忌部の話 十四 「伊勢神宮」 その二
               尾野 益大

 伊勢神宮の内宮の祭神・天照大神に発展する日の神を守護神としてまつっていた海部(磯部,石部,伊勢部)。元々,伊勢南部の志摩半島など海岸一帯に住んでいた。
 特に宮川流域は,大化の改新以前の地方組織「度会県(わたらいのあがた)」と呼ばれ,有力な地方豪族の度会氏が大和朝廷の命を受けて統治。海部である度会氏は県造(あがたのみやつこ)であり,また伊勢の国造だったという。
 度会氏は先祖を「天日鷲命」「天日別命」としており,日の神をまつっていた。
 天武天皇は,その日の神に目を付け,皇祖神・天照大神に発展させた。なぜ,天武天皇は日の神に目を付けたのか。理由は天武天皇が幼いころ,摂津(兵庫)の大海人氏に養育され,地域の漁民の太陽信仰に親しんで育ったことが背景にある。天武天皇は壬申の乱の際,伊勢で太陽神から恩恵を受け,そのお礼として太陽神信仰の場を奈良・三輪山の初瀬から伊勢に移し,伊勢神宮の天照大神としてまつったのだった。
 さて,阿波忌部とのかかわりを推定する。
 度会氏が先祖とする天日鷲命に注目したい。天日鷲命は紛れもなく阿波忌部の祖先。その点から度会氏は阿波忌部の子孫であることになる。つまり天照大神に発展した日の神は阿波忌部が信仰していた日の神ではないのか。
 諸国の海部の太陽信仰は中国や東南アジアなどから入ってきた可能性が高いが,伊勢の海部の日の神も,南方の国から阿波の海岸部に伝わった後,阿波忌部が伊勢に伝え,土着の神となったと考えられないだろうか。
 大嘗祭で阿波忌部を重視した天武天皇は伊勢に太陽神を伝えた天日鷲命,つまり阿波忌部の重要性に気付いていたのかもしれない。さらに阿波忌部のルーツである阿波からヤマトとその周辺に古墳の築造技術や青石,朱などの鉱物が伝わった事実をも知っていたに違いない。他の地方の忌部ではなく,祭祀の国の阿波忌部に大嘗祭での麁布貢進を求めたのは必然だった。
 度会氏といえば現在,伊勢神宮・外宮の宮司である。しかし古くは内宮の宮司も務めていたとされ,伊勢神宮と阿波忌部との縁が根強く生きていることが分かる。

備えあれば憂いなし     山田 章

 昨年の畑作業が終わり,農閑期に入っている畑地を眺めて思った。昨年の暮れに収穫の終わった茄子苗木を根から引き抜き乾燥させて来た。此の百本の苗木はそれぞれが根を天に向けて自分の役目は果たしたと云っている。集めて焼却にかかる。半乾きで心配であった。火の勢いが出てくると,百本の株がみごとに短時間で燃えつきた。此の姿は,大自然の恩恵を頂き,その結果を求めない。すばらしい姿を眺めた思いでした。
 忠誠努力して要求をしない! 此の姿は,天地の大法則であると教えて頂いております。私達の生活の全て,又,苗を育てても,ちゃんと天地の法則に従ってやって来たが,後は自然にまかせて来たのだ。自然まかせだ。人間が育てるのではない。土地も苗も昔からあるのだから,人間は手間を出すだけだ! けれども法則に従ってやらなければ,全ての物は育ちません。つまり神を認め法則に従って働いたというだけのことだ。
 自分の努力とか全部,神様に捧げて神様から報酬をもらうというのが道徳であります。又,心の底から有難うと,天に向かって云える姿だと思います。
 私達は,これらを会社とか人からもらうことになっているから不平が沸いて出るのだ。結局,自分の事に忠誠努力して要求せずという,いっさい無償でいくという心になることです。此の結果は,心の中で全てを「良し」とする事になる。此の要求しない心が,今自分の健康と幸せな姿かと思う。
 そうして全ての事に感謝が出来て,親ご先祖のお陰様と思う心が報恩の心の中に沸いて出て,日々を重ねられる時,まさかの坂に出合っても,只々有難いと感謝の心が自然に沸いて出るのだと思う! 此の様な生活の中に必要な時に必要な事が必要な分量として,生活は幸せに入る事になるのかと思う。
 畑地に石灰をまき,元肥を入れ,良く耕運を重ね,土地に力をたくわえる時,大自然の仂の中に希望と喜びを得る。その結果は,要求せずして自己に反省して感謝あるのみ!
 自分の体も常に健康に恵まれ,ご両親とご先祖に有難いと只感謝あるのみと思う時,心の底より低い優しい感謝の心が沸いてくる思いです。
 今年こそは,実践の年でありたく思っております。

いろんな帽子  島川 文代

ココロの中のいろんな帽子。
「ちょん」とかぶれば あれ,不思議? なんだかその気になってくる。
いばりん帽に,泣きん帽,わくわく帽に,にっこり帽…
なぜだか,今朝から私がかぶってしまったのは「とんがり帽」。
とんがり言葉に,とんがりな態度,
とんがってばかりいたら・・・
どうしよう?
帽子が脱げなくなっちゃった〜。
仕方ないね。
自分でギュウギュウ紐を縛っちゃったんだもん。
ココロの中のいろんな帽子。
   どんな帽子をかぶってみても,
   中身(人)は変わらないのにね。
ココロの中のいろんな帽子。
   夜になるまでには脱がないと…
   とてもじゃないけど眠れません。

 千両と万両の花    近藤 隆二

 千両は葉の上に実をつけ,万両は葉の下に実をつける花,見える所に実をつけるのが【千】,見えない所に実をつけるのが【万】。人に例えると,人様に見える地位名誉財産を持っている人が【千】,人様には見えない徳を持っている人が【万】。結局人の価値は目に見える地位名誉財産よりも,目に見えない徳(慈悲)のある人が尊敬され,神仏を始め諸聖人方のように拝まれる人になることを千両と万両の花が教えてくれているのだと思います。
 最高道徳の格言にも「徳を尚ぶこと,学智金権より大なり」と教訓して頂いています。学力,智力,金力,権力も成功や幸福の要素であるけれど,幸福の鍵ではない。鍵(本)は徳(品性)を積むこと,人には見えない徳は見えない心で実行することによって培われる。「徳とは人に喜びを与えることなり」(廣池千九郎語録P191)どんなことにも,これで良かったと喜ぶ習慣を身につけると,自分の喜びが他者へ伝播して行く,他者から自分へ返ってくる。宇宙循環の法則によって善因善果がめぐり来る。「謙は尊くして光る」万両の花のように,何事にも謙虚にしていくことが,自分が光り輝く人生を築く。