サクラサク〜 なぜかアーチェリー
                
 鶴岡 とみ子

 このごろは,こんな感じで だら〜ん!とした冬を過ごしていました。
 しかーし,入院中に循環器科でのリハビリとしてやっていたマシンが「障害者スポーツセンター」にあったのでした。
 足の循環が悪いので自動的に動けず,昨年12月から冬眠の合間にむくっと覚めては週1ででかけたのでした。
 そんな時,[アーチェリー入門]8回受講生募集のポスターをみかけました。上半身にもハンディがあるのに…握力がないのにできるんかいって…?
 最初に「スポーツ相談」というのを受けて体験させていただきました。
 できました。
 でも,8回コースが終わり,みなさん腕は丈夫でわたし以外は合格です。
 次のコースがガラガラだったので,再度チャレンジを職員さんがすすめてくださいました。頼りないけど,たまに的の真ん中のど真ん中に矢が当たるという珍しいパターンの落ちこぼれでした。みなさんが1回コースで合格のところ,わたしは2コースでみなさん並みでした。1回目を考えたらすごい進歩だ!と先生方はほめてくださいました。
 3月末,認定の判定で 10mですごい成績をとれたのもあり,12mで認定合格となりました。
 これでステップアップしながら単独でトレーニングもできるのです。
 遅咲きのさくらです。でも咲きました。
 体育会系のわたしが障害を持つということがどんなに過酷なことか…いつも障害者スポーツによい印象を持つことさえできなくなっていました。
 間違っていました。できる機能を使い,日々トレーニングしていくことで身体ばかりでなく心も豊かになっていけたと思います。
 毎週,おじいさんが奥さんの片麻痺のトレーニングに付き添い,病院のリハビリでなく元気にパラリンピックレベルの選手もいらっしゃるお部屋で共に ただひたすらに心一緒にいるのです。
 みんな顔なじみでご挨拶して微笑み合います。歳をとっても障害になってもこのご夫婦はとても輝いています。みなさんも楽しく明るくなります。
 わたしの2〜3つの複雑で医師も敬遠する薬が効かない病気でも,リウマチ系のものに関しては背中のストレッチができることで楽になるのです。ありがとうと感謝の気持ちが湧いてきます。
 よくわからないのに無謀にも,6月の大会にエントリーもしちゃいました。

忌部の話 十七  「金属」
               尾野 益大

 旧麻植郡と阿波忌部との強い関連が鉱山の位置から指摘できる。
 例えば,阿波の県内屈指といわれた鉱山は「持部鉱山」(神山町)や「次郎鉱山」(同町),「東山鉱山」(吉野川市美郷),「野々脇鉱山」(美馬市木屋平)などだ。いずれも銅,硫化鉄鉱などが採れ,東山鉱山では金も採れた。周辺には金,銅,硫化鉄鉱を採掘した高越鉱山(吉野川市山川町),別枝鉱山(同市山川町,美郷)もある。持部と次郎の両鉱山は麻植郡ではないため今後,詳しく研究する必要がある。
 それらの鉱山が本格稼行したのは明治期だが,発見された時代は相当古いとされる。なぜ鉱山と忌部が関係しているのか。延喜式に大嘗祭の際,「由加物」としてクワ,斧,鎌,ノミ,刀,カンナなどの金属製品を貢進することが記されている。古代,金属は極めて貴重で有力者しか所持できなかったに違いない。つまり一帯には鉱山を発見して所有,管理する忌部がおり,大嘗祭に貢進するための金属製品を作っていたのだろう。
 そして,やはり一帯で作った麻の「麁布」とともに朝廷に貢進した。忌部の根拠地が麻植でなければならない理由は,麻が豊かに実る土地であるとともに金属を確保できる土地である必要があったわけだ。加えて,麻植郡には霊験あらたかな高越山が聳え,けがれを忌み嫌う忌部一族は高越山の雄姿を仰ぎ,高越山という聖山の周辺に埋蔵された鉱山を求めたと推測できる。
 持部と次郎の両鉱山がある神山町には,阿波の開祖神であり食物の神オオゲツヒメを祀る式外社の上一宮大粟神社がある。旧阿波国一宮と指摘する専門家もいる。徳島の旧名である阿波は上一宮大粟神社がある大粟山に由来するともいわれ,「阿波郡」の阿波の名は粟から来たといわれる。中世,阿波守護細川氏が藍住町勝瑞に城館を築く以前,旧土成町秋月に城館を構えたのは阿波を重視した可能性がある。肥沃な土地で知られる阿波,麻植郡にまたがる善入寺島もかつて粟島と呼ばれ,忌部が住んでいた。旧鴨島町には粟島の地名が今も残っている。
 金属つまり資源と食は現在でも人間生活にとって必需品である。豊かな土地に住む阿波忌部は祭祀だけでなく食と資源も司っていたのだろう。

