫びでさえも抑圧して社会通念の中に自らを押し込めてしまいます。著者は「そのまま,あるがまま」が「天」,すなわち全ての私たちを包含する「ひとつ」であると説きます。悪も善も判断しない,悪を懲らしめる善も消えた世界。全てのイデオロギー論争もとどのつまりは権力の代替え結果に終ってしまうように社会の成り立ちの裏には必ず個我意識(エゴ)が働きます。不安からくる保身,われひとかど意識,ともすれば非力な自分を威嚇する猫さながらに身丈を大きくして粉飾します。今ここにある「幸せ」や「愛」に気づかず探しに出る行為のようです。
 私の青春,出発は自己否定。豊かさを求め続けて魂を削ぎ続け,これもつまり長い目ではあるがままの結果なのでしょうか。オアシスの水を求めるように先人の智慧に触れ,人との出会いに救われてきました。まだまだ気づかぬ「今,ここにある愛」。日常の中で分離感を抱いては,良書の行間から無限に湧き出るエネルギーを汲み,乏しい「愛」の灯をともし続ける日々です。自分を責めない。他人を責めない。事実はひとつ。今日もおおいなる勘違いの幸せな日々を,それが私の現実となることを信じて。

茄子に教わる
すべてを受け入れて,自己に!! 感謝
                 山田 章

 晩秋のある日,最終の茄子の収穫も終わった。100本の苗木には,取り残された実が,自分の収穫されるのを待っている。茄子の実は,早霜に打たれて皮は厚く,八割までが何らかの傷があった。実がざくろの様に裂けて見苦しい姿である。残る二割もよく似た物だ。捨てる事も出来ず,試食をしてみる。厚皮をリンゴの様にして皮を剥き,料理をして食べてみた。
 中身は白く,味はもう一ツで,そこそこであった。しかし口の中には立派な種が残った。次の世代に引き継ぎたいと!!頑張っている様にも思えた。
 私は,幼少の頃を思った。戦后のあの日,何一ツ口に入れる物が無かった時,芋のつるを小さく切って皮を剥き,御飯に入れて食べた。あの時代は物資はなく,一日暮らすにも困っていた。隣り近所の人と人との助け合った姿,その大人の間で子供達は育った。そうして親を尊重して,親の思いを頭の天辺から足の先までどっぷりと漬って一日の暮れるのを惜しんで遊んだ。
 しかし今思う。人と人との間で子供は育てられている。親である私達の歩んで来たその今の社会に,物資は豊かで何の不自由のないと私は思う,今の生活に感動し,感謝し,時間を惜しんで遊び,そうして次世代に,より立派な子孫を残して行って下さい,と願う一人です。