「和」をもって,全てが良し!  山田 章

 3月に入って,馬苓藷の植え付けをした。篤農家から20kgの種芋を頂いたのと,昨年「国華園」で買った種芋から収穫した残り芋,小粒で心配であるが使ってみた。畑地の7本の畦が全部みごとに芽が出そろって来た。4月に入って大自然の恵みを受けて適当な暖かさと雨が降って,新芽は我先にと競って,それぞれ葉っぱをゆずり合っている様にも思う。此の育つ様を眺めて,大自然の働き万物の生き生き化育する此の姿! 楽しい時間を過ごした。残りの畑地に耕運機を入れ,「里芋と茄子」の準備にかかった。篤農家曰く,「土壌は耕運する程,土は砕けて細かくなり,根には非常に優しくなってくる。発育が大変よい。」と教えて頂く。「里芋と茄子」の畦を造る全体を眺めて紐で真半分を取り,その又半分を決めて行く。すべての物事の調和を考えるのは,人間の世の中の「和」を保つ大自然の働きの平均と調和にも似ていた。畦と畦の間を1mと広く取って,耕運機で除草が出来る様にもした。この後,適当な元肥を入れて準備が完了した。無限と考えて来た此の大地に,大自然の調和の大切な事を知りました。此の大自然には「原因と調和」と云う因果律が働き,神を信ずる事を教えられる。此の限られている美しい大自然を私達の子孫に大切に残さなければならないと思うのは誰しも同じかと思う。
 今年から隣組25軒のお世話役が順番ではあるが廻って来た。2年間の限られた時間だ。私には大変,長い様にも思えた。人様のお世話が今の愚な自分に出来るのか,大変心細い。とにかく,全身を動かし心を細かく砕き,全ての事に「中庸」をもって「和」を保ち,全体を眺めて,隣組の人々,世の中の幸せを祈り,お世話が出来る事は,私の70年の過去の背負って来た荷を人様の前に下ろす事の出来る唯一のチャンスと思い,心から楽しみ乍らやってみたいと決心が出来た。
 そうして全ての事に有難うと心から感謝の出来る日々を過ごせる様に,自分を変えて行きたい。ご指導の程,よろしくお願い致します。

徳島マラソン試走?   芝山 靖二

 徳島マラソンまで2週間となった今月13日(日曜日)徳島マラソンの全行程を試走ではなく,試歩してきました。早朝4時30分鷲の門をスタート。まだ真っ暗な国道11号を一路吉野川大橋に向かって歩き始めました。
 いつも車で一瞬の間に渡っている吉野川大橋の歩くと長いこと,全長1137m。河川に架かる橋としては銚子大橋,利根かまめ大橋につぎ,国内三番目の長さだそうです。今回調べましたが橋の規模(片側三車線,2本の橋,交通量)としては国内最大規模だそうです。この橋を渡りきって,吉野川の堤防上を西に向かって,闇のむこうはるか彼方に灯りに照らされている橋が10キロ地点の名田橋と思い橋まで来てみると,なんと旧の吉野川橋,そのむこうはるか彼方にみえるのが名田橋と思いたどり着いて見ると,四国三郎橋。なんと10キロ地点の名田橋はそのむこう。この名田橋に着いてまだ四分の一まで来ていません。なんと42.195キロの長い事。
 ひと時も休まず大股速歩でゴールまで歩ききって6時間20分。この日の歩数計は50638歩。今大会の制限時間は7時間。全部歩いても時間内にゴールすることも分かって,コースも頭に入ったし,足もなんとかモツことも分かったし,大変良かったです。
 当日は6時間を切るのを目標に頑張ります